「千夜一夜物語(6)」

リチャード・バートン編/大場正史訳

エキスパンドブック 2047KB/テキストファイル 418KB

1400円

本巻の白眉「バッソラーのハサン」は、「船乗りシンドバッド」にくらべても遜色のない、姉妹編ともいうべき好編。主人公のハサンは〈白鳥の処女〉を慕って、日本に擬せられるワク・ワク諸島まで渡り、ついに本懐をとげる。このほかにも、ダリラーの巧みなトリックと、アリの変幻自在な怪盗ぶりで、推理小説のはしりといってもよい「やりて婆のダリラー」と「カイロの盗神アリの奇談」など、徹頭徹尾なにものかに対する執拗な追求を描いた数々の物語が語られる。
立ち読みフロア
 むかしむかし、いまをさる大昔のこと、バッソラーの国にひとりの商人が住んでいて、ふたりの息子に恵まれ、巨方の富をほしいままにしていました。けれども、やがて、全知全能にして、よろずのことに通じたもうアラーのみ心で天界に召されることになり、あえなくこの世を去って、鬼籍(きせき)にはいりました。そこで、ふたりの息子は納棺の支度をととのえ、遺骸を埋葬したうえ、庭園や地所を半々に分けあって、てんでに店を一軒ずつひらきました。
 ハサンという年上の息子は、天来の麗質人なみすぐれ、まことに眉目(びもく)ひいで、容姿端麗な若者でしたが、ほどなく、放蕩無頼の遊冶郎(ゆうやろう)や淫らな女たちの仲間に加わって、花園でふざけたり、いく月も酒色におぼれて、流連(りゅうれん)を重ねたりして、亡き父とはおよそ正反対で、家業などそっちのけのありさま。それというのも、莫大な遣産にうつつをぬかして、有卦(うけ)にいっていたからでございます。
 ところが、しばらくするうちに、ありったけの金はすっかり使いはたし、土地や家屋敷まで売りはらって、やくざ者らと放蕩三昧にふけったので、しまいにはびた一文もないすっ寒貧(かんぴん)となり、知りあいの仲間さえ、ひとりもそばへよりつかなくなってしまいました。
 ハサンはこんな調子で、三日のあいだ空腹をかかえながら、寡婦(やもめ)の母といっしょに暮らしておりましたが、四日めに、あてもなく道を歩いているとひょっこり父の友だちに出会い、いろいろわけをきかれました。そこで、ハサンがこれまでの子細をつつみかくさずにうちあけると、相手は言いました。「では、おまえさん、わしには金細工師の弟がいるが、もしよかったら、弟のところに住みこんで、仕事を覚え、そのほうでひとり前になったらどうかね」
 ハサンはうなずいて、その男について、くだんの弟の店へいきましだ。すると、その男はハサンをひきあわせて、「実はこれはわしの伜だが、どうかわしの顔を立てて仕事を教えてやってくれ」と申しました。そこで、ハサンは飾り職の家に住みこんで、一生懸命、仕事に精を出しました。アラーの思召にかなってか、やがて金もうけの糸口もつき、ハサンは独立して、店をかまえることになりました。
 ある日、市場の店さきに坐っていると、長い白髯(はくぜん)をたらし、白いターバンを頭に巻き、商人(あきんど)風体をした異国者(アジャミ)のペルシャ人が店に近づいてきて、ハサンの細工物を眺め、心得顔に手にとって吟味しました。そして、たいそう気にいったふうで、首をふって言いました。「いかさま、おまえさんはなかなか腕の達者な職人だわい! 名前はなんといわれるのかな?」「ハサン」ハサンはぶっきらぼうに返事しました。
 ペルシャ人はいつまでも細工物に見入っていましたが、ハサンはそしらぬ顔で、手にした古本に読みふけりました。いっぽう、通りがかりの人々は足をとめて、ハサンの世にも美しい、艶容いわんかたない男ぶりに、心を奪われてみとれるといったあんばいでした。とかくするうち、ま昼の祈祷の時刻となり、人々は店さきから散っていきました。すると、ペルシャ人は若者に言葉をかけました。「もし、おまえさん、なかなかの好男子だのう! それはなんのご本じゃ? おまえさんは父なし、わしには伜がない。それに、わしは世界じゅうにまたとないほど素晴しい秘法を心得とるんじゃ」

 ……シャーラザッドは夜がしらんできたのを知って、許された物語をやめた。

さて第七百七十九夜になると

 おお、恵み深い王さま、とシャーラザッドは語った。 ペルシャ人は若者に言葉をかけて申しました。「もし、おまえさん、なかなかの男まえだのう! おまえさんは父(てて)なし、わしには伜がない。それに、わしは世界じゅうにまたとない秘法を心得とるんじゃよ。これまで、太勢の者がそれを教えてくれろと言ってきたが、わしはだれにも教えなんだ。が、おまえさんには教えてあげてもいいような気がする。おまえさんに心をひかれて、いとしゅうなったによって、わしはおまえさんに伜になってもらい、おまえさんと貧乏との縁を断ちきってあげたいのじゃ。そうすれば、こんな職人はやめて、鎚や鉄床(かなとこ)や炭火であくせくすることはないのさ」
 ハサンはたずねました。「もし、旦那、それをいつ教えていただけますんで?」すると、ペルシャ人は答えました。「あした、インシャラー、早めにやってこよう。そして、おまえさんの目の前で、この銅から純金をつくってみせよう」

……「バッソラーのハサン」冒頭

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