「悪魔の弁護人」

J・G・フレーザー/永橋卓介訳

ドットブック版 189KB/テキストファイル 128KB

500円

この本での「悪魔」とは、無数の種族・民族によって信じられてきた「迷信」のことである。それらは邪悪で虚偽にみちたものとして、文明社会の進展とともに追放されてきた。だが、われわれの社会の成り立ちの多くのものは、これら「迷信」によって、支えられてきたのではないか、と著者はいう。こうした視点から著者は「政治(支配)」「所有権」「結婚」「人名の尊重」という四つの大きな社会制度の成立維持において果した「迷信」の役割を、世界各地の未開民族からの豊富な実例によって解き明かす。「金枝編」で有名な文化人類学者フレイザーの精髄。

ジェームズ・ジョージ・フレーザー(1854〜1941)イギリスの人類学者・民俗学者。グラスゴー大、ケンブリッジ大に学び、のちリヴァプール大教授。厖大な文献資料をもとに、信仰、儀礼、社会制度の比較研究に手をそめ、今日の文化人類学の基礎を築き上げた。1890〜1915年にかけて完成した大著「金枝編」が代表著作であるが、本編をはじめ、他にも多くの興味ぶかい論考を残した。

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一 緒論

 迷信の暗黒面

 われわれは迷信といえば、本質的に邪悪なもの、虚偽にみちたもの、そして害毒を流すものと、一も二もなく考えがちである。確かに迷信はこれまでいたるところで大きな禍《わざわい》をかもしだしており、どうしてもこの事実を否定する事はできない。幾多の生命を奪い、莫大な財宝を浪費し、人々の間に剣を、否それ以上のものを投げることによって民族をかき乱し、友を別れさせ、夫と妻、親と子をあいそむかせた。また罪なき犠牲者、欺かれた人々をもって、いつも牢獄や精神病院を満員にしてきた。さらにまた、多くの人々の静かな心情を乱し、その全生涯を悲惨このうえないものにしたが、生きている人間を苦しめるだけでは満足せず、死者をすらその墓場までもその先までも執拗に追いかけて、その気味悪さにせめつけられ、さいなまれる生存者の戦慄を心地よげに見守っているのである。まずざっとこのとおりであるが、まだまだこれ以上のことをいくらでもやっている。

 迷信の明るい一面

 しかしながら、迷信のこの犯罪事件は、証人台に立った哀れなウィンケル氏の意外な陳述の後のピクウィック氏の場合と同様に、たぶんもっと明るい光の下におかれることができるであろう。悪魔の弁護人に扮したり、青い焔と硫黄の臭気とに包まれて諸君の前に現れたりすることなしに、慈悲ぶかい人々が、もっともだとうなずくような弁護を、はなはだ、うさんくさい弁護依頼人のため、これからいたすとしよう。
 つまりある民族では、また文化のある段階においては、われわれすべて、またはわれわれの大部分が有益だと信じているある種の社会制度が、いくぶん迷信の基礎の上に立っていることを実例にとって証明し、少なくともその理解に近づけたいというのである。私がここで取り扱うのは、純然たる俗的または社会的制度だけである。宗教的もしくは教会的諸制度については、いっさいここには触れないことにする。宗教ですらも全然その影響を受けていないとか、その支持を少しも受けていないとは断言できないのであって、その証明も不可能ではない。しかし今ここでは、強い常識と物事の性質のほか、どんなものにもよっていないと一般に考えられている社会的制度にその範囲を限ることとしたい。
 私がこれから取り扱う諸制度は、みな今日の文化社会まで残存し、たしかに実質的根本的な理論によって擁護せられてはいるものの、未開民族の間ではもとよりのこと、すでに未開の域を脱した諸民族の間においてすら、今日われわれが遠慮なく迷信であるとか背理であるとか酷評するものによって、その権威の大部分を保っていたことは明らかである。これを証明するために私がここに取り扱うのは、政治、所有権、結婚、そして人命の尊重の四つである。そして私のいおうとすることは、次の四つの命題に要約せられる。

 証明せられる四つの命題

(一) あるいくつかの民族では、そしてまたある時代においては、迷信は政治、ことに君主制政治にたいする尊重の念を強め、その結果、社会的秩序の制定とその維持とに寄与するところがあった。
(二) あるいくつかの民族では、そしてまたある時代においては、迷信は所有権に対する尊重の念を強め、その結果、その安全確保のために寄与するところがあった。
(三) あるいくつかの民族では、そしてまたある時代においては、迷信は結婚に対する尊重の念を強め、その結果、既婚未婚の区別なく、すべての人々の間にはなはだ厳格な性的道徳を確立することに寄与するところがあった。
(四) あるいくつの民族では、そしてある時代においては、迷信は人命に対する尊重の念を強め、その結果、その安全確保のために寄与するところがあった。

 予備的注意

 さて、以上の四つの命題を別々に取り扱う前に、まず二つの注意事項をあげて、心にとめておいてもらいたいと思う。第一に、私がここであるいくつかの民族と歴史のある時代とに範囲を限定するのは、私の時間も私の知識も人間の全民族と歴史の全時代について述べることを許さないからである。この限られた民族と限られた時代の研究から導きだされる限定せられた結論が、どの程度までその他のものに適応できるかは、なお今後の研究の結果をまってみなければならない。第二は、次の点である。たといある民族とある時代において、まえに述べた諸制度がいくぶんか迷信によって基礎づけられているとしても、その同じ民族においてすら、その他のものによっては、まったく基礎づけられてはいない、とはいえないのである。反対に、今ここで取り扱おうとしている諸制度は、みな強固であり恒久的であることが証明せられているので、これになにか、迷信以上のものと実質的なものとによって立っているとの仮説すらあるくらいである。いかなる制度でも、まったく迷信のみのうえに立っている場合には、いいかえると、まったく虚妄のうえにのみ立っている場合には、決して恒久的なものであることはできない。もしそれが、人間のある実際の要求を満たすことができず、その基礎が事物の本質のなかに広く深く根をおろしていないとすれば、それはかならず消滅してしまうはずである。その消滅は早ければ早いほどよい。

……冒頭より


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