「弁天小僧」

河竹黙阿弥作/河竹登志夫校訂

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300円

「知らざあ言って聞かせやしょう。浜の真砂(まさご)と五右衛門が歌に残せし盗人(ぬすびと)の種は尽きねえ七里ヶ浜、その白浪(しらなみ)の夜働き、以前を言やあ江の島で年季勤めの児(ちご)ヶ淵(ふち)、江戸の百味講(ひゃくみ)の蒔銭(まきせん)を当(あて)に小皿(こざら)の一文子(もんこ)、百が二百と賽銭(さいせん)のくすね銭(ぜに)せえだんだんに悪事はのぼる上(かみ)の宮(みや)、岩本院(いわもといん)で講中(こうじゅう)の枕捜(まくらさが)しも度重(たびかさ)なり、お手長講(てながこう)と札附(ふだつき)にとうとう島を追い出され、それから若衆(わかしゅ)の美人局(つゝもたせ)……」弁天小僧をはじめとする、ご存じ白波五人男の勢揃い。題名どおり錦絵そのままの華麗なるピカレスク狂言。
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【弁天】 これ四十八(よそはち)、浜松屋(はままつや)というのはどこじゃぞいの。
【南郷】 つい向うに見えます呉服屋でござります。
【弁天】 婚礼(こんれい)の支度じゃということは、かならず言うてたもんなや。
【南郷】 申してもよいではござりませぬか。
【弁天】 それでも私(わたし)ゃ耻ずかしいわいな。
【南郷】 言うて悪くば申しますまい。〔ト門口へ来りて〕さあお嬢(じょう)さま、おはいりなされませ。
【弁天】 そなた先へはいりゃいの。
【南郷】 さようならば御免なされませ。
〔ト内へ入る、このとき佐兵衛奥より来りて〕
【佐兵】 これはいらっしゃいまし。
【太助】 さゝ、これへこれへ。
【与九】 いえ、私方(わたくしかた)へいらっしゃいまし。
〔ト佐兵衛と太助の間(あいだ)へ割ってはいる〕
【佐兵】 これはト一(いち)お嬢様、これへいらっしゃいましいらっしゃいまし。
【太助】 いえいえこちらへ。
【与九】 いやこちらへ。
【南郷】 あこれ、静かにして下され、気逆(きのぼ)せがするわえ。
【与九】 はっはっ、二人とも静かにせぬか。てもさても美しい、いや美しい模様物(もようもの)が沢山仕入(たくさんしい)れてござりますれば、まずまずこれへ。
【三人】 お通りなされませ。
【南郷】 さあお嬢さま、お上がりなされませ。
【弁天】 上がっても大事ないかや。
【南郷】 よろしゅうござりますとも。これ、履物(はきもの)を頼むぞ。
【小僧】 かしこまりました。
〔ト弁天、南郷よきところへ住まう〕
【与九】 さて、今日(こんにち)はよいお天気でござります。こりゃ茶番(ちゃばん)よ茶番よ。
【小僧】 はあゝ、〔ト茶を汲み持って来て、両人へ出す〕
【佐兵】 とうとう自分の方へ引っ込んでしまった。〔ト太助と共(とも)によい娘だという思入れにて弁天に見惚(みと)れている〕
【与九】 して、なにを御覧に入れましょうな。
【南郷】 京染(きょうぞめ)のお振袖(ふりそで)に毛織錦(けおりにしき)の帯地(おびじ)の類(るい)、又お襦袢(じゅばん)になる緋縮緬緋鹿子(ひぢりめんひがのこ)などを見せて下さい。
【与九】 かしこまりましてござります。こりゃ三保松(みほまつ)よ、京染の模様物(もようもの)、毛織錦(けおりにしき)の巻物(まきもの)に、緋縮緬(ひぢりめん)、緋鹿子(ひがのこ)を持って来い。
【小僧】 はいー。〔ト奥へ入る〕
【与九】 たゞいま御覧に入れまする。〔ト思入れあって〕だいぶ芝居が入(はい)りますそうにございますが、お嬢さまには御見物遊ばしましたでございましょうな。
【弁天】 はい、このあいだ二丁目〔市村座〕へまいりましたわいな。
【与九】 へい、さようでござりまするか。さだめてお嬢さまの御贔屓(ごひいき)は、当時若手の売出し羽左衛門(たゆうもと)でござりましょうな。
【弁天】 いえいえ私(わたし)は羽左衛門(うざえもん)は大嫌(だいきら)いじゃわいなあ。
【与九】 それでは、権十郎(ごんじゅうろう)か粂三郎(くめさぶろう)でござりますか。
【弁天】 いゝえ。
【与九】 では、芝翫(しかん)でござりまするか。
【弁天】 あい。〔ト耻ずかしき思入れ〕
【与九】 いや芝翫(しかん)を御贔屓なら御油断なされますな。当時の人気者でござりますから、あっちからもこっちからもひっぱりだこでござります。
【南郷】 そりゃあ番頭大嘘(おおうそ)だ、あんな真面目(まじめ)な男はない、まず第一酒が嫌い、女が嫌い、勝負事が嫌い、とりわけせりふ(・・・)をおぼえるのが嫌いだ。
【弁天】 えゝ、そのような憎(にく)まれ口をきいて。
〔ト南郷を打つ真似をする、与九郎始終(しじゅう)弁天に見惚(みと)れいる思入れ〕
【与九】 これはよほど御贔屓と見えまする。
【南郷】 こなたは芝居は好きそうだが、誰(だれ)が役者は贔屓だな。
【与九】 へい、私(わたくし)の贔屓は片岡十蔵でござりまする。
【弁天】 おやまあいやな。〔ト笑う〕
【南郷】 そう言えば番頭どのは十蔵に生写(いきうつ)しだ。
【与九】 誰彼(たれかれ)と申しても、当時三丁町(さんちょうまち)の役者で十蔵が一(いち)でござります。
【南郷】 はあゝ、そんなに芸(げい)が上手(じょうず)かな。
【与九】 いえ、芸ではござりませぬ、背丈(せい)の高いのでござりまする。
【南郷】 なるほど、こりゃあ三丁一(さんちょういち)だ。はゝゝゝゝ。
〔ト小僧紙附(かみつき)の模様物(もようもの)、巻物(まきもの)の帯地、小葛籠(こつゞら)へ入れし緋鹿子(ひがのこ)、緋縮緬(ひぢりめん)の布地(きれじ)を持ち出て来る〕
【与九】 おおきにお待たせ申しました。〔ト品物をならべ〕これ小僧よ、灯りを持って来ぬか。
【小僧】 はいー。〔ト朝顔附(あさがおつき)の燭台を持って来る〕
【弁天】 これ四十八(よそはち)、鹿子(かのこ)はどちらがよかろうぞいの。
【南郷】 どちらでも、あなた様の御意(ぎょい)に入ったのになされませ。
【弁天】 そんなら麻(あさ)の葉の方(ほう)にしようわいの。
【南郷】 模様物(もようもの)は御婚礼(ごこんれい)ゆえ、めでたいものがよろしゅうござりまする。
【与九】 へえゝ、御婚礼のお支度でござりますか。
【弁天】 あこれ、言やるなというたのに。〔ト耻ずかしき思入れ〕
【南郷】 へい、うっかりと申しました。
〔トこのうち与九郎こっそりと見惚(みと)れているゆえ〕
【佐兵】 これ与九郎どの、涎(よだれ)がたれるわ。
【与九】 なんで涎(よだれ)が、
【佐兵】 見なせえ、緋鹿子(ひがのこ)はしみだらけだ。
〔トこのうち弁天あたりへ思入れあって見物に見えるように緋鹿子の布(きれ)を懐(ふところ)へ入れる。与九郎これを見てびっくりする、佐兵衛も太助に囁(さゝや)く、弁天と南郷は知らぬ顔にて捨てゼリフにて模様物を見ている、太助は奥へはいり、鳶(とび)の者清次(せいじ)を引っ張り出て来りて〕
【清次】 もし、万引(まんびき)をした奴(やつ)はどれでござりまする。
【佐兵】 あこれ、静かにしなせえ。
〔ト囁く。南郷思入れあって〕
【南郷】 模様物はこの二つと、帯地は毛織錦(けおりにしき)と、以上三本緋鹿子に緋縮緬、しめて値段は何程なるか、勘定をしておいてくりゃれ。八幡様へ参詣なし、帰りに寄って持ってまいる。
【与九】 かしこまりましてござりまする。
【南郷】 さあお嬢さま、暮れぬうちにおまいり申しましょう。
【弁天】 あい、そうしましょうわいの。
【南郷】 これはおおきにお世話であった。
〔ト両人立ちあがり行こうとするを、このとき清次、佐兵衛、太助立ちふさがる、奥より以前の若徒中間ら出て来る〕
【佐兵・太助】 もし、ちょっとお待(ま)ちくださりませ。
【南郷】 なんぞ用か。
【与九】 御冗談をなされますな。
【南郷】 なに、冗談とは、
【与九】 お隠しなされた緋鹿子(ひがのこ)を、置いておいでなされませ。
【両人】 え。〔ト顔を見合わせ、ぎっくり思入れ〕
【清次】 いや、文金島田(ぶんきんしまだ)のお嬢さんが、万引をしようとは気がつかねえ。

……序幕 「雪の下浜松屋の場」より


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