「39階段」

ジョン・バカン/稲葉明雄訳

ドットブック 202KB/テキストファイル 107KB

500円

アフリカからロンドンに帰って来たリチャード・ハネーは退屈しきっていた。人生とはかくも退屈なものか、と。しかしふと知りあった男が殺されるにおよんでハネーはおそるべき国際スパイ団の大陰謀にまきこまれてしまう。世界大戦勃発の危機をはらむ陰謀! しかし単身それを阻止する手がかりは「39階段」という謎の言葉だけ。ハネーのゆくてには、つきつぎとスパイ団の魔手がのびる。スリルとサスペンスで一気に読ませるスパイ文学史上、不滅の名作!

ジョン・バカン(1875〜1940)スコットランドの旧家生まれ。大学卒業後、ロンドンに出て弁護士に。1901年から2年間南アフリカの行政代表ミルナー卿の私設秘書。1910年ごろから冒険小説に手を染め、1915年に発表した「39階段」で一躍認められた。「実業家を職業とし、書くことを娯楽とし、政治は自分の義務」という言葉どおり、出版社経営、英国情報部員、国会議員など多彩な経歴をもち、カナダ総督として現地にあったとき不慮の死をとげた。代表作は他に「緑のマント」「傷心の川」など。「39階段」はモームの「諜報員アシェンデン」とともに、スパイ小説の原型をなす。

立ち読みフロア
一 ある男の死

 五月のあの午後三時ごろ、ロンドン都心から帰ってきた私は、人生というものにつくづくいや気がさしていた。母国の土を踏んでまだ三月(みつき)というのに、すっかり飽きてしまったのだ。これが一年前なら、イギリスなんて、君、およそつまらんところだぜと言われても、一笑に付したことだっただろう。しかし、事実はその通りになってしまった。気候は不快、ロンドン人士の会話には吐気がしそうだし、ろくろく運動もとれない。おまけにロンドンの娯楽ときたら、日なたにさらした炭酸水同様、気の抜けたものばかりなのである。
 私はたえず心中につぶやいていた。(おい、リチャード・ハネイ。がらにもない穴にはまりこんだものだな。早くはいだすにこしたことはないぞ)と。
 南阿(なんあ)ブーラワーヨにあって、ここ何年間か暖めてきたさまざまな計画を考えるにつけても、断腸の想いがした。私には少々の小金があって、とても財産と呼べるような額ではないにしろ、私ふぜいには十分すぎるほどであった。そこで頭をしぼって、愉しい思いをしたいものと、あれこれ算段を練っていたのだ。
 六歳で父に連れられてスコットランドをあとにして以来、私は一度も帰国しなかった。だから、イギリスは私にとってアラビアン・ナイトのような夢幻の地であり、余生はここに埋めるつもりでいた。
 ところが、最初にその期待はくじかれてしまった。一週間で名所見物に倦き、一か月とたたぬうちに、料理店や劇場や競馬場にも食傷した。よき伴侶(はんりょ)となってくれる友人がいないのがその原因だったかもしれない。自分の屋敷に招待してくれた人も多勢いたが、それほど私に関心があるとは思えなかった。南アフリカについて一、二おざなりの質問をするだけで、さっさと勝手な話題に入ってしまうのである。齢(よわい)三十、心身ともに健全で、おおいに人生を謳歌(おうか)できるだけの金をもった男が、あくびに明け暮れるしまつである。大英帝国のどこを捜しても、私ほど退屈している男はいるまいということで、そろそろ荷物をまとめて、南アフリカの草原へもどろうと考えていた矢先だった。
 その日の午後、ちっとは頭を働かせねばというぐらいの気持で、仲買人のところへ投資の相談に行き、その帰路、ひいきのクラブへたち寄った――そこはクラブというより、植民地帰りの連中を顧客(とくい)にしている酒場、と称すべきものかもしれない。私はコップ酒をちびちびやりながら何種類かの夕刊に目をとおした。どの新聞も近東の不穏な雲行きでもちきりだった。
(中略)
 六時ごろ帰宅して、正装に着がえ、『カフェ・ロイヤル』で夕食をとってから、ミュージック・ホールへ足を向けた。が、おてんば娘や猿面の男どもの狂態をみせつけられて、長居(ながい)は無用とそこを出た。さわやかに澄んだ夜道を、私はポートランド・プレースの近くに借りているアパートまで歩いて帰ることにした。舗道の群衆が、せわしげにしゃべりながら、私を追い越していった。私にとっては、仕事のある連中が羨(うらやま)しくてならなかった。ああした女店員や事務員や遊び人や警官には、ともかくも人生にたいする興味があり、それが彼らを前進させているのだ。あくびをしている乞食(こじき)がいたので、半クラウン銀貨を恵んでやった。この男もわが党の士なのだ。オックスフォード広場まで来ると、私は春の夜空を仰いで誓いをたてた。あと一日だけこの国に猶予(ゆうよ)を与えてやろう。それでも何事も起こらないなら、次の便船で喜望峰(ケイプ)へ発(た)つまでである。
 私のアパートはランガム・プレイスの裏手にできた新しい建物の二階にあった。ありきたりの階段があり、玄関には守衛とエレベーター係がいたが、食堂とかそれに類するものはなかった。各アパートはたがいに他の部屋から完全に隔絶していた。私は使用人を家に住まわせるのが大きらいで、昼間だけ世話(せわ)しにきてくれる男を雇っていた。その男は毎朝八時前に来て、私が自宅で夕食をとらぬものだから、夜七時には帰っていく習慣だった。
 ちょうどドアに鍵をさし込もうとしたとき、そばに一人の男が立っているのに気がついた。近づいてくる姿を見なかったものだから、突如ぬっと出現した男の蔭に、思わずぎょっとなった。痩身に、みじかい茶色の顎髯(あごひげ)をはやし、小粒ながら鋭い目をした男だった。同じ建物の最上階に住んでいて、階段で朝夕のあいさつぐらい交わしたことのある仲だ。
「聞いていただきたいことがあるんですが、ちょっとお邪魔できますまいか」
 つとめて声を平静におさえながら、男は私の袖に手をかけた。
 私はドアを開けて、中にはいるよう手まねで合図した。男は敷居(しきい)を跨ぐがはやいか、ふだん私が煙草(たばこ)をふかしたり手紙を書いたりする奥の部屋へ駆けこんでいき、それからまた、いそいで飛びだしてきた。
「ドアの鍵はかかっているかな」
 熱にでも浮かされたような口ぶりでそう言うと、みずからドアの鎖(くさり)をかけた。
「すみません」と、彼は恐縮したように、「ぶしつけは重々承知のうえで、あなたならわかっていただけると考えて、お願いにあがったのです。事態が切迫してきたこの一週間というもの、ずっと、あなたのことを念頭においていました。ひとつ、お力添えいただけませんか」
「まずお話をうかがいましょう。それ以上のことはお約束できません」
 おどおどした男の奇怪な態度を、私はすこし迷惑に思いはじめた。
 そばのテーブルに酒壜(びん)を並べた盆がのっていたので、彼は強いウィスキー・ソーダをつくって飲んだ。わずか三口でそれを飲みほすと、音をたててグラスを置いた。
「失礼しました。今夜はどうも気が立ってますのでね。いま現在、あなたの目の前にいる私は、死人なんですよ」
 私は肘掛椅子(ひじかけいす)に腰をおろし、パイプに火をつけて、
「死人になった気持はいかがです?」
 と、たずねた。
 気違いのお相手をしなければならぬことが、ほぼ確実になってきた。

……冒頭より


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