「武器よさらば」

ヘミングウェー作/高村勝治訳

ドットブック版 291KB/テキストファイル 219KB

500円

第一次世界大戦の一進一退がつづく北イタリア戦線に志願し、傷病兵運搬の任務にあたるアメリカの青年フレデリックは、戦場で働く看護婦キャサリンと恋におちる。二人はスイスへの逃避行を試みるが…。死と生の世界を「乾いた」文体で描いて発表と同時に各国でベストセラーとなった二十世紀文学の記念碑的作品。

アーネスト・ヘミングウェー(1899〜1961)  イリノイ州生まれのアメリカの作家。第一次大戦後、新聞記者としてパリに行き、パウンド、スタインなどとの交流のなかから『日はまた昇る』を完成、一躍「失われた世代」の代表作家となった。独特の簡潔な文体は、文学界のみならず、人々のライフスタイルに大きな影響を与えた。釣と狩猟を愛したことでも知られる。

立ち読みフロア

 その年の夏の終わり、われわれは、河と平野の向こうに山々が見える、ある村の家に泊まっていた。河原には、小石や丸石が陽をうけて白く乾き、水がいくすじか、青く澄み、勢いよく流れていた。部隊が家のそばの道路を通り、そのまきあげた砂ぼこりが木々の葉にふりかかった。木々の幹にも砂ぼこりがかかり、その年は木の葉が早く落ち、部隊がその道路を進軍し、砂ぼこりがあがり、木の葉が微風にゆれて落ち、兵士たちが進軍してゆくのが見え、そのあとの道路は落ち葉のほかは何もなく、白っぽかった。

 平野は作物が豊かだった。果樹園がたくさんあり、平野の向こうの山々は茶褐色で、はだかだった。その山々には戦闘があり、夜になると、砲火の閃きが見えた。暗闇(くらやみ)で、それは夏の稲妻のようだったが、夜は涼しく、嵐の来る気配はなかった。

 ときどき、暗闇のなかで、部隊が窓の下を進軍し、大砲がトラクターにひかれて通りすぎるのがきこえた。夜は、往来がはげしく、道路には荷鞍(にぐら)の両がわに弾薬箱を積んだ騾馬(らば)や兵員を運ぶ灰色のトラックが通り、荷物を積みズックでおおったトラックがさらにゆっくりとその流れのなかで動いていた。昼まも、トラクターにひかれて大きな大砲が通った。その大砲の長い砲身は緑の枝でおおわれ、トラクターにも緑の枝と蔓草(つるくさ)がかぶせてあった。北のほうは、谷間の向こうに、栗林が見え、その先に、河のこちら側にべつの山が見えた。その山を取ろうと戦闘があったが、それは成功しなかった。そして、秋、雨季が来ると、栗林から葉がすっかり落ち、枝ははだかになり、幹は雨で黒くなった。ぶどう園も葉が落ち、枝ははだかで、秋とともに、あたり一面が、濡れ、茶褐色にくすみ、生気を失った。河の上に霧がかかり、山には雲がたれこめ、トラックが道路で泥をはねかえし、肩マントを着た部隊の兵士は、泥だらけで、濡れていた。彼らの小銃も濡れ、マントの下の、ベルトの前に、革の弾薬盒(だんやくごう)が二つついていて、細長い六・五ミリの小銃弾をはめた挿弾子(そうだんし)の束を重くつめこんである灰色の革のその箱が、マントの下でふくれあがっていたので、道路を通る兵士たちは妊娠六ヵ月といった恰好で進軍していた。

 すごいスピードで通りすぎてゆく灰色の小型の自動車が何台かあった。たいていは、将校が一人、運転手の隣にすわり、後部の座席に幾人かの将校が乗っていた。こういう自動車は軍用トラックなどよりも泥をはねかえした。後部の座席の将校の一人がたいへん小さく、二人の将官のあいだにすわっていると、小さいので、顔が見えず、帽子のてっぺんと肩幅の狭い背中だけしか見えなくて、しかも、車が特に速く走るとき、それはたいてい国王だった。国王はウーディネ(イタリア東北部の都市)にいて、情況を見に、このようにほとんど毎日出かけてきたのだが、情況はひどく悪かった。

 冬になると、長雨がやってき、雨とともに、コレラがやってきた。だが、それはくいとめられ、けっきょく、軍隊ではわずか七千人が死んだにすぎなかった。

……第一部第一章冒頭部


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