「七破風の屋敷」

ナサニエル・ホーソン/鈴木武雄訳

ドットブック版 351KB/テキストファイル 327KB

600円

「秘密にみちた恐ろしい過去の呪い」にしばられたピンチョン家の館……そこを舞台に繰りひろげられる、罪と報いと救いの物語。ピューリタン的伝統の色濃い1840年代アメリカ・ニューイングランドの歴史と雰囲気が背景をなす重厚な作品だが、登場人物たちは非常に個性的で、巧みな脇役とともに、その日常の描写はユーモラスでもある。

ナサニエル・ホーソン(1804〜64)アメリカの小説家。マサチューセッツ州のピューリタンの旧家の生まれ。大学卒業後も生まれ故郷のセーレムに住み、なかば隠遁的生活をしながら創作に精を出した。短編集「トワイス・トールド・テールズ」(1837)でようやく作家として認められた。初期作品のほとんどは歴史を扱った小品であり、植民地ニューイングランドにおける倫理的葛藤と、ピューリタニズムの影響を描いている。結婚後は生活のため税関に勤務した。1850年に発表した「スカーレット・レター」は成功を博し、あいついで代表作「 七破風の屋敷」「ブライズデール・ロマンス」が書かれた。メルヴィルとの親交もよく知られている。

立ち読みフロア


 ニューイングランドのある町の横町を半分ほどはいると、あちらこちらの方角に顔を向けている、屋根の鋭くとがった七つの破風《はふ》と、中央部に、ばかに大きな一本のたばね煙突とを持っている、一軒の古めかしい木造家屋が立っている。そこの通りが「ピンチョン通り」である。その家が古い「ピンチョン屋敷」である。それに、回りいっぱいに枝葉を広げ、その家の玄関前に根を張った一本の楡《にれ》の木は、「ピンチョン楡」の呼び名で、この町生まれのだれにでも親しまれている。私が、今述べたその町を時おり訪れるときは、ピンチョン通りへ折れて通らぬことはめったにない。それというのもこの二つの古代の遺物――楡の大樹と、風雨にさらされた大きな邸宅──の陰を通り過ぎたいからである。
 その古めかしい豪壮な屋敷のおもかげは、外の暴風雨や日光だけでなく、内で過ごした人生の長い推移や、それに伴う運命の浮き沈みを表わす跡をとどめていて、まるで人間の顔つきのようにいつも私を感動させた。もしこうしたことを手ぎわよく語るとすれば、少なからず興味と教訓があり、あまつさえすっかり芸術的に配列した結果かと思われそうな、驚くほど、ある統制のとれた物語となるであろう。しかしこの話は、ほぼ二世紀にも及ぶ一連の出来事を含むであろうし、それに、十二分に書くとすると、同じ時代の全ニューイングランド年代史用として慎重に割り当てられる本より、もっと分厚なフォーリオ版か、もっとたくさんの四六版双書をぎっしり埋めるだろう。したがって、「ピンチョン古屋敷」、または別の通り名「七破風の屋敷」を主題にしている口碑《こうひ》伝説の大部分を、どうしても簡略にする必要が起こってくる。それゆえ、この家の土台が築かれたその間の事情をてみじかに述べ、そして始終東風に吹きつけられて黒ずんできた、古風な趣のある家の外側へちらりと視線を走らせながら──また、ここかしこ、屋根や壁のひときわ緑濃いこけむす所を指さしながら──今日をさかのぼってそう遠くない時代からこの物語の本筋を始めよう。それでさえ、遠い過去との関連――忘れ去られた事件や人物とか、ほとんど、あるいは完全にすたれてしまった風習や、感情や、意見などへの参照──があるだろう。そしてそのような関連は、もしうまく読者に伝えられるなら、どんな清新な珍しい人生模様を織りなすにも、どれだけ多くの古い資料が使われるものかを例証してくれるだろう。また、この結果、ほとんど世に無視されている真理から、ある重要な教訓が引き出せるかもしれないのだ。すなわちその真理とは、現在の世代の行ないが、はるかな遠い未来に、善果あるいは悪果をおそらく産み、また産まずにはおかない胚種《たね》であるということ、また、人間が「便宜」という名で呼んでいる、ほんのかりそめの間にすぎない作物の種子といっしょに、まだまだいつまでもおい茂り、自分たちの末孫へ陰気な暗い影を落とすような樫《かし》の実を、人間は必然的に蒔《ま》きつけるのだということである。
「七破風の屋敷」は、今は古めかしい姿でいるが、この同じ場所に文明人が建てた最初の住宅ではなかった。「ピンチョン通り」は、もともとその土地に住んでいた男の名前から「モールの小路」という、もっと粗末な呼び名を持っていて、その男の、いなか家表の牛追い道だった。軟水で口ざわりのよい天然泉水──それは、清教徒植民地が作られている、海に囲まれたこの岬《みさき》ではまれに見る宝であった──が早くからマシュー・モールの気をひいていて、当時の村の中心であった場所からはちょっと遠すぎたが、この地点へむさ苦しい草ぶきの一軒の小屋が建ったのだった。しかし、およそ三、四十年もたち、町が大きくなるにつれ、この粗末なあばら屋が占めている敷地が、身分の高い有力な、ある人物の目に、むしょうにほしく映ってしまった。それでその人は、この土地と、隣接する広大な地域の所有権に対して、議会から認可された譲渡証書をたてに誠しやかな所有権を主張した。ピンチョン大佐というその権利主張者は、今もなお伝えられているこの男のあらゆる気性から察すると、鉄のように意志強固な性格であったらしい。一方、マシュー・モールは、名もない男ながら、自分の権利と考えるものを頑固《がんこ》に守ってきかなかった。そして自分でせっせと働いて、原始林から切り開き、自分の庭や宅地に仕上げた一エーカーか、二エーカーのこの土地を、数年の間、うまく守り通した。この争議に関して現在残っている文書は何ひとつ知られていない。この問題全部についてわれわれが知っている事柄は、大部分伝説に由来している。それゆえ、この事件の理否について決定的な意見を断言することは大胆であろうし、またことによると不正とさえなるだろう。とはいうものの、ピンチョン大佐の要求が、マシュー・モールのちっぽけな地所まで引っくるめてしまおうとして、不当に拡大されたのではないかということが、少なくとも疑惑の種であったらしい。このような疑念をはなはだしく強めるものは、次の事、つまり身分違いなふたりの反目者間のこの論争が──それに、どんなにご時世をほめそやしたところで、個人の勢力が今よりはるかに重い威圧を持った時代であるのに──何年も未解決のまま残されて、かかりあいの土地に住んでいる相手が死んで、やっと結着したという事実である。また、その男の死にざまが人の心に与えた影響ぶりは、今から一世紀半も昔と、今の世とではまるで違う。それは、そのあばら屋の住人のいやしい名が無気味な恐怖でのろわれるほどの死にざまであったし、また、その男が住まった小さな地所を鋤《すき》で掘っくり返し、男の住所も名前も人々の頭から抹殺するほうが、宗教的な行為であるとさえ、いえるほどであったのだ。
 マシュー・モール老人は、要するに魔法使いの罪で死刑に処せられたのだ。

……巻頭より


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