「アダムとイヴの日記」

マーク・トウェイン作/佐山栄太郎訳

ドットブック 155KB/テキストファイル 29KB

400円

 旧約聖書の「創世記」に登場する、あまりにも有名なアダムとイヴ。この人類最初の男と女が、もし日記をつけていたら? 米文学屈指の文豪マーク・トウェインが想像力を駆使し、巧みな文体で描きわけた男女の日記。抱腹絶倒、奇想天外なアダムとイヴの赤裸々な私生活。フェミニストのアダムは最後に語る。「彼女が誰であったにせよ、《そこに》エデンがあった」

マーク・トウェイン(1835〜1910)ミズーリ州の寒村生まれのアメリカの作家。皮肉たっぷりのユーモアや痛烈な社会批判をアメリカ英語で展開、現代アメリカ文学の先駆者のひとり。本名サミュエル・ラングホーン・クレメンス。12歳のとき、父の死により、印刷屋の従弟になり、その後新聞社で植字工として働き、かたわら、小品の投稿を始めた。30歳のときに発表して、のちに「その名も高きキャラベラス郡の跳び蛙」と改題された作品で、一躍有名になった。東部の上流階級の娘と結婚、その後はニューヨーク州バファローで暮らし、その後コネティカット州ハートフォードに移った。このころに書かれた三部作「トム・ソーヤーの冒険」「ミシシッピ川上の生活」「ハックルベリ・フィンの冒険」は、「王子と乞食」とならんで代表作となった。

立ち読みフロア

火曜日
 彼女はわたしの体からとった肋骨から造られたのだとわたしに話した。これはうそでないまでも、少なくとも疑わしい。わたしは肋骨が足りないと思ったことはない。……彼女はノスリ(ハゲタカの類)でたいへん困っている。草食はそれに合わないと言い、どうも飼育できそうもない、腐肉を食べるようにできているのだと思っている。ノスリは、あてがわれたものでせいぜいやって行ってもらわねばならない。ノスリの便宜を計って全機構を引っくり返すわけには行かない。

土曜日
 彼女は昨日池に映る自分の姿を見ていて池に落ちた。池で姿見をするのはいつものことだ。あやうく窒息しそうになり、とても気持ちがわるかった、と言った。それで、池に住んでいる生きものが可哀そうだというのだ。彼女はこの生きものを魚と呼ぶ。名前なんか必要でもないし、その名で呼んだって来もしない物にも、相変わらず名をつけているわけだ。呼んで来ようが来まいが彼女にはどうでもよいのだ、どっちみち彼女はそういう阿呆だ。そんなわけで彼女は、昨晩は沢山の魚を池から取って来て、暖めておくようにわたしのベッドに入れた。しかしわたしは一日じゅう時々彼らの様子を見て、ベッドの中では以前のように楽しそうではなく、ただもっと静かにしているだけであるのを知った。夜になったら、彼らを外に投げ出してやろう。もう二度と彼らと一緒に寝ない、何も着ないで魚どもの間に寝るのは、冷たくぬらぬらして気持ちが悪いからだ。

日曜日
 どうにかやってのけた。

火曜日
 彼女は今度は蛇に気をとられている。他の動物たちは喜んでいる。というのは、彼女はしょっちゅう動物を実験して悩ましていたからだ。そしてわたしも嬉しい、蛇は口をきくし、これでわたしもひと休みできるからだ。

……「第一部 アダムの日記抄」より


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