「吉宗の陰謀」――徳川幕閣盛衰記(中)

笹沢左保/作

ドットブック版 316KB/テキストファイル 223KB

700円

この中巻は、五代将軍綱吉の後半から八代吉宗までをあつかう。綱吉の寵愛を背景に、天下の悪法「生類憐みの令」を推し進める側用人(そばようにん)、柳沢吉保(やなぎさわよしやす)…なんとこの法令は60回以上も繰り出され、対象は虫、蚊、ハエ、ノミ、シラミなどにまで及んでいた! 六代将軍家宣(いえのぶ)が登場するや、柳沢派一掃の改革に着手する間部詮房(まなべあきふさ)と新井白石(あらいはくせき)……。だが、つねに将軍の威を借りて幕政の主導権を握っていたこれらの権力者たちに、八代吉宗は鬼のように君臨する! 徳川中興の祖といわれる吉宗だが、その光と闇の素顔が冷徹な視点から明らかにされる。この時代の大きな出来事としては「赤穂義士」「絵島生島」などが描かれるが、富士山の噴火をともなった 「宝永の大地震」も忘れられない。
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一章 お犬さま

 五代将軍綱吉は、堀田正俊(まさとし)が殺されたのち、十三年間、誰も大老に任じなかった。将軍のほかに権力者は不要と、綱吉は独裁を目ざしたようである。
 堀田正俊に頭が上がらなかったことに、綱吉はよほど懲(こ)りたのだろう。譜代の大名で骨のある実力者に、綱吉は何となく不安を感じた。
 下手に大老などに就任させると、将軍の間違いを平気で指摘するような権力者になりかねない。堀田正俊のような存在は、もう御免だという考え方である。
 権力を与えるならば、将軍に忠実なイエスマンがいい。やはり、側近がよかった。大老のように、政治をそっくり任せてしまう権力者であってはならない。
 何事も将軍の命令に従い、それでいて優秀な側近というのが、いちばん安心していられる。そのような側近に権力を与えて、それらのうえに将軍が君臨する。
 綱吉は、そうした側近政治を志向していた。そのために、綱吉は大老を置こうとしなかった。老中にも大物、器量人といえるような大名を任命していない。
 一方では大老、老中、若年寄などが顔をそろえる御用部屋から、将軍の居室を遠く離すことになった。これまでは、御用部屋のすぐ近くに将軍の居室があった。
 将軍は幕閣たちを、簡単に呼びつけることができた。大老や老中も将軍に拝謁して直接、言上したり願い出たりする。ところが、堀田正俊は御用部屋で殺された。
 御用部屋は、人の出入りが多い。その中には当然、脇差を携行する者がいる。稲葉正休(まさやす)も脇差で、堀田正俊を刺し殺した。そんな御用部屋と、目と鼻の先に将軍の居室があるのだった。
 危険であった。乱心者が侵入して、将軍に斬りつけるといったことが、絶対に起こらないとの保証はない。そういう理由から御用部屋は、別の場所へ移されたのである。
 遠く離れることで、将軍と幕閣はどうしても疎遠な間柄となる。将軍は老中を気軽に呼べないし、老中も将軍との直接の対面が面倒なことになりかねない。
 そこで将軍の命令を幕閣に伝え、幕閣の報告などを将軍に取り次ぐ、という連絡役が必要となってくる。その連絡役を一手に引き受けたのが、将軍の御用人だったのだ。
 御側御用人(おそばごようにん)――。
 これは、いわば侍従である。地位は老中と若年寄の中間と見なされるが、政務に関与せずというのが原則であった。しかし、常に将軍の側にあって、その耳と口の代わりを務めているようなものである。
 側近の中の側近といわれているうえに、将軍と幕閣のあいだの連絡役が新たに加わった。将軍の意思はすべて、御用人を通じて伝達される。
 御用人が首を横に振れば、大名だろうと将軍に拝謁できない。御用人の心証を悪くしたら、将軍までが機嫌を損ずることになる。このような恐ろしさが、御用人に権力を与えるという結果を招くのだ。

……冒頭より


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