メグレ警視シリーズ8

「メグレと深夜の十字路」

ジョルジュ・シムノン作/長島良三訳

ドットブック版 91KB/テキストファイル 93KB

500円

保険代理人ミショネの自宅車庫から自慢の新車が消え、かわりに隣人アナセンのおんぼろ車が。アナセンの車庫で発見された新車の運転席には、至近距離から胸を撃たれた宝石商ゴードバーグの死体があった。パリ近郊の《三寡婦(かふ)の十字路》を舞台に、重厚で、異様な雰囲気と、強烈なサスペンスにみちたメグレもの初期の傑作。
立ち読みフロア
メグレのオフィスではいままでよりもはげしくストーブが燃えしきっている。テーブルの上には、空のジョッキが二つと、サンドイッチの残りが載っている。
 どこかで火事があったにちがいない。消防自動車のけたたましいサイレンが聞こえた。それに、手入れもあった。警視庁を二時頃出た囚人護送車が、遅くなって拘置所の中庭にもどってきて、獲物を吐き出したのである。
 その間も、尋問はつづけられている。
 一時間おきか、あるいは二時間おきに、そのときの疲れぐあいで、メグレはボタンを押す。隣の刑事部屋でまどろんでいるリュカ部長刑事が起きてきて、警視のメモにちらっと目をやって、後を引き継ぐのである。
 メグレのほうは簡易ベッドに横になり、新しい力を補っては、また尋問にもどるのだった。
 警視庁は人気(ひとけ)がなかった。風紀取締班へのちょっとした出入り。風紀取締班の刑事が午前四時頃、麻薬密売者を連行してきて、あっさりと白状させてしまったのだ。
 セーヌ川は乳白色の霧につつまれていたが、やがて陽が出て、人通りのない河岸を照らした。廊下に足音が鳴り響いた。電話のベル。人を呼ぶ声。ドアがばたんと閉まる音。掃除婦の箒(ほうき)の音。メグレは熱しすぎたパイプをテーブルに置いて立ち上ると、容疑者を足の先から頭のてっぺんまでながめた。不機嫌な表情だったが、感嘆せずにはいられないという気持も抑えきれなかった。十七時間にわたる息の詰まるような尋問! 尋問をはじめるにさいしてはカール・アナセンの靴紐を抜きとり、カラーとネクタイをはずし、ポケットを空にした。
 最初の四時間は、カール・アナセンをオフィスの真中に立たせ放しにして、機関銃の弾丸よりもはげしく質問を浴びせたのである。
 「喉が渇くか?」
 メグレは四杯目のジョッキだった。容疑者は弱々しくほほえんだが、ジョッキを差し出されるとがつがつと飲んだ。
 「腹は減っていないか?」
 こんどは容疑者を坐らせる。ついでまた立たせ、何も食べさせずに七時間放っておく。そのあとでサンドイッチをあたえる。容疑者がサンドイッチをむさぼり食っている間に、また質問攻めにするのだ。
 尋問には二人が交代であたった。そのため自分の番でないときには、眠ることだって、伸びをすることだってでき、単調な尋問の苦しさから逃れられたわけである。
 しかし、尋問をあきらめたのはメグレたちのほうだった! メグレは肩をすくめ、引出しのなかの冷えたパイプを取り出すと、汗ばんだ額をぬぐった。

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