「悲しきカフェのうた」

カースン・マッカラーズ/ 尾上政次訳

ドットブック版 260KB/テキストファイル 68KB

300円

アメリカ南部のさびれた田舎町のカフェで起こるエピソード。カフェの女主人ミス・アメリアは、男のような力を持ちながら、ひどい斜視の持ち主だが、ふとしたきっかけから肉体的畸型児であるせむし男に愛情を抱く。だが、かつてつかのま夫にしたことのある無頼漢のマーヴィン・メイシーと肉弾相打つ決闘を試みて、あげくの果てには、愛するせむし男そのものに裏ぎられて敗北してゆく。象徴的なトーンは、今日の人間の心の孤独、現実の世界にとりつく島も容易に見出せぬ人間の悲しい状況である。

カースン・マッカラーズ(1917〜67)アメリカの女性小説家。コロンビア大卒。処女作「心は孤独な狩人」で一躍みとめられ、以後一貫して、聾唖者や精神薄弱者などハンデを負った人たちを主人公に、人間の孤独を掘り下げた作品を書き続けた。代表作は他に「 夏の黄昏(結婚式のメンバー)」など。

立ち読みフロア

 町そのものはひどく単調なところで、そこには紡績工場、二間だけの工員住宅、桃の木が何本か、二枚のステンドグラスが売り物の教会、わずか百ヤードの貧弱なメイン・ストリート、こうしたもののほかには、とり立てて言うものは、何一つない。土曜日が来ると近在の小作百姓たちが一日がかりのおしゃべりと取引き目的でやって来る。ほかの日は、町はヒッソリカンとわびしげで、世界中からポツンと遠く孤立した所のように見える。最寄りの汽車駅はソサイエティ・シティまで行かなければなかったし、グレイハウンド・バス〔アメリカ全土に路線をもつバス会社〕とホワイト・バスの両路線も三マイルも離れたフォークス・フォールズ道を通っている。この地の冬は短くても底冷えがし、夏といえば白熱に目もくらむ焦熱地獄である。
 八月の昼さがり、仮にメイン・ストリートを散歩する気を起こしたところで、する事など全く何もありはしない。一番大きな建物というのが、町のまん中にあったが、徹底的に板張りされた上、ひどく右にかしいでいて、いつなんどき崩れ落ちるか知れぬように見える。たいへん古い家で、奇態(きたい)な、狂ったような感じをただよわせているのが、何とも謎めいて見えるのだが、そのうちに人はハッと気がついて来る――正面のベランダの右半分と壁の一部分が、ずっと昔に、ペンキを塗られかけたまま、途中で投げ出されて、家の一方の側がもう一つの側よりずっと黒ずんで汚れているのである。見たところこの建物には全く人気(ひとけ)が無いようだのに、二階に板張りのしてない窓が一つあって、午後遅く、堪えがたい暑さが最高潮に達した頃、一本の手がゆっくりよろい戸を開け、誰やら知れぬ顔が町をおろしていることがある。それは悪夢にのみ見るような恐ろしげな、つかみどころのない顔――男か女かはっきりしないまっさおな顔で、鼠色をしたヤブニラミの目が、あまりにも鋭い角度で内側に傾斜していて、ひそやかな悲しみの凝視をいつまでもかわし合っているように見える。その顔が一時間ばかりこのように窓辺に逍遙を続けた後、よろい戸がもう一度ピタリおろされてしまうと、メイン・ストリート沿いには、おそらく人影一つ見えなくなってしまう。そういう八月の昼さがり――ひとたび工場の交替がすむとなると、する事など全くなくなってしまう。はるばるフォークス・フォール道まで出かけて行って、囚人土工の歌でも聞いたほうが、まだましなのである。
 ところが、この町にも、昔はカフェがあった。今言うこの板張りの家こそ、この地方何マイルにもわたって類を見ない店だったのである。テーブル・クロスや紙ナプキンも立派にそなえられた何脚ものテーブル、扇風機に吹き流される色とりどりのテープ――そうして土曜日の夜にはきまってたいへんなお客であった。店主はミス・アメリア・エヴァンズだったが、店の成功と繁昌に最も力があったのは、「いとこのライモン」と呼ばれたせむしであった。ほかにもう一人の男がこのカフェの物語りに一役を演じた――それはミス・アメリアの先夫で、刑務所で長い刑期を終えた後、町にもどって来、一切合財メチャメチャにしておいて、再び姿をくらましてしまうという恐ろしい男であった。カフェはとっくの昔に閉店されていたが、今もまだ人はそれを忘れてはいない。

 店は始めからカフェだったわけではなかった。ミス・アメリアはその建物を父親から相続し、もともと、飼料だとかグアノだとか、小麦粉・嗅(か)ぎタバコ類の日用品を置いていた。暮らしは裕福で、この店のほかにも三マイル奥地の沼沢地(しょうたくち)に酒造所を経営し、この州きっての風味を誇る密造酒を市場に送っていた。男みたいな骨格と筋肉の浅黒い大女であった。髪は断髪でオール・バックになであげ、その日焼けした顔にははりつめ、憔悴(しょうすい)しきったおもかげがあった。当時でも少しヤブニラミだったことをのぞけば、美人のほうだったかも知れぬ。言い寄りもしたい男も何人かは居ただろうに、ミス・アメリアは男の愛には興味を持たず、むしろ孤独を好む女だった。彼女のした結婚はまだこの州で類を見ぬもので――ただ十日しか続かず、町中をアッと言わせ、ショックを与えた、風がわりで危険きわまりない結婚だった。この奇態な結婚を除いては、ミス・アメリアはずっと独身生活を続けていた。しばしば、何日も徹夜で沼沢地の小屋ですごし、職工ズボンとゴム長といういでたちのまま、黙々と酒造所の消えかかる火の番をしていることがあった。
 手先の仕事にかけては何にしても、ミス・アメリアは巧みであった。豚の小腸(チタリンズ)やソーセージを近くの町に売りさばいたり、よく晴れた秋日和にはもろこしを碾(ひ)いた。槽(おけ)から溢れるシロップは黒味がかった黄金色で、微妙な風味で鳴っていた。たった二週間で裏庭に煉瓦造りの屋外便所を建てることもできたし、大工仕事もうまかった。ただし人間相手の時だけは、彼女も自信がつかないのだった。人間というものは、腑抜けか重病人ででもないかぎり、手の中に丸めこんで、一夜にして、前より価値あり利益あるものに造り変えるわけにはゆかない。そうした次第で、ミス・アメリアが他人を利用できる道といえば、金をしぼり取ることしかなかったのである。この点ではうまくいったのである。作物や不動産の抵当、製材工場、銀行預金――これらのおかげで彼女はこの界隈(かいわい)何マイルかきっての女金持になった。ただ一つもって生まれた大きな悪癖さえなければ、国会議員に劣らぬ富をたくわえたろうと思われた。その欠点というのは訴訟や裁判が飯より好きということだった。全く取るにあたいしない事を種に激烈な訴訟事件にいつまでもうちこむのである。こんな噂話さえ伝えられた。もし彼女が道に落ちた石につまずきでもすれば、たちまち、難癖をつける相手を探しでもするみたいに、本能的にキッとあたりを見まわすとか。こうした訴訟事件を別とすれば、彼女の暮しは堅実一方であって、来る日も来る日も日々相似たりであった。例の十日間の結婚生活を除けば、この状態を破る事件は一つとして起こらず、ミス・アメリアは三十歳の春を迎えることになった。

……巻頭より

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