「顎十郎捕物帳」(上)

久生十蘭/作

ドットブック版 288KB/テキストファイル 174KB

600円

顎十郎(あごじゅうろう)、本名は仙波阿古十郎(せんばあこじゅうろう)。「眼も鼻も口もみな額際(ひたいぎわ)へはねあがって、そこでいっしょくたにごたごたとかたまり、厖大(ぼうだい)な顎が夕顔棚の夕顔のように、ぶらんとぶらさがっている」ために付いたあだ名。それでも武士のはしくれで、頭のほうは抜群によくきれる。江戸末期に起こる謎の出来事を、快刀乱麻、もののみごとに解明してみせる、エスプリにあふれた現代感覚の時代ミステリー。全部で24編の作品のうち、この巻には11編を収めた。

久生十蘭(ひさおじゅうらん 1902〜57)函館生まれ。本名阿部正雄。東京の聖学院中学を中途退学。「函館新聞」で記者生活を送るが、のちに上京して、岸田国士(くにお)に師事し、演劇活動に傾倒。さらに雑誌「新青年」を舞台に執筆活動を展開。52年、「鈴木主水」で直木賞を受賞。他の主な著書に「魔都」「平賀源内捕物帳」「十字街」「黄金遁走曲」などがある。

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 もう秋も深い十月の中旬(なかば)。
 年代記ものの黒羽二重(くろはぶたえ)の素袷(すあわせ)に剥(は)げちょろ鞘(ざや)の両刀を鐺(こじり)さがりに落しこみ、冷飯草履(ひゃめしぞうり)で街道の土を舞いあげながら、まるで風呂屋へでも行くような暢気(のんき)な恰好(かっこう)で通りかかった浪人体(てい)。船橋街道、八幡(やわた)の不知森(しらずのもり)のほど近く。
 生得(しょうとく)、いっこう纒(まと)まりのつかぬ風来坊。二十八にもなるというのに、なんら、なすこともなく方々の中間部屋でとぐろを巻いて陸尺(ろくしゃく)、馬丁(べっとう)などという輩(てあい)とばかり交際(つきあ)っているので、叔父の庄兵衛がもてあまし、甲府勤番(きんばん)の株を買ってやったが、なにしろ、甲府というところは山ばかり。勤番衆といえば名だけはいかめしいが、徳川もそろそろ末世で、いずれも江戸を喰いつめた旗本の次男三男。端唄(はうた)や河東節(かとうぶし)は玄人跣足(くろうとはだし)だが、刀の裏表も知らぬようなやくざ侍ばかり。
 やくざのほうでは負(ひけ)は取らないが、その連中、気障(きざ)で薄っぺらで鼻持ちがならない。すっかり嫌気がさして甲府を飛びだし、笹子(ささご)峠を越えて江戸へ帰ろうとする途中、不意に気が変って上総(かずさ)のほうへひン曲り、半年ばかりの間、木更津(きさらず)や富岡(とみおか)の顔役の家でごろごろしていたが、急に江戸が恋しくなり、富岡を発(た)ったのがつい一昨日(おととい)。今度はどうやら無事に江戸まで辿(たど)りつけそう。
 諸懐手(もろふところで)。袂(たもと)を風にゆすらせながら、不知森のそばをノソノソと通りかかると、薄暗い森の中から、
「……お武家、お武家……」
 たいして深い森ではないが、むかしから、この中へ入ると祟(たた)りがあると言いつたえて、村人はもちろん、旅の者も避けるようにして通る。
 絶えて人が踏みこまぬものだから、森の中には落葉が堆(うず)高く積み、日暮れ前から梟(ふくろう)がホウホウと鳴く。
 仙波阿古十郎(せんばあこじゅうろう)、自分では、もう侍などとはすっぱり縁を切ったつもり。いわんや、古袷(ふるあわせ)に冷飯草履、どうしたってお武家などという柄じゃない。そのまま行きすぎようとすると、
「……そこへおいでのお武家、しばらく、おとどまり下さい、チトお願いが……」
 こうなれば、どうでも自分のことだと思うほかはない。呼ばれたところで踏みとどまって、無精(ぶしょう)ッたらしく、
「あん?」
 と、首だけをそっちへ振りむける。……いや、どうも、振るった顔で。
 どういう始末で、こんな妙な顔が出来あがったものか。
 諸葛孔明の顔は一尺二寸あったというが、これは、ゆめゆめそれに劣るまい。
 眼も鼻も口もみな額際(ひたいぎわ)へはねあがって、そこでいっしょくたにごたごたとかたまり、厖大(ぼうだい)な顎(あご)が夕顔棚の夕顔のように、ぶらんとぶらさがっている。唇の下からほぼ四寸がらみはあろう、顔の面積の半分以上が悠々と顎の分になっている。末すぼまりにでもなっているどころか、下へゆくほどいよいよぽってりとしているというのだから、手がつけられない。
 この長大な顎で、風を切って横行濶歩するのだから、衆人の眼をそば立たせずには置かない。甲府勤番中は、陰では誰ひとり、阿古十郎などと呼ぶものはなく、『顎』とか『顎十』とか呼んでいた。
 もっとも、面とむかってそれを口にする勇気のあるものは一人もいない。同役の一人が阿古十郎の前で、なにげなく自分の顎を掻いたばかりに、抜打ちに斬りかけられ、危(あやう)く命をおとすところだった。
 またもう一人は、顎に膏薬を貼ったまま阿古十郎の前へ出たので、襟首をとって曳きずり廻されたうえ、大溝(おおどぶ)に叩きこまれて散々な目に逢った。阿古十郎の前では、顎という言葉はもちろん、およそ顎を連想させるしぐさは一切(いっさい)禁物なのである。
 そういう異相を振りむけて、森の木立の間を覗(のぞ)きこんで見ると、『八幡の座』と呼ばれている苔(こけ)のむした石の祠(ほこら)のそばに、払子(ほっす)のような白い長い顎鬚をはやした、もう八十に手がとどこうという、枯木のように痩(や)せた雲水(うんすい)の僧が、半眼を閉じながら寂然(じゃくねん)と落葉の上で座禅を組んでいる。
 阿古十郎は、枯葉を踏みながら、森の中へ入って行くと、突っ立ったままで、懐中から手の先だけだして、ぽってりした顎の先をつまみながら、
「お坊さん、いま、手前(てまえ)をお呼びとめになったのは、あなたでしたか」
「はい、いかにも、さよう……」
「えへん、あなたも、だいぶお人が悪いですな、わたしがお武家のように見えますか」
「なんと言われる」
「手前は、お武家なんという柄じゃない、お武家(ぶけ)から《にごり》を取って、せいぜい御普化(おふけ)ぐらいのところです」
「いや、どうして、どうして」
行(ぎょう)というのは、まあ、たいていこうしたものなんでしょうが、でも、こんなところに坐っていると冷えこんで疝気(せんき)が起きますぜ。……いったい、どういう心願(しんがん)でこんなところにへたりこんでいるんですか」
「わしはな、ここであなたをお待ちしておったのじゃ」
「手前を?……こりゃ驚いた。手前は生れつきの風癲(ふうてん)でね、気がむきゃ、その日の風しだいで西にも行きゃあ東にも行く。……今日は自分の足がどっちへむくのか、自分でもはっきりわからないくらいなのに、その手前がここを通りかかると、どうしてあなたにわかりました」
 老僧は、長い鬚をまさぐりながら、
「この月の今日、申(さる)の刻(こく)に、あなたがここを通りあわすことは、未生前(みしょうぜん)からの約束でな、この宿縁をまぬかれることは出来申さぬのじゃ」
「おやおや」
「わしは、前の月の十七日から、断食をしながらここであなたが通るのを待っておった。……わしがここへ坐りこんでから、今日がちょうど二十一日目の満願の日。……これもみな仏縁、軽いことではござない」
 老僧は、カッと眼を見ひらくと、まじろぎもせずに阿古十郎の顔を凝視(みつ)めていたが、呟(つぶや)くような声で、
「はあ、いかさま、な!」
 慈眼ともいうべき穏かな眼なのだが、瞳の中からはげしい光がかがやき出して、顎十郎の目玉をさしつらぬく。総体、ものに驚いたことがない顎十郎だが、どうも眩(まぶ)しくて、まともに見返していられない。思わず首をすくめて、
「お坊さん、あなたの眼はえらい目ですな。……まぶしくていけないから、もうそっちをむいて下さい」
 老僧は、会心(かいしん)の体(てい)でいくども頷(うなず)いてから、
「……なるほど、見れば見るほど賢達理才(けんたつりさい)の相。……睡鳳(ずいほう)にして眼底に白光(びゃっこう)あるは遇変不※(ぐうへんふぼう)(※は「目へん」に「毛」)といって万人に一人というめずらしい眼相。……天庭(てんてい)に清色(せいしょく)あって、地府(ちふ)に敦厚(とんこう)の気促(きそく)がある。これこそは、稀有(けう)の異才。……さればこそ、こうして待ちおった甲斐があったというものじゃ」
 顎十郎は、すっかり照れて、首筋を撫でながら、
「こりゃどうも……。せっかくのお褒(ほ)めですが、それほどのことはない。……生れつき、ぽんつくでしてね、いつも失敗ばかりやりおります。……今度もね、甲府金(こうふきん)を宰領して江戸へ送るとちゅう、何だか急に嫌気がさし、笹子峠へ金をつけた馬を放りだしたまま、上総まで遊びに行って来たという次第。……とても、賢達の理才のというだんじゃありません」
 のっそりと跼(かが)んで、
「まあ、しかし、褒められて腹の立つやつはない。おだてられるのを承知で乗りだすわけですが、二十一日も飲まず喰わずで手前を待っていたとおっしゃるのは、いったいどういう次第によることなんで」
「じつは、少々、難儀なことをお願いしたいのじゃ」

……「捨公方」冒頭より


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