「千夜一夜物語(5)」

リチャード・バートン編/大場正史訳

エキスパンドブック 1475KB テキスト/469KB

1400円

本巻には、「アラビアのオデュッセイア」ともいうべき、あまりにも有名な「船乗りシンドバッドと軽子のシンドバッドの冒険」、奇想天外な架空の話「巨蛇(おろち)の女王」、砂漠に出現した都をめぐる幻想的な物語「真鍮(しんちゅう)の都」、古くから独立した説話文学として伝えられていた「女の手管と恨み」など、アラビアン・ナイトの白眉とも称される名作の数々を収録した。
立ち読みフロア
 わしの父親は商人(あきんど)で、郷里ではひとかどの名士でした。お金をどっさり恵まれた分限者(ぶげんしゃ)で、わしがまだ年歯もゆかないころにみまかったが、あとには金銀やら土地やら農家やら、莫大な財産をのこしてくれました。わしは大きくなると、この全財産に手をつけて、美食をくらい、大酒を飲み、豪奢な衣服をまとい、はでな暮らしをして、飽食(ほうしょく)暖衣のしほうだい、同じ年ごろの若者とゆききしてはおもしろおかしく日を送りました。こういった逸楽の渡世(とせい)が未来永劫はてしなくつづいて、人の世の消長など眼中にないといったあんばいでした。
 長い年月そんな調子で暮らしましたが、とどのつまり自分の浅はかなふるまいに気がついて、正気に返ったときはもうあとの祭で、財産は空っぽになり、家運は傾き、持っていたものはなにもかも人手に渡っておりました。悪夢からさめたわしは、ただうろたえ騒ぐばかり。そのおり、はしなくも、ダビデの子わが主ソロモン(安らかに瞑目されんことを!)のおおせられた金言を思い出しました。これはまえに父の口から聞いたことがあったのです。「三つのことがらが他の三つよりもまされり。すなわち、往生成仏の日は生誕の日よりもよく、生ける犬は死せる獅子よりもまさり、墓地(おくつき)は不如意にまさる」と。それから、わしは残った家財をかき集め、みんな、わしの着物までも三千ディルハムで売りはらってしまった。この金子(きんす)で、詩人の歌の文句を思いうかべながら、異国へさすらいの旅に出ようと覚悟したようなわけなのです。

  苦労してこそ出世する、
  名をあこがれる人々は
  夜も眠っちゃいけませぬ。
  真珠ほしけりゃ、海原(うなばら)の
  底まで深くもぐること、
  一生懸命やってこそ
  幸(さち)も宝も手にはいる。
  苦労しないで名声を
  求める人はいたずらに
  能わぬことを追いかけて、
  命をけずってへらすだけ。

 そんなわけで、わしは元気を出して、航海に入用な品物や商品など、いっさいがっさい買いこみました。そして、一刻も早く海に出たくてしようがなかったので、とりあえず一団の商人(あきんど)連中といっしょに、バッソラーゆきの船に乗りこんだのです。バッソラーで船を換えると、いく日いく夜も航海をつづけ、島から島へ、海から海へ、岸から岸へと、船の立ち寄るところでは売り買いや交易をしながら、さきへ、さきへ船路を重ねました。そのうちとうとう、天国の花園かとまごうばかりの島にたどりついたのです。ここで船長は錨(いかり)をおろし、船を岸辺につないで、上陸用の板を渡しました。船の者はみんな陸にあがると、竃(かまど)をこしらえるやら火をおこすやら、てんてこまいです。また、料理をする者があるかと思うと、洗濯をする者もあり、それかと思うと、気晴らしに島をぶらつく者もあるといったふうでした。船乗りたちは食べたり飲んだりして、互いにふざけあって遊びました。
 わしは散策者の仲間入りをして、島をぶらついていたんですが、突然、船縁(ふなべり)に立っていた船長が声をかぎりにがなり立てたのです。「おーい! お客さん方、大急ぎで、とっとと船へひっ返しておくれ。命あってのものだね、道具なんぞはおっぽり出してもどってきなされ。なにとぞアラーのお加護がありますよう! いまあんた方がふんまえているこの島は、実はほんものの島じゃなくて、海原のただ中にじっと浮かんでいる大きな魚ですぞ。その背中に昔から砂がつもり、樹が生えて、まるでほんものの島のようになったというわけだ。ところが、あんた方がその上で火をおこしたもんで、魚のやつは熱くなって動き出した。いまにもあんた方を乗せたまま、海の底へ沈むかもしれん。そうなると、みんな溺れ死にですぞ。だから、荷物などほっておいて、いまのうちにさっさとひきあげてきなされ!」

 ……シャーラザッドは夜がしらじらと明けてきたのに気がついて、許された物語をやめた。


……「船乗りシンドバッドの最初の航海」より

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