「十二人目の妻」

サマセット・モーム/龍口直太郎訳

ドットブック 367KB/テキストファイル 114KB

300円

モームの短編集『一人称単数』First Person Singular, 1931 から選んだ「創作衝動」「変り種」「十二人目の妻」の3編を収録する。どの作品にも、モーム独自の人間観察眼が光っている。

サマセット・モーム(1874〜1965) 二十世紀のイギリスを代表する作家。複雑な人間の心理に鋭いメスを加え、読者のつきせぬ興味をかきたてる精緻をきわめた描写で知られる。代表作 「人間の絆」「お菓子とビール」「剃刀の刃」のほか、数多くの多彩な短編の書き手としても有名。

立ち読みフロア
 私はエルソムが好きだ。そこは南イングランド海岸の保養地で、ブライトンからさして遠からぬところにあり、その感じのいい町のもつ後期ジョージ王朝時代の魅力といったものも、いくぶんわけもっている。といって、とくにざわざわしてそうしているわけでも、けばけばしくしているわけでもないのだ。私がちょいちょいエルソムにでかけて行った十年前には、その門地の高いことをひそかに誇る気持ちが鼻につくどころか、かえって相手をおもしろがらせる、家柄はよいが落ちぶれてしまった貴婦人そっくりの、感じのわるくないたたずまいの、頑丈でもったいぶった古い屋敷が、まだそこここに見られたものだ。
 それらの屋敷は、ヨーロッパ第一級の紳士と呼ばれたジョージ四世の時代に建てられたもので、落ちぶれた廷臣が、老年をそこで送ったとしてもはずかしくないように思われるものだった。町の大通りにも、もの思わしげな空気がただよい、医者の自動車がなにか場ちがいにも見えた。おかみさんたちものんびりと家事を運んでいた。彼女たちは、鈎(かぎ)にかかったサウス・ダウン羊(ひつじ)の大きな肉の塊りから、首の付け根のいちばんいいところを切ってくれるのを見まもりながら、肉屋とべちゃくちゃ喋るし、自分たちの買物籠にお茶を半ポンドと塩の一包を入れてくれる乾物屋には、細君のことを愛想よくたずねたりするのだ。かつてエルソムが上流人の集まるところだったかどうかは知らないが、その当時はたしかにそうではなかった。とにかく、エルソムは品もわるくないし、物価も安かった。オールド・ミスや後家さんのような、年のいった婦人たちとか、インド帰りの役人とか、退役軍人とかがここに住んでいたのである。この人たちは、八月、九月ともなれば、行楽客たちがまた押しよせて来るだろうと、いささかうんざりしているものの、いざそのときになると、けっこうそれらのお客に自分たちの家を貸しつけ、その家賃をふところにしてスイスの下宿屋に出かけ、何週間か広い世界の空気を吸ってくるのだった。
 私は行楽客で沸き立っているときのエルソムは知らない。貸家はいっぱいになり、若い男たちがブレザー・コートを着て海岸通りをぶらつき、砂浜では大道芸人が何かを演じており、ドルフィン亭の撞球(ビリヤード)部屋では、夜の十一時まで球のぶつかり合う音がしているのだ。私は冬のエルソムだけしか知らない。その頃だと、海に面して、百年前に建てられた、弓張り窓のある、漆喰塗りの家はどれもこれも、「貸間あり」という札を下げているし、ドルフィン亭にやって来る客人に侍(かしず)くものとては、たった一人のボーイと玄関番だけというありさまだった。十時になると、玄関番が喫煙室にやって来て、こちらをやけにじろじろとみつめるので、仕方なしに立ち上って、寝室にひきとることになってしまう。しかし、冬の間こそ、エルソムは休息するのに絶好の場所であり、ドルフィン亭はとても居心地のよい旅籠屋だった。摂政殿下がフィッツハーバート夫人とご一緒に馬車でここにお見えになり、喫茶室でお茶を召し上られたことも一度ならずあったことを思うと、ほほえましい気がする。広間には、海を見はらす居間と二つの寝室を予約し、出迎えに駅まで馬車をよこすようにと指図している、文豪サッカレーの手紙が額ぶち入りでかけてある。
 大戦後二年目か三年目のとある十一月のこと、私は悪性のインフルエンザにおかされたために衰えた体力をとりもどそうと、エルソムにでかけて行った。昼すぎについて荷物をとくと、海岸通りをぶらぶら歩きにでかけた。曇り空だったし、海は灰色でつめたい感じだった。波打ちぎわに近々と、カモメが二、三羽飛びまわっていた。冬の間はマストをおろしている帆船が何隻も石塊だらけの浜のずっと上のほうまで引き上げてあったし、海水浴用の小屋は、長い、灰色の、がたがたの列をつくってずっと並んでいた。ここの町会がそこここに備えつけたベンチに坐っている人は一人もいなかったが、運動のために、二、三人の人間がとぼとぼと往ったり来たりしていた。テリヤをつれた半ズボン姿の赤鼻の老大佐や、短かいスカートをはき、頑丈な足ごしらえをした年増の婦人二人や、それにスコットランド風の頭巾をかぶった、あまりきれいでもない女の子と、私はすれ違った。こんなに人気の少ない海岸をそれまで見たことがなかった。立ちならぶ貸家は、帰らない恋人を待ちわびる、うす汚いすそをひきずったオールド・ミスといった恰好だった。それに、あの親しげなドルフィン亭さえも、陰気にさびれはてているように見えた。私は気がめいってしまった。人生が不意にひどくわびしく思われ出したのである。
 私は宿にもどると、居間のカーテンをひき、火をかき立てて、一冊の本を手にとり、この憂うつを追い払おうとした。しかし、どうもうまく行かなかったので、夕飯のために着がえをする時間になったときにはうれしかった。喫茶室に降りて行くと、この宿のお客はもうみんな席についていた。私はその人たちをなにげなく眺めやった。中年のひとりぼっちの婦人と、年のいった紳士が二人。この人たちはたぶん、ゴルフをやりに来たのであろう。赤ら顔で、頭がそろそろ禿げかけてきたところだ。むっつりして食事している。そのほかこの部屋には、弓張り窓のところに腰をおろしている三人の人間だけしか見えなかった。だが、たちまち私はその人たちに、おやっと注意をひきつけられてしまった。年とった紳士と二人の婦人が、この三人組を作っていた。婦人の一人は年をとっていて、たぶんこの紳士の奥さんであろうが、もう一人はもっと若く、おそらく娘さんにちがいなかった。まず私が興味を抱いたのは、この年とったほうの婦人だった。彼女が着ているのは、かさばった黒い絹のドレスで、黒いレースの帽子をかぶっていた。手首にはずっしりした金の腕環をつけているし、先に大きな金のロケットがぶらさがっている、がっちりした金鎖が首をめぐっている。襟もとには大きな金のブローチが光っていた。こういった貴金属を今日でもなおつけている人があろうとは、そのときまで私は知らなかった。貴金属古物商や質屋の前を通りかかって、ときどき、こういった奇妙な、流行おくれの、頑丈で、値が張っていて、いやみな品物を眺めるために、ちょっと足をとめることもあったが、いささかもの悲しい気持ちの入りまじった微笑をうかべて、こういう品をつけていた、ずっと昔に亡くなってしまった婦人たちのことを考えたものだった。これらの物は、腰当や裾襞が張り入り(クリノリン)スカートにとって代り、つばの広くてぴんと張った帽子を、つばの小さなお椀帽が駆逐していた時代を思わせるのであった。その時代のイギリスの人たちは、しっかりして品質のよいものを好んでいたのだ。その時代の人々は、日曜の朝には教会にでかけ、教会がおわると、公園を散歩したのだった。主人が手ずから牛肉やひな鶏を切り分けてくれる、一ダースもの料理の出る晩餐会をやったのも、またその晩餐のあとで、ピアノの弾ける婦人たちがメンデルスゾーンの「無言歌」で座を賑わし、きれいなバリトンの声を持った紳士が古いイギリスの民謡を歌ったりしたのも、この時代のことであった。
 若いほうの婦人は、私に背を向けていたので、最初私には、彼女が華奢な若々しい姿をしていることしかわからなかった。彼女の茶色の髪は豊かで、なめらかに結い上げてあった。服は鼠色だった。三人とも低い調子の声で喋っていたが、彼女がまもなく頭をめぐらしたので、私にも横顔が見えた。驚くほど美しかった。鼻はまっすぐで繊細だし、頬の線はたぐいまれなほど整っていた。私はそのとき、彼女がアレクサンドラ女王風の髪を結っているのにも気がついた。夕食はもうおしまいになったので、この三人組は立ち上った。年とった婦人のほうは左右を見かえりもせずに、部屋の外へしずしずと出て行った。若いほうもこれにつづいた。そのとき、彼女が意外に年をとっていたのを見て、私はびっくりした。彼女の服は飾りけがなくて、スカートはその当時だれもがはいていたものより長かったし、裁断にもいくらか流行おくれの感があり、その頃ふつうとされていたよりもウェストはつまって、くっきりしているようだったが、それでも若い娘の服だったのである。彼女はまるでテニソンの詩に出てくる女主人公のように背が高かった。脚は長かったし、しとやかな身のこなしで、体がほっそりしていた。鼻はもう前に見てあったのだが、ギリシャの女神の鼻だった。口もきれいだったし、眼は大きくて青かった。皮膚はもちろん少しうるおいを失って、骨がちょっと目立ったし、額と眼のまわりには小皺があったけれども、若い頃はさぞかしすばらしかったであろう。彼女は、アルマ=タデマがよく描いた、容貌(かおかたち)の無上に整った、あのローマの婦人を思い起こさせた。もっとも、その古代風な服装にもかかわらず、彼女たちは正真正銘のイギリス人だった。もう四半世紀も前からたえて見られぬ、冷たい、完璧な型に属した顔立ちだった。今ではこういう顔も、諷刺詩(エピグラム)と同じに過去のものになっていた。私は長いこと土中に埋もれていた彫像を発見した考古学者みたいな気持ちだった。そして、この過去の時代の生き残りに、思いもつかぬやりかたで、バッタリとぶつかったことに、ひどくわくわくしてしまった。なぜかというと、つい一昨日のように近く思われる過去の時代ほど、現代に縁の遠い時代はないからだ。
 紳士のほうは、二人の婦人が出て行くとき立ち上り、それからまた椅子に腰をおろした。ボーイがそこに、一杯の強いブドウ酒を持って行った。彼はまず香りを楽しんでから、ひとくち啜り、舌の上でゆっくりとそれを味わった。私はこの紳士を観察することにした。彼は小男で、堂々とした夫人よりもずっと背が低かった。肥っているとまではいかないが、まずまず肉付きのよい体つきで、灰色の捲き毛の、恰好のよい頭をしていた。顔にはずいぶん皺が寄っていて、かすかにユーモアをたたえた表情を見せていた。口許はきりっとして、顎は角張っていた。当今の考え方からすると、彼はいささか突飛な服装をしていた。というのは、黒ビロウドの上着に、襞飾りのついた低いカラーのワイシャツ、大きな黒いネクタイ、ひどくだぶだぶの正装用ズボンといういでたちだったからだ。この服装は、なんとなく芝居の衣裳といった感じをあたえた。ちびりちびりとブドウ酒を飲み終ると、彼は椅子から立ち上り、ふらふらと部屋の外へ出て行った。
 私はこの奇妙な人たちがどんな人間なのか知りたかったので、玄関の広間を通りかかったとき、宿帳にちょっと目を通してみた。宿帳には、角張った、女の筆蹟で書き込んであった。この書体は、四十年かそこいら前の、ハイカラな学校に通っていた若い婦人たちが教え込まれたものだった。名まえは、エドウィン・セント・クレア夫妻、ならびにミス・ポーチェスターと記してあった。住所はロンドンのヘイウォーター区、レンスター広場の六十八番地となっていた。これが私の興味をこんなにもそそった人たちの住所姓名にちがいない。私が女支配人にセント・クレア氏のことをたずねると、ロンドンの実業家だと思う、という返事だった。私は撞球(ビリヤード)室に行って、ほんのしばらく球を突き、それから部屋に上って行く途中、休憩室を通った。あの赤ら顔の二人の紳士は夕刊を読んでいたし、中年の婦人は小説本の上に屈み込んで、うつらうつらしていた。三人組は隅っこのほうに座を占めていた。セント・クレア夫人は編物をしており、ポーチェスター嬢はせっせと刺繍をし、セント・クレア氏は、つつましやかだが、よく透る声で、本を朗読していた。私は通りがかりに、彼が『侘しき家』〔ディケンズの小説一八五二〜三年〕を読んでいるのを知った。

……「十二人目の妻」
冒頭より

購入手続きへ


*** 作品一覧へ *** ホームページへ ***