「アエネイス」

ウェルギリウス/ 小野塚友吉訳

ドットブック版 365KB/テキストファイル 257KB

800円

古代ローマの建国神話叙事詩。トロイアの王子で女神ウェヌスの息子であるアエネアスは、トロイア陥落後、海上へと逃れカルタゴに着く。アエネアスは女王ディドに歓迎され、二人は相愛の仲となるが、天命には逆らえず、アエネアスはイタリアめざして出発する。ディドは別離に耐え切れず火炎に身を投じて自死する。ラティウムに上陸したアエネアスは、現地の王とルトゥリ族長トゥルヌスとの連合軍の執拗な抵抗に直面するが、ついにトゥルヌスを倒してローマの礎を築く。「アエネイス」は「アエネアスの歌」の意で、ラテン文学の最高傑作とされる。この作品の執筆にウェルギリウスは11年を費やしたが、未完に終わった。彼は死の前に草稿の焼却を望んだが、アウグストゥスが刊行を命じたため世に出ることになった。この作品は単に神話的英雄を謳うにとどまらず、当時内乱を終結させたローマの実力者アウグストゥスの治世をアエネアスに仮託し、褒め称える構造をもっている。原文は韻文であるが、この翻訳は親しみやすい散文訳でおくる。

ウェルギリウス(前七〇〜前一九)古代ローマのアウグストゥス時代、「ラテン文学黄金時代」の最高峰に位置する詩人。北イタリアの現マントヴァ付近に生まれ、ローマで高等教育を受けた。法律家を断念してからは 自家の農園で詩作に没頭、「詩選」「農事詩」で認められ、アウグストゥスの愛顧をえた。大作「アエネイス」には11年の時間をかけたが、未完のまま旅の途上で没した。

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第一巻 カルタゴへ着く

【概要】
 十年間決着がつかなかったトロイア戦争が、十一年目に入り、ギリシア軍の「木馬の計」によって、あっと言う間にトロイアが陥ちて、栄華を誇ったトロイアが運命の女神たちに見離されようとしていた。すべての神々もトロイアは壊滅すると予期していた。
 ところが、運命の女神たちはトロイアを見離さなかった。その再興を画していた。女神たちが再興を託したのはトロイアの王族アエネアスであった。
 祖国の再興を託されたアエネアスが船団を率いてトロイアを出港して七年、ようやく宿願の地イタリアへ着こうとしていた。故国喪失、そして、長い苦難の亡命の旅、やっと希望が見えてきた、と人々は安堵の胸をなでおろした。ところが、それも束の間、間もなく、海をひっくり返すような大嵐に襲われる。彼らの無事を喜ばぬある女神の仕業であった。船団は、大半が難破、残った七隻が最寄りの陸へ向かう。アフリカのフェニキア人の植民都市、カルタゴであった。市を建設統治するのは女王ディド。アエネアスは、母神ウェヌスの加護により、女王の宮殿に招かれることになる。
 トロイア王族の残党アエネアスとフェニキアから亡命したカルタゴの女王ディド、二人の奇遇から物語が展開してゆく。

   *****

 その昔、神々の定める運命のままに、トロイアの海岸を船出してイタリアのラウィニウムの海岸にたどりついた英雄がおりました。その長い亡命の旅はたいへん過酷なものでした。それというのも、英雄を憎む女神ユノの憤りはいつまでも鎮まらず、陸に海に嵐を呼び、あるいは、戦さを仕向けて英雄をさいなみつづけたのです。しかし、英雄はことごとく困難をうち退けて、ラティウムの地に新しい市を建設し、故国の神々をお遷ししたのです。のち、この地に、ラテン民族が誕生し、アルバ諸公が現われてローマの高い城壁を築くことになります。

 詩の女神ムーサのみなさま、今こそ、お明かしください。神々の女王におわすユノが、何に誇りを傷つけられ、何にお憤りなされるのか。あれほど敬虔な男に、なぜ、数しれぬ苦難と試練の日々をお与えなさるのか。これほどむごい憤りが神々の胸に宿ることがあってよいものでしょうか。

 話は更にさかのぼりますが、フェニキアのテュロスの人々がアフリカのリュビュアに移り住んで市を創建しておりました。この市は「カルタゴ」と呼ばれていましたが、今では、戦さに強い、豊かな富を誇る立派な市になりました。市は、海を隔てて遥かにイタリアのティベル河口に向かい合っています。噂によると、女神ユノは、他のどこよりも、例えば、女神の主殿のあるサモス島よりも、このカルタゴをひいきにしているのだそうです。また、この市では、女神がお召しになった甲冑や戦車を、今も、市民たちが伝え護っているとも聞いております。いえ、それだけではありません。女神には、もっと大きな野心がおありだそうです。もし、運命の女神たちの許しが得られるなら、この市を世界の首都にするのだ、と女神は願っているとのことです。ところが、そんな願いをうち砕くような噂が、つい先頃、女神の耳に届いたのです。
 それは、間もなく、トロイア王家の血を承けた種族が現われ、テュロス人のカルタゴを陥(おと)してリビュアを崩壊し、いつの日か、その子孫が王となって広い領土に君臨する、というのです。しかも、運命の女神たちは、すでに、そう定めているらしいのです。トロイアの戦さに勝利してやれやれと思ったのも束の間、早くも新しい悩み、心の安らぐ暇もありません。あの戦さで、女神はギリシアのために戦いました。と言うのも、女神の尊厳を傷つけられた悔しい思い出が忘れられなかったのです。女神の尊厳、平たく言えば、女性の美しさを否定された屈辱でした。常々、女神は最も美しい女神と自負しておりました。これは、オリュンポスの大神ユピテルの妻としては当然のことですが、この誇りを否定されたのです。トロイアのパリスが、最高に美しい女神、と指名したのはウェヌスでした。パリス憎しはトロイア憎しとなりました。
 これに輪をかけるような不快なことが起こりました。夫ユピテルが、姿を鷲に変えてトロイアへ飛び、美男の王子ガニュメデスをさらってきて己の小姓にしてしまいました。パリス憎し、トロイア憎し、ウェヌス憎しが募りに募って執念の憤りとなり、憤りの矛先は女神ウェヌスの子アエネアスに向けられました。みずから決意したのではなく、神々の勧めによって祖国再興の旅に船出したアエネアスでしたが、何年も海上をさすらい、目指すラティウムには容易に着くことができませんでした。ローマ人が生れるまでには大きな試練を経なければならなかったのです。
 さて、その英雄の率いる船団ですが、今、ようやく長い苦難の旅を終ろうとしていました。シチリアの沖を過ぎ、ほどなく目指すラティウムが見えてくるはずです。帆をいっぱいに広げ、青銅の竜骨を突き立て、泡なす波を蹴って船団が快走して行きます。船員たちの心が弾みます。これを、女神ユノがずっと空から眺めていました。突然、胸の憤りをぶちまけます。
「どうなっているの。私の願いは諦めなさいというのかしら。トロイアの王を、このまま、イタリアに上陸させてしまえ、というのかしら。そうなったら私の負けだわ。運命の女神たちは私の願いを聞いてくれなかったのかしら。あのミネルウァはどうなの。あんなに凄い力をふるえたじゃないの。オイレウスの子アイアスが、彼女の神殿で犯したたった一つの罪に腹を立て、帰国するギリシアの船団を戦士もろとも海上で焼きつくしてしまったじゃないの。ユピテルの雷光を、彼女の手でうち放ち、突風を渦巻かせて群船を蹴散らし、アイアスの胸に雷電を貫いて岩に打ちつけてしまったじゃないの。それにくらべ、女神たちの女王であり、ユピテルの姉妹でも妻でもあるこの私が、これから何年も、あのトロイアの者らと闘わねばならないなんて、がまんならないわ。こんなことでは、このユノの神威を崇めて祭壇に供え物をする者などなくなってしまうわ」
 燃えさかる憤りを抑えることができません。早速、「嵐」の里アエオリアを訪れます。ここでは、猛り狂う嵐たちや吠え叫ぶ強風たちを、王アエオルスが、巨大な洞窟に閉じ込めて見張っているのです。強風たちが、体を洞窟の壁に、ぶちつけこすりつけて、出番を待っています。ごう音があたりの山々にこだましています。高い城壁の上では、アエオルスが、王笏(おうしゃく)を手にして、彼らの猛(たけ)る心をなだめ抑えています。一瞬でも目を離すと、ただちに彼らは飛び出して海を裸にし、分厚い陸も深い空もなにもかもすべてを虚空の彼方に吹き飛ばしてしまうのです。これを恐れて、ユピテルは、深い闇の洞窟に彼らを閉じこめ、上に岩山を配して、支配する王にアエオルスを任じていました。王は、ユピテルの意を迎えて、手綱を自在に括(くく)って彼らを支配することができるのです。この王に、ユノは胸の不満を訴えます。

……冒頭より

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