「アンの婚約」

モンゴメリ/ 中村佐喜子訳

ドットブック版 300KB/テキストファイル 194KB

500円

年来の希望がかない、レドモンド大学で学ぶことになったアンは、彼女に恋心をいだくギルバートとともに、新しい学生生活に入っていく。アンはすばらしい「パティの家」に、仲良しの3人とともに住む。新しい環境、新しい友人のなかで、さまざまな経験を積み重ねながら、アンはようやく真実の愛に目覚めていく。シリーズ第3作!

ご注意! 訳者は異なりますが、これまで「アンの愛情」のタイトルで提供していた作品と同じものです。

・M・モンゴメリ(1874〜1942)はカナダのプリンス・エドワード島生まれ。祖父母に育てられ、大学を出たあと故郷の島で教職についたが、祖母を助けて郵便局の仕事にたずさわる。31歳のときに書いた「赤毛のアン」が3年後に日の目をみると、たちまちベストセラーとなった。

立ち読みフロア

『刈り入れは終りて夏は去りぬ』と、刈りあとの畑をぼんやりながめながら、アン・シャーリーが口ずさんだ。ダイアナ・バーリーと二人で、グリーン・ゲイブルズの果樹園のリンゴもぎをやっていて、いま、陽(ひ)のあたる場所にひと休みしているところだった。あざみの綿毛が、風にのってしきりにとんでくる。その風には『お化(ば)けの森』のシダの匂いがただよって、まだ夏の快さがある。
 でも、二人のまわりの風景全体はもう秋だ。遠くで海が、深いうなりをたてている。はだかにひからびた畑地には、黄色いキリン草がはびこり、グリーン・ゲイブルズの下の小川のある谷間は、うす紫のアスターの花にうずまっている。『輝く湖』は、ただ青、青、青。――かわりやすい春の青でも、真夏の色あせた青でもなく、永久に澄んだかのような青だ。あたかもその水が、さまざまな気分や感情のはげしさを味わったあとで、もう気まぐれな夢なんぞには乱されずに落ちつき込んだというようだった。
「この夏はすてきだったわ」とダイアナが、左手に新しくはめた指輪をいじりながらほほえんだ。「なんといっても、最大はミス・ラヴェンダーの結婚式だったでしょうけどね。あのご夫婦、今ごろは太平洋の海岸のどこかね」
「あたしには、あれからもう世界一周ができるほど長く経ったような気がするわ」とアンが吐息(といき)した。「お二人の結婚からまだやっと一週間だなんて、信じられないわ。あんまり何もかも変わってしまったんだもの。ミス・ラヴェンダーが行っちゃうし、アラン先生ご夫婦も行っておしまいになるし、――全部よろい戸のしまった牧師館の淋(さび)しさったらないわ! あたしはゆうべ、あすこを通ったときね、なんだかあの中の人がみんな死に絶えたような気持だったのよ」
「アラン先生みたいないい牧師さまは、もう二度と望めないわよ」とダイアナが悲観的に言った。「この冬にはさぞいろんな代理牧師が来ることでしょうよ。お説教の全然ない日曜も半分はあるにちがいないわ。それに、あんたとギルバートは行っちゃうし、――思うだけで憂鬱(ゆううつ)な冬だわ」
「フレッドはどこへも行かないでしょうよ」とアンが、いたずらっぽく意味ありげに言った。
「ミセス・リンドが越してくるのはいつ?」とダイアナが、アンの言葉をはぐらかした。
「明日よ。あのおばさんが来て下さるのはうれしいけど、――でもこれも一つの変化だわね。きのうマリラとわたしとで、客用寝室にあったものをみんな運び出したの。とてもいやな気持だったわ。神聖な場所をけがしてるようだったの。――もちろん、そんなことを思うほうがバカだけどね。でもあたしには、あの古い客用寝室が神殿のようだったのよ。子供の頃のあたしには、あの部屋(へや)がこの世の中で一番すばらしい部屋だったんだわ。ねえ、あたしはいつも客用寝室で寝たいって、すごくあこがれてたわね。――でもグリーン・ゲイブルズのあの客用寝室でとは考えなかったわ。とても、とても、あすこでなんて! こわすぎて、――もったいなくて、ひと眠りもできるものですか。マリラに用を言いつかってもね、ふつうに歩けなかったものよ。――ほんとなの。教会の中みたいに、息をつめて爪先立(つまさきだ)てて。――外へ出てやっと一息(ひといき)ついたわ。あの部屋の鏡の両側にジョージ・ホワイトフィールド〔英国の宗教家〕とウェリントン公〔ナポレオンを破った英国の将軍で大政治家〕の額がかかっていてね。こわい顔であたしをにらんでいたの。ことに、ちょいとその鏡をのぞこうものならね。だってそれが、うちじゅうでたった一つ、顔がゆがまずにうつる鏡なんだもの。――あたしはいつも、マリラがよくあの部屋のお掃除(そうじ)をできるもんだと思ったものよ。それがなんと今度はお掃除どころか、からっぽにしたんだもの。ジョージ・ホワイトも公爵も、二階のホールへ追っ払ったの。『かくて世の栄華は移り行く』」とアンは笑いながら結んだ。でもどこか悲しみをこめた笑いだった。幼い日に神聖にした場所をけがされることは、たとえ成長してからにしろ、やはりいい気持のものではないのである。
「あんたが行ったら、あたしはどんなに淋しいでしょう」とダイアナが百ぺん目ぐらいの吐息をした。「しかも、いよいよ来週じゃないの!」
「でもまだ一緒よ」とアンが快活に言った。「来週のことを考えて、今週の楽しみを台なしにするなんてよしましょうよ。あたしだってつらいのよ。――あたしは家庭が恋しいんだもの。一人ぽっち! それをなげくのはあたしよ。あんたはここで古い友だちといられるんだし、――おまけにフレッドがいるしさ! あたしは見知らぬ人の中で、ほんとに一人ぽっち!」
「ギルバートはどうなの? チャーリー・スローンはどう?」とダイアナが、さっきのアンの意味ありげな言い方の仕返しをした。
「チャーリー・スローンは大いに慰(なぐさ)めになるわ、もちろん」とアンはふざけた。二人は同じ気持で笑った。アンがチャーリー・スローンをどう思っているか、ダイアナは知っている。でもギルバート・ブライスに対してはどうなのか、いろいろ打ちとけた話をしてみても、どうも分からない。実際のところ、アン自身、ギルバートに対する自分の気持が分からないのだ。
「男たちのほうはキングズポートの反対側の方に下宿するらしいわ。あたしはそれしか知らないの」とアンはつづけた。「あたしはレドモンドに行けるようになってうれしいし、少し経(た)てば、きっと好きになると思うのよ。でも最初の二、三週間はだめだわ。週末に家へ帰るという楽しみもないもの。クイーン学院のときはそれがあったけどね。クリスマスの休暇なんて、千年も先みたいだわ」
「何もかも変わるわ。――変わろうとしているというのかしら」とダイアナが悲しげに言った。「ものごとはもうふたたび元にはもどらないんだと、しみじみ思うわ、アン」
「あたしたちは別れ途(みち)に来てるのね、きっと」とアンが考え深げに言った。「そこに立つより仕方ないんだわ。ねえ、ダイアナ。おとなになるって、子供の頃に考えていたように、ほんとにいいものだと思う?」
「わからないわ。――いいこともいくらかはあるけど」ダイアナはまた指輪をいじりながら微笑した。それにあうとアンは急に、取り残された、未経験者だという気持にさせられる。「でもまごつくこともどっさりだわ。時々は、おとなになるのがこわいことばかりみたいに思うのよ。――そんなときは、どうでもまた少女の頃にかえりたくなるわ」

……第 一章冒頭より

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