「赤毛のアン」

モンゴメリ/神山妙子訳

ドットブック版 495KB/テキストファイル 270KB

500円

赤毛でそばかすだらけ、自分のいやなところもたくさんあるけど、旺盛な想像力と速射砲のようなおしゃべりでカバー、マシュウとマリラの兄妹にひきとられた孤児アンは、プリンス・エドワード島の「グリーン・ゲイブルズ」に安住の地をみつける。世界中で愛される「アン物語」の出発点。

ルーシー・ モード・モンゴメリ(1874〜1942)はカナダのプリンス・エドワード島生まれ。祖父母に育てられ、大学を出たあと故郷の島で教職についたが、祖母を助けて郵便局の仕事にたずさわる。31歳のときに書いた「赤毛のアン」が3年後に日の目をみると、たちまちベストセラーとなった。以後、「アン物語」は8編のシリーズとなった。

立ち読みフロア

 マシュウ・カスバートと栗毛の雌馬は、ブライト・リヴァへの八マイルの道のりをのんびりと楽しんでいた。それはこじんまりとした農場の間を走っているきれいな道で、樅《もみ》の林をぬけるかと思うと、野生のすももがかすみのような花をたらしている窪地を過ぎることもあった。辺《あた》りはあちこちのりんご園から漂ってくる香りにつつまれ、牧場はなだらかな勾配をなして、真珠色と紫色のもやがたちこめるはるか彼方の地平線までつづいていた。そして

 鳥はうたう、声を限りに
 この日をば 夏と讃《たた》えて

 マシュウは彼なりにこのドライヴを楽しんだが、女達に会って会釈《えしゃく》をしなくてはならない時は、そうはいかなかった――プリンス・エドワード島(セント・ローレンス湾内の島)では、知り合いであろうとなかろうと、道で会ったら誰にでも会釈することになっていたのだ。
 マシュウにはマリラとレィチェル夫人以外の女はみんな恐かった。この不思議な生き物達は、自分のことをひそかに笑っているのではないかという不安があったからだ。彼がそう思うのは案外あたっていたかもしれない。無骨なからだつきに、鉄灰色の髪の毛を前こごみの肩にとどくほど長くのばし、二十《はたち》歳の時からだというふさふさした柔らかい茶色のあごひげをはやしたマシュウの姿はどうみても一風変わっていた。事実、髪が白くないというだけで、二十歳のマシュウは六十の今とほとんど同じに見えた。
 彼がブライト・リヴァに着いた時には、汽車は影も形もなかった。早く来過ぎたのだと思ったので、ブライト・リヴァの小さな旅館の庭に馬をつなぐと、マシュウは駅まで歩いて行った。長いプラットホームにはほとんど人影はなかった。目にはいる生き物といったら、ホームの一番端に積んであるじゃりの上に腰かけている女の子ぐらいのものだった。マシュウはそれが女の子だということすらほとんど気づかずに、彼女には目もくれないで、そのそばをできるだけ足ばやに通り過ぎた。もし見ていたら、この子がこちこちに固くなって、ひたすらに何かを待ち受けている様子が、顔にも態度にもありありと現われていることに気づいただろう。その子はそこにすわって何かを、あるいは誰かを待っていた。そうしてじっと待っている以外に、さしあたってほかにすることもなかったので、ひたすらそこにすわりこんで待っていた。
 マシュウは駅長にばったり出会ったので、五時半の汽車はすぐにくるのかとたずねた。駅長は夕飯に家へ帰るので、出札所をしめているところだった。
「五時半の汽車なら三十分も前に通りました」と駅長はきびきび答えた。「しかし、あんたのお客さんという人がおりましたよ――女の子です。あすこのじゃりの上にかけていますよ。婦人待合室に行くように言ったんですが、外にいた方がいいって大まじめで言うんですよ。『こっちの方が想像をめぐらす余地があるから』なんて言ってね。変わってる子のようですな」
「女の子には用がないんだがなあ」とマシュウは解《げ》せない面持《おもも》ちで言った。「迎えに来たのは男の子なんですよ。もう来ているはずなんでね。アレクサンダー・スペンサーの奥さんがノヴァ・スコシアから連れてきてくださる予定なんです」
 駅長は口笛を吹いた。「何かの手違いでしょう」と彼は言った。「そのスペンサーの奥さんがあの子と一緒に汽車をおり、わたしにあずけていかれたんですよ。あんたと妹さんが孤児院からもらった子だから、そのうち迎えにみえるだろうと言ってね。わたしが知ってるのはそれだけです――ほかにみなしごなんかどこにもいやしませんよ」
「わからんな」とマシュウは途方にくれて言った。そしてマリラがそばにいて、うまくとりはからってくれたらと思わずにはいられなかった。
「それならあの子に聞けばいいですよ」と駅長は無造作に言った。「きっと説明してくれますよ――なかなか口が達者なようですからなあ。ことによると、あんたがたがほしいような男の子がいなかったのかもしれませんよ」
 駅長は腹がへってたまらなかったので、すたすたと歩いて行ってしまった。そこでマシュウはあわれにも取り残されて、虎穴《こけつ》に入るよりももっと難かしいこと――つまり女の子、それも見も知らない女の子――みなしご――の所に行って、どうして男の子ではないのかとたずねる羽目に追いこまれた。マシュウは向きをかえ、ホームの端にいる子供の方に重い足どりでそろそろ近づきながら、心のなかでうなった。
 女の子はマシュウがそばを通り過ぎた時からずっと彼に眼を注いでいたが、今やじっとこちらを見据《す》えていた。マシュウは子供の方を見ていなかったし、たとえ見たにしても、どんな子かわからなかったかも知れない。しかし普通の人なら次のようなことを見てとっただろう。
 子供は年の頃は十一ぐらいで、つんつるてんの、みるからに窮屈そうな、みっともない、うす黄色の綿と毛の交織《まぜおり》の服を着ていた。色あせた、茶色の水兵帽をかぶり、その下から、二本のとても太く編んだ、めだって赤い髪の毛が背中までたれていた。顔は小さく、青白く、やせていて、そばかすだらけだった。口は大きかった。目も大きくて、その時の光線の具合や気分で緑色に見えたり灰色に見えたりした。
 このへんまでは普通の人の観察だが、特別よく気がつく人だったら、この子のあごがたいへんとがってつき出ており、大きな目はいきいきしていてはりがあり、くちびるはかわいらしくて表情に富み、ひたいは広く大きいことがわかっただろう。つまり、鋭い、人並以上の観察力を持った人だったら、マシュウ・カスバートがこっけいなほど恐れたこの宿なしの娘には非凡な魂が宿っているという結論に達しただろう。
 しかしマシュウは自分から話しかけるといういやな思いをせずにすんだ。というのは、彼が自分の方にやってくることを見とどけるやいなや、女の子はやせて日焼けのした片手で、使い古した、旧式の手さげかばんの取っ手をつかんで立ち上がり、もう一方の手を彼の方にさし出した。
「『グリーン・ゲイブルズ』のマシュウ・カスバートさんでしょう?」彼女はひときわ澄んだ、きれいな声で言った。「お目にかかれてよかったわ。迎えに来てくださらないんじゃないかって心配になりだしたので、いらっしゃれないわけをあれこれ考えていたの。もし今晩お見えにならなかったら、線路づたいに曲がり角の大きな野生の桜の木の所まで行って、あの木の上で夜を明かそうときめてたのよ。ちっともこわくないわ。月の光に照らされて白い花がいっぱい咲いてる桜の木の上で眠るなんてすてきじゃない? まるで大理石の大広間に住んでるような気がするんじゃないかしら? それに今晩いらっしゃらなくても、あしたの朝はきっと迎えに来てくださると思ってたわ」
 マシュウは女の子のやせこけた、小さな手をぎこちなくにぎった。そしてとっさの間にどうすべきか決心がついた。目をきらきら輝かせたこの子に、手違いがあったなどとは言えっこない。家に連れて行って、マリラに話させよう。とにかく、どんな手違いがあったにしろ、この子をブライト・リヴァに置きざりにすることはできない。だから、いっさいの問答は「グリーン・ゲイブルズ」に帰り着くまでのばすことにしよう。
「遅れてごめんよ」彼はおずおず言った。
「おいで。馬はあすこの庭につないである。かばんを渡しなさい」
「あら、自分で持てるわ」その子は元気よく答えた。「ちっとも重くないのよ。あたしの全財産が入ってるんだけど重くないの。それにうまくもたないと、取っ手がぬけるのよ――だから、こつを知ってるあたしが持つ方がいいと思うわ。とても古い手さげかばんよ。ああ、おじさんが来てくださってほんとによかったわ。そりゃ桜の木の上で眠るのもすてきでしょうけどね。長いこと馬車に乗って行かなくちゃいけないんでしょう? 八マイルだってスペンサーのおはさんが言ってたわ。うれしいわ、あたし、馬車に乗るの好きなんだもの。ああ、おじさんと一緒に住んで、おじさんの家《うち》の子になるなんてすてきだわ。あたし今までどこの子にもなったことないの――ほんとうよ。でも、孤児院は一番ひどかったわ。四ヵ月しかいなかったけど、もうたくさんよ。おじさんは孤児院のみなしごになったことないでしょう。だからきっとよくおわかりにならないと思うの。でもほんとに想像もつかないほどひどいのよ。スペンサーのおばさんは、そんなこと言うのはよくないって言ってたけど、あたし悪気はなかったのよ。知らないうちに、ついうっかりして悪いことをしちゃうものね。みんないい人ばかりだったわ――孤児院のことよ。でもあそこじゃ空想をめぐらす余地がないの――何しろまわりはみんなみなし子ばかりでしょう。あの子達のことで色々空想するのはかなり面白かったことは確かよ――となりにすわってる女の子はほんとうは堂々とした伯爵の娘で、小さい時に両親の所から人でなしの乳母にさらわれ、その乳母が罪を白状しないうちに死んでしまったのだなんて考えてみるの。あたし、夜、床のなかで眼をさましていてそんなことを想像したものよ。昼間はそのひまがなかったの。だから、あたしこんなにやせてるんだと思うわ――あたしとてもやせてるでしょう? 骨と皮ばかりみたい。あたし、自分がきれいで、ぽっちゃりしていて、ひじにえくぼがあったらさぞいいだろうなんて考えちゃうの」
 ここまできて、マシュウの連れはしゃべるのをやめた。息切れがしたせいもあり、馬車を止めてある所に着いたからでもあった。二人が村を出て、急な丘を馬車で下るまで、彼女は、ひとこともものを言わなかった。丘の道になっている所は、柔らかい土をぐっとえぐって切り開いたものだったので、花ざかりの山桜とほっそりした白樺の木で縁どられた両側の土手は、二人の頭から数フィート上の所にあった。

……第二章「マシュウ・カスバート驚く」より

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