「野望の下馬将軍」――徳川幕閣盛衰記(上)

笹沢左保/作

ドットブック版 374KB/テキストファイル 227KB

700円

徳川三百年の歴史と政治を実質的に担った「幕閣たち」に的をしぼって、大河の流れのように書き上げられた興趣あふれる歴史小説! 全体は三代将軍家光の死からはじまり、桜田門外に倒れた最後の大物幕閣、大老・井伊直弼(なおすけ)の死までをあつかう。この上巻では家光の遺志をついで幼少の四代将軍家綱を補佐する忠臣幕閣たち、ついで下馬(げば)将軍と称され強権を振るった酒井忠清(ただきよ)の台頭、これに対抗して綱吉(つなよし)の将軍擁立に成功し、その右腕として綱吉を盛り立てた堀田正俊(まさとし)らの活躍が描かれる。……だが、本書は権力闘争にからまる確執のみを記したものではまったくない。この巻にかぎっても、由比正雪の乱や、明暦の大火(振袖火事)など同時代の大きな事件や出来事が詳しく描かれ、江戸時代の全体を俯瞰する好個の読み物となっている。

笹沢左保(ささざわ さほ、1930〜2002)東京生まれ、横浜で育つ。郵政省東京地方簡易保険局に勤務のかたわらミステリーを執筆、60年、初長篇『招かれざる客』で作家デビュー。61年『人喰い』で日本探偵作家クラブ賞を受賞、以後本格ミステリーの傑作・佳作を続々発表し、「新本格派の旗手」と謳われた。70年には、新・股旅小説と銘打たれた『木枯し紋次郎』シリーズで一大ブームを巻き起こし、多くの時代小説も著した。きわめて多作でありながら、つねに意欲的な試みを繰りかえし、生涯その人気は衰えることがなかった。

立ち読みフロア
一章 家光の死

 夢を見る。
 とっくにこの世を去った祖父、それに父の声を聞く。
 夢は特に恐ろしいものではなく、うなされるような悪夢でもない。祖父や父の声も、決して怒ってはいなかった。むしろ、徳川家の行く末を案じて、ボソボソと話しかけてくるようだった。そうした祖父と父の声が、ときには懐かしく感じられる。
 夢の内容は、過去の栄光を物語るものが多かった。将軍としての二十八年間、実によくやったと天の声に、夢の中で称賛されることもあった。
 過去の業績を自画自賛する思い出が、走馬燈のように脳裏を駆けめぐる。それを楽しみながら、夢の中で大いに満足する。思わず、笑みを浮かべることもある。
 そうした合間に、ちょいちょい正気に戻るときがあった。それでも、半ば夢心地でいる。目を半眼に開いて、ぼんやりとしか見えない病間の天井を眺める。
 ふと頭の中に、九という数が浮かぶ。すると、九という数にこだわらずにはいられなくなる。九という数に縁があると、あれこれ記憶をかき回す。
 前年に織田信長が桶狭間(おけはざま)で今川義元を討ったことにより、祖父の徳川家康が今川家から完全に独立できたのは永禄四年。そのときから数えて、今年は九十年目に当たる。
 徳川家の独立九十周年で、記念すべき年であった。この九十年の九は、偉大なる数といえる。徳川家独立九十年目に自分が死ぬのであれば、意義ある九という数を大事にしなければならない。
 祖父の家康が関ヶ原の合戦に勝利を収め、天下の実権を握ったのは五十九歳のときであった。ここにも、五十九歳の九の数が認められる。
 父の秀忠が将軍職を退き、大御所となったのは元和九年である。
 そして、秀忠が死亡したのが、寛永九年だった。
 当の家光が、この世に誕生したのは、慶長九年であった。将軍に就任したのは当然、元和九年ということになる。
 更に今年は、秀忠の死後十九年目なのである。
 どうしてこうも、九という数に縁が深いのであろうか。
 そういえば、家光が頼みとする幕閣の松平伊豆守信綱(まつだいらいずのかみのぶつな)も阿部豊後守忠秋(あべぶんごのかみただあき)も、初めて家光に仕えたのはそれぞれ九歳のときだった。と、そんなことまで、家光は考えずにはいられない。
 慶安四年(一六五一年)四月十七日――。
 三代将軍家光は、みずからの死期が近づいていることを、はっきりと自覚していた。余命はあと三、四日と、家光は自分の予感を信じている。
 明後日は、四月十九日である。九という数に縁が深いから、明後日にこの世を去る可能性が大きいと、家光はひそかに覚悟を決めていた。

……冒頭より


購入手続きへ


*** タイトル一覧へ *** ホームページへ ***