「十二夜」

シェイクスピア/三神勲訳

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400円

シェイクスピアの他の喜劇と同様、ロマンチックな恋愛がテーマ、それと平行して酔っぱらって乱痴気騒ぎを演ずる滑稽な男女の卑俗な世界が描かれる。馬鹿のサー・アンドルー、フォルスタッフを思わせるサー・トゥビー、それに執事のマルヴォーリオが劇を盛り上げる。この作品はシェイクスピアの喜劇のなかでも最高の傑作と呼び声が高い。
立ち読みフロア
〔オーシーノ公爵邸の一室。オーシーノ公爵、侍臣キューリオ、貴族たち。音楽を聞いている。音楽やむ〕
【公爵】音楽が恋する心のかてなら、もっと続けてくれ、思う存分味わわせてくれ。食べすぎて、胸につかえて、やがて食欲がなくなればよい。あの曲をもう一度! 絶えいるような調べだった。ああ、こころよい微風のようにわたしの耳にしのびよる。すみれ咲く丘を静かに吹きわたり、かぐわしい花の香を奪ってはまた与える。(――音楽)――もうよい、やめてくれ。まえほどにはもう美しくない。ああ、恋よ、きさまはなんという貪欲なやつ! 海のようにすべてを呑みこみ、やがてはいかなる貴いものも、たちまち卑しく変えてしまう。恋はまぼろし、あだな思いがつのるばかりだ。
【キューリオ】狩りにでもお出かけになりましては、殿さま?
【公爵】なにを狩り立てる、キューリオ?
【キューリオ】鹿でも。
【公爵】とうにこちらが鹿にされて、狩り立てられておるではないか。ああ、この目が一目オリヴィア姫を見たとき、大気がたちまち清められたように思われたのに。そのせつな、鹿の姿に変えられて、狂った猟犬さながらの、狂おしい恋の思いにかり立てられることになった。
〔ヴァレンタイン登場〕
どうだった、姫はなんと申された?
【ヴァレンタイン】いかんながら、お目通りかなわず、お腰元の方からご返事をうかがってまいりました。姫君には、ここ七か年の間、太陽にさえ、あらわにはそのお姿をお見せにならぬご決心とか、修道院の尼のように、ひたすら家の中にひきこもられ、涙にぬれた美しい面《おもて》をおおって、日に一度、お居間の中を静かにお歩きなさいますだけ。これもひとえに亡き兄君をお慕い申すのあまり、胸の奥深くいつまでも兄君の悲しい思い出を抱きつづけるみ心と承《うけたまわ》りました。
【公爵】ああ、一人の兄にすら、それほどまでに愛憎の負目《おいめ》を覚える――なんというやさしい心ばえの人だろう! これがもし、あの人の心のうちの思いがのこらず、すべて、キューピッドの黄金の矢でなぎたおされ、いみじくも美しいあの人の胸の玉座を完全に独り占めすることになったら、ああ、その時はあの人の心はどんなに燃えあがることだろう! さあ、こころよい花のしとねに案内してくれ、切ない思いは咲きみだれる花かげでこそなぐさめられる。〔退場〕


第二場

〔海岸近く。ヴァイオラ、船長、水夫たち〕
【ヴァイオラ】なんという国、ここは?
【船長】イリリアで。
【ヴァイオラ】知らないイリリアなどへ来て、わたしどうしよう? お兄さまはあの世へ行っておしまいになった。でも、もしかすると、助かってるわね、そうじゃない?
【船長】あなたさまはご運がよろしかった。
【ヴァイオラ】おかわいそうなお兄さま! でも運がよければ、お兄さまも……。
【船長】そうですとも、運次第です。お諦めなさることはありません。現に船が難破した後で、あなたさまやてまえどもがボートにしがみついておりました時、ふと見ると、あなたさまのお兄さまが、あの危険のさ中にゆうゆうと、勇気と希望に教えられたのでございましょう、波間にただよう大マストにご自分の身体をしばりつけて、まるでいるか《ヽヽヽ》の背にまたがるアライオンのように寄せくる波を雄々しくのり切って行くお姿が見えました。えい、えい、確かにご無事でしたとも、てまえが見ている間は。
【ヴァイオラ】いいことを言ってくだすって、さあ、お礼です。わたしがこうして助かったのですもの、お兄さまだって望みがあるわけです。今のあなたのお言葉でほんとに心丈夫になりました。この国をあなた、ご存知?
【船長】はい、存じておりますとも。ここから僅か三時間とかからぬところで、てまえは生まれて育ったんで。
【ヴァイオラ】どなたがここの国のお殿さま?
【船長】公爵さまです。お人柄もご立派な方で。
【ヴァイオラ】お名前は?
【船長】オーシーノさまと申します。
【ヴァイオラ】オーシーノさま、そのお名前は父から聞いたことがあります。その時分は、たしかまだおひとりでしたわ。
【船長】いや、今でもそうです。とにかく、ついこの間まではな。もっとも、てまえはつい一月ほど前ここを発ったのですが、町ではその頃――とかくしもじもの者はお偉い方々のことをなにかと噂したがるものでございますからな――公爵さまがオリヴィア姫にご執心だともっぱらの評判でございました。
【ヴァイオラ】どんな方?
【船長】伯爵さまのお姫さまで、ご貞淑な方ですわ。お父さまは一年ほど前、お亡くなりになりましてな、お兄さまが後見しておられましたが、このお兄さまもまもなくお父さまの後を追われまして。なんでも噂ではお亡くなりになったお兄さまをお慕い申すあまり、お姫さまは男の方とは絶対にご交際なさらない、お目にもかからぬと固くお誓いなされたと申します。
【ヴァイオラ】ああ、その方にわたしご奉公ができたら! そうして好い折りが来るまで、その方のおそばにかくれて、わたしの身分を世間に知られずにいられたら!
【船長】そいつはちょっとむずかしい相談ですな。お姫さまはどんな願いの筋もお聞き届けなさらない、たとえ相手が公爵さまでもな。
【ヴァイオラ】ねえ、あなたは、お見受けしたところ、いい方ね。うわべはきれいに飾りながら、汚れた心をかくしている人もたくさんあるけど、あなたはお見受け通りのお人柄にふさわしい正直なお心の方だとわたし思います。ですからお願い、お礼はどっさりします、どうかわたしに手をかして。わたしね、これから身分をかくし、姿をかえて、御殿へしのびこむの。つまり、その公爵さまにご奉公する。あなたがわたしをお小姓に仕立てて、御殿へ連れて行ってくださるの、大丈夫お骨折りはむだにはさせませんわ。歌も歌えるし、いろいろな楽器で殿さまをおなぐさめすることだってできますもの。立派に男のお小姓役がつとまります。その先、なにが起こっても、それはその時。まかせてちょうだい。あなたはただわたしのしぐさを黙って見ているの。
【船長】お小姓役をおやりなさい、てまえがだんまり役をお引き受けしますから。頭のはちを割られても、口を割るようなことはこんりんざい。
【ヴァイオラ】ありがとう。では案内して。〔退場〕

……第一幕冒頭

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