「砂漠の叛乱」

T・E・ロレンス/安引宏訳

ドットブック版 222KB/テキストファイル 177KB

600円

第一次世界大戦中、中東の砂漠を舞台に対トルコ・ゲリラ戦を指導して「アラビアのロレンス」の異名をとったT・E・ロレンスの自伝。アラブ独立の大義をめざしながらの歓喜と懊悩をつづったこの回想録は、人間の内面の非常にすぐれたヒューマン・ドキュメントでもある。

T・E・ロレンス(1888〜1935)「アラビアのロレンス」として知られる英国のアラブ工作員、冒険家。ウェールズ生まれ。オックスフォード大在学中にホガース博士に中東考古学の指導を受け、1911年にはイラクの遺跡発掘事業、13年にはシナイ半島測量隊に参加した。第一次世界大戦が勃発すると、英国のエジプト中東局情報部の一員として活躍、16年のメッカの太守フセインのアラブ独立をめざす挙兵に際しては、カイロから軍事顧問として派遣されたが、軍の意向から離れて神出鬼没の対トルコ・ゲリラ戦を指導した。ヴェルサイユ講和会議で活躍したが、夢やぶれて自棄的な暮らしを送り、オートバイ事故で不慮の死をとげた。

立ち読みフロア

 五日後、われわれはムドウワラのすぐそば、鉄路から半マイルたらずの地点にいた。部隊を三十フィートの深さをもつ山あいにとどめ、数人が徒歩で線路まで偵察に行く。線路はわれわれの立つ高台を避けて、わずかに東側に迂回していた。高台のはしは線路より五十フィート高く、平坦で、山あいにむかって北を指している。
 鉄道はたかい堤を走って窪地をわたる。堤には降水時の水はけのために、アーチのふたつある橋がかかっていた。ここなら爆薬をしかける場所として申しぶんあるまい。何しろ電気仕掛けで爆破をやるのは初めてのことだから、なにが起こるか、まったく見当がつかない。とはいえ、アーチの下に爆薬をしかければ、仕事はより確実になることだけはわかった。機関車をやれるかどうかは不明だが、少なくとも橋はふっとぶだろうし、そうなれば後続の客車が脱線することはまちがいないからだ。
 ラクダどものところに戻って積荷をおろし、アラブ人が塩をとったために根もとがえぐれている岩のそばの安全な草原に放してやる。解放奴隷たちがストーク砲と砲弾を、ルイス機関銃を、爆薬と絶縁電線を、小型磁石発電機やさまざまな道具類を、決めた場所まで運んでいった。ふたりの教官が担当の教材を高台のうえに組み立てているあいだに、われわれは橋まで降りて、二本の鋼鉄の枕木のあいだに、五十ポンドの爆薬を隠しておく穴を掘った。別々に詰めてある薬品の栓の包装をはぎとり、混ぜ合わせ、太陽熱の力を借りてジェリー状の爆薬に仕立てて砂袋につめる。
 これを埋めるのはひと仕事だった。堤防が丘で、しかも堤防と丘腹にはさまれた窪地には、風の運んだ砂の吹きだまりがあった。ここを横切ったのはわたしひとりで、ずいぶん足もとに注意したつもりだったが、やはりなめらかな砂のうえに大きな足跡をのこす羽目になった。そのうえ、線路から掘り起こした砂利も上着に包んで、何度も排水溝まで運び、ちょうど砂利でできている水路の床《ゆか》に、目立たないようにすてなければならない。
 穴を掘り、爆薬を埋めるだけで、かれこれ二時間もかかってしまう。次がまた大仕事で、重い電線をほどいて爆薬の雷管と、電鍵を押して爆発させる予定の丘とを結ばなければならない。砂の表面は固くクラストしているから、電線を埋めるには、まずこれを割ることからはじめるしかない。この電線がまた、なかなか思うようになってはくれず、風紋のうえに途方もなく細長くて重たい蛇がのたくったような跡を刻みつけてしまう。しかもこちらを押さえれば、むこうのほうがひょいとはねあがるしまつ。とうとう大きな石を重しにしておさえこむしかなくなってしまったが、そのためには石まで埋めなければならず、砂のうえに残る痕跡はいっそう大きくなるばかりだった。
 埋めたあとは、砂袋で固めねばならず、風紋のうえに転々と砂袋の跡が残るのを仕上げに上着で砂をあおぎたて、そっと掃いて、なめらかにならし、いかにも風のしわざのように見せかける。すべてが完了するまで五時間もかかった。が、出来栄えはみごとで、わたしだけでなく誰の目にも、どこに爆薬が埋めてあるのか、そこから二百ヤード離れた起爆地点まで二本の電線が、どういうふうに地下を走っているのか、見当がつかないまでになった。起爆地点のすぐうえの尾根には狙撃兵が配置につくはずである。


……「五 巡礼鉄道分断作戦」より


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