「林檎の木・小春日和」

ゴールズワージー/守屋陽一訳

ドットブック 201KB/テキストファイル 136KB

400円

銀婚式の日、妻と連れ立って車でムア(荒野)にむかったアシャーストは、見晴らしのよい丘の上で昼食をとろうとする。スケッチをやめてもどる妻を待つあいだ、アシャーストは、そこの景色に見覚えのあることに気づく。そして痛みのともなうある過去の出来事がよみがえる〔林檎の木〕。田舎の屋敷で孫と静かな暮らしを送る老ジョリオンのまえに、美しい女があらわれる。それは今はない恋人の思い出を求めてやってきたアイリーンだった。ジョリオンは彼女にあうことに唯一の慰安と幸福を感じるようになる〔小春日和〕…イギリス的な田園詩二編。

ジョン・ゴールズワージー(1867〜1933)代表作「フォーサイト家物語」で知られる英国の自然主義的な作風で知られる作家。同時に本書にとりあげたような散文詩的な物語の名編を著した。

立ち読みフロア
 銀婚式の日、アシャーストは妻といっしょに、荒野《ムア》のはずれにそって車を走らせていた。二人が最初に出あったトーキー〔デボンシャーにある海水浴場〕で一夜をすごし、その日の最後の仕上げをしようというわけだった。それは妻のステラの考え出したことだった。彼女の性格には、幾分感傷的なところがあったのである。二十六年前、一瞬のうちに奇妙にもアシャーストを魅了してしまった、花のように魅力に富んだ青い瞳《ひとみ》、清純でほっそりした冷たい感じの顔や姿、リンゴの花を思わせるほの白い頬《ほお》、それらのものはずっと前から姿を消していたが、彼女は四十三歳になった今でも、美しく貞淑《ていしゅく》な彼の伴侶《はんりょ》だった。その頬には、淡いシミができ、灰青色の瞳には、一種の充《み》ちたりたものが宿っていたが。
 左手には、共有地が急な斜面をなして高くなり、右手には、ところどころに松のまじっているカラマツとブナの細長い林が、長々とのびている高い丘――本格的な荒野《ムア》はそのあたりからはじまっていたのだが――と道路の間にある谷間に向かって、はるか彼方《かなた》までつづいていた。そんな場所に車をとめたのはステラだった。彼女は昼食をとる場所をさがしていたのである。そういうことになると、アシャーストはなにもしようとしなかったからだ。その場所は、金色のハリエニシダと、五月に近い陽光をあびてレモンの香りをただよわせている、緑色をした羽毛のようなカラマツに取りかこまれ――深い谷間と、はるか彼方にまでつづいている荒野《ムア》を、ずっと遠くまで見晴らすことができた。それは水彩でスケッチをし、ロマンチックな風景を好む、はっきりした性格のステラには、いかにもふさわしい場所のように思われた。彼女は絵の具箱をもって車からおりた。
「ね、あなた、ここはどうかしら?」
 アシャーストには、どこか詩人シラー〔一七五九〜一八〇五、ドイツの詩人〕があごひげを生やしたようなところがあった。両端に白いもののまじっているあごひげ、高い背、長い足、時々深い意味をたたえて美しくかがやく、大きな夢見るような灰色の眼、少しまがっている鼻、あごひげにかこまれているかすかにひらいた唇――四十八歳のアシャーストもまた、無言のまま、昼食を入れたバスケットをもって、車からおりた。
「まあ、フランク、お墓だわ!」
 共有地の頂《いただき》から下ってくる小道が道路と直角に交差し、細長い森を横切り、とある門に通じていたが、その道ばたには、まばらな芝におおわれている、幅一フィート、長さ六フィートばかりの塚があり、その西側にはひとつの花崗岩《かこうがん》がおいてあった。そしてその上には、だれがおいていったのか、リンボクの小枝とひとつかみのブルーベルがのせてあった。それをながめているうちに、アシャーストの胸の中には詩人的な感動がわき起こってきた。十字路にある以上――自殺者の墓であるにちがいない! 迷信からのがれることのできないあわれな人間ども! だが、だれであろうと、ここに眠っている者は幸福だということができる。つまらないことを彫りつけた、ぞっとするような墓にとりかこまれている、じめじめした冷たい墓ではなく――粗末な石と、広々とした空と、道を通りすぎる人々の祝福があるからだ! しかし、家族といっしょにいる時には、哲学者ぶらないことにしているアシャーストは、無言のまま、共有地のほうに向かって大またに歩いていった。そして昼食のバスケットを石垣《いしがき》の下におき、ステラが坐《すわ》れるように敷物をひろげた――空腹になれば、彼女もスケッチをやめてもどってくるにちがいない――アシャーストはマリー訳の「ヒッポリュトス」をポケットから取り出した。彼はまもなく「キュプリス」とその復讐《ふくしゅう》の話〔アテナイ王、テーセウスの息子ヒッポリュトスは、愛の女神キュプリス〔アプロディーテー〕の怒りを買い、その復讐をうけて死んだ〕を読み終わって、眼の前にひろがっている大空に眼を向けた。そして、まっさおな空にうかんでいる、まぶしいばかりの白い雲をみつめていると、この銀婚式ともあろう日に、ふと、なにかあこがれに似たものをおぼえた――それがなんであるかはわからなかったが。男というものは、人生にふさわしく作られてはいないのだ! 男の生活などというものは、どれほど高尚《こうしょう》で堅実であろうとも、その下には、常に貪欲《どんよく》と渇望とむなしさがながれているのだ。女もまた同じだろうか? それはだれにもわかるまい。しかも、物珍しい新奇なものにたいする欲望、新しい冒険や危険、新しい快楽にたいするはげしい渇望を心ゆくまで満たしたものは、飢渇とは正反対の飽満に苦しまなければならないのである。それから抜け出せる道はない――人生にふさわしく作られてはいないのだ、文明の洗礼をうけた男という生き物は! 美的感覚をもっている男にとっては、永続する幸福の港などというものはあり得ないのだ。また、人生で到達し得る理想郷もなければ、あの美しいギリシア人の舞唱の中で歌われている「リンゴの木、歌をうたう少女たち、金色の木の実」というような理想の楽園をこの地上に求めることもできないのである――芸術の中にとらえられて永遠に保存され、それを見るか読むかすれば、いつも同じ貴重な歓喜とおだやかな陶酔を味わうことのできる美しさに匹敵するものは、なにひとつ存在していないのだ。もちろん、人生にも、そのような美しさをもった、自然に訪れるあわただしい歓喜の瞬間があるにちがいない。しかし不幸にして、それらの瞬間は、一片の雲が太陽の上をかすめすぎるほどの短い間しか継続し得ないのである。芸術が美しさをとらえて、永遠のものに固定してしまうように、その瞬間をとどめておくことはできないのだ。それらの瞬間は時折姿を見せる自然の霊の、時にはかすかな、時にはかがやかしい姿か、静かにただよっているとらえがたい霊の一瞬の姿のように、瞬時のうちに消え去って行くのだ。ここでは、強い陽光が顔をほてらせ、カッコウがサンザシの木の上で鳴き、ハリエニシダが甘い芳香を放っている――ここでは、若いシダの小さな葉や、星の形をしたリンボクの花がまわりを取りかこみ、かがやくばかりの白い雲が、丘や夢のような谷間のはるか上のほうをながれすぎて行く――今こそ、ここには、そのようなかがやかしい瞬間があるのだ。しかしそれとても、一瞬のうちに消え去って行くにちがいない。牧神であるパン〔ギリシア神話の牧人の神〕の顔が岩のかげからのぞいても、人がじっとみつめると、すぐに消え去ってしまうように。彼は不意に身を起こした。この風景、この共有地のひとすみ、あの細い道、背後にある古びた石垣、それらのものにはたしかに見おぼえがあった。車を走らせていた時は、そのことに気がつかなかった――全然気がついていなかったのだ。はるかな遠いものに思いをはせていたのだろうか、あるいは、なにも考えていなかったのだろうか?――しかし今、彼ははっきりと思い出したのだった! 二十六年前のちょうど今頃、彼はここから半マイルもはなれていない農家から、トーキーの町に向かって出発し、そのあと、二度とふたたびもどらなかったのである。突然彼は胸に痛みをおぼえた。彼はすぎ去った日々のひとつを、はからずも思い出したのだった――その美しさと歓喜をとどめることができず、その翼は見知らぬ世界に向かって、はばたきながらとび去ったのだ。彼は、過去に埋もれていた思い出、一瞬のうちに息の根をとめられてしまった、狂おしい甘美なひとときをはからずも思い出したのだ。彼はうつむいて両手であごをささえながら、小さな青いヒメハギの咲き乱れている、低い草むらにじっと眼をそそいだ……
 彼の脳裏によみがえってきたのは、次のようなことだった。

……「林檎の木」冒頭より

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