「大時計」

ケネス・フィアリング/ 長谷川修二訳

ドットブック版 245KB/テキストファイル 125KB

600円

雑誌編集長ジョージは、彼の会社の社長ジャノスの愛人ポーリンと深い仲になっていた。ある夜、彼女をアパートへ送ったジョージは、そこでジャノスの姿を見かけた。翌朝、ポーリンの死体が発見される。犯人はジャノスにまちがいなかった。だが、何者かに目撃された事に気づいたジャノスは、部下を動員して、ひそかに目撃者探しを開始した。彼がその指揮者に指名したのは、こともあろうにジョージだった! 調査の方向をそらそうという努力もむなしく、ジョージはしだいに追いつめられる……息づまる筆致と意表をつく構成で描く傑作サスペンス!

ケネス・フィアリング(1920〜61)アメリカの詩人・小説家。イリノイ州オークパーク生まれ、大学を卒業後、シカゴで記者などを経たあと、ニューヨークに出、二〇年代末から詩や小説を書きはじめた。七つの詩集、七つの長編小説を遺した。詩では大恐慌時代を代表する詩人の一人だった。

立ち読みフロア
 はじめてポーリン・ディロスにあったのは、アール・ジャノスが趣味で二、三ヵ月に一度開く例の豪華なパーティーの席だった。いつもこういうときによばれるのは、社の者、彼の個人的な友人たち、つきあいのある大物たち、それから一般のもろもろで、そういう連中がいいかげんに入り混ってやってくる。場所は東六十何丁目かにある彼の家だった。誰でも来られるわけではなかったのだが、軽く百人を超える人数が二、三時間のあいだに来たり帰ったりした。
 ジョージェットがいっしょで、ぼくたちはすぐ〈フューチャーウェイズ〉のエドワード・オーリンに紹介され、それから一見それとわかる特徴のある面々にも引き合わされた。ポーリン・ディロスについては、名前だけ知っていた。社の者でこの女性についていろいろきいていないものは一人もなかったが、実際に見たものはごく少なかったし、ジャノスもいるときに会ったようなものは、いっそう少なかった。彼女は背が高く、白っぽい金髪で、美しかった。見た目には無邪気にしか見えなかったが、本能には彼女がセックスそのものに映ったし、頭脳はこれこそ地獄そのものと直感した。
「アールが今しがた、きみのことを尋ねていましたよ」オーリンがぼくにいった。「誰かに会わせたいって」
「じつは遅れてしまったんです。今まで二十分間マッキンレー大統領のおしゃべりにひっかかっていたので」
 ミス・ディロスは、ほのかに興味を感じたらしい顔をした。「誰とですって?」と彼女は尋ねた。
「ウィリアム・マッキンレーです。二十四代目の大統領ですよ」
「わかっていますわ」彼女はそういって微笑した。かすかな笑顔だった。「たぶん、いろいろと愚痴をおききになったことでしょうね」
 しゃべりだした途端にエモリー・マファーソンだなとわかったが、小柄な背の低い色の浅黒い男で、これも〈フューチャーウェイズ〉だろう、下のほうの部屋の一つでよく見かけるのが、口をひらいた。
「経理部にマッキンレーに似たかた苦しい顔をした男がいますがね。もしその男のことをいっておられるのなら、愚痴を相当にこぼしたことでしょう」
「いや。ぼくは正真正銘(しょうしんしょうめい)、マッキンレー氏との話でおそくなったんですよ、〈シルヴァー・ライニング〉のバーでね」
「そうですのよ」ジョージェットがいった。「私もいましたの」
「そう。しかし何の愚痴もききませんでしたよ。その反対でしてね。なかなか順調にやっているようでした」ぼくは通りかかったトレイからマンハッタンをもう一杯とった。「むろん、勤めてるわけじゃないんですが、休みなしに働いていますね。マッキンレーである以外に、時にはホームズ判事、卜ーマス・エディソン、アンドルー・カーネギー、ヘンリー・ウォード・ビーチャー、そのほか重要で威厳のある人物なら誰にでもなるのです。ワシントン、リンカーン、クリストファー・コロンブスなどにも、思いだせないほど何度もなったそうですよ」
「そういうお友達をもったら便利でしょうね」ディロスがいった。「その人だれですの?」
「世を忍ぶ名はクライド・ノーバート・ポリーマスというのです。商売上のね。何年も前から知り合いなんですが、ぼくを代役にしてくれると約束しましたっけ」
「その人は何をしてるんです?」オーリンがしぶしぶたずねた。「いろいろな亡霊をこの世に呼びだして、元に戻せなくなってしまったようにきこえますな」
「ラジオですよ」ぼくがいった。「だから彼は誰でもどこにでも出せるんです」
 ポーリン・ディロスとはじめてあったときの話はだいたいそのくらいのものだった。それからあとの夕方と宵の口は、この居心地のいい小さい宮殿の常にもれず、何事もなくいつものように過ぎていった。新しい顔に陳腐(ちんぷ)な話題。ジョージェットとぼくはある百貨店主の姪とあって話をした。もちろん、この姪は新しい土地を征服したがった。彼女はこれまでの古い土地のうち何エーカーかを、どっちみち相続するのだろう。数学の大家(たいか)にも会った。彼はいくつもの加算機を一つのユニットに組みあわせた人物で、この超計算機は世界で一番大きいものなのだった。これで計算すれば、発明者すら知らないし、知識の範囲を超えた方程式をも解くことができる。ぼくはいった。「すると、あなたはアインシュタインより偉くなるわけですね。その装置をお持ちのときは」
 彼が少し鼻白(はなじろ)んでぼくを眺めたので、ぼくは少し酔ったなという気がした。
「ちがいますよ。あれは純粋に機械的な問題を解決したものでして、特別な目的だけのために作ったのです」
 ぼくは彼が地球上で最高の数学家ではないかもしれないが少なくとも一番早い数学家に違いないといった。それからぼくはある大きな政治機関の一歯車として働いている法律家にあった。その次には、ジャノスが最近、社会問題の評論家として売りだしてやった男にあった。それから、いろんなのにあったが、みんな相当に重要な連中であった。もっとも自分たちは知らないでいるらしい。自分たちが紳士で学者になることに気がついていない者。明日は、司直(しちょく)から追われる身として名をあげるはずの者。狂信的な者がいたるところにいたが、話の辻褄(つじつま)がいかにも合っているので、今まで一度も怪しまれず、これからも怪しまれないに違いない。将来、破産者として名を知られる者、十年か二十年の後に人知れず自殺する者。途方もない殺人犯になる素質のある者がいれば、一方では本当に偉大な人物の父親や母親になれる者がいた。もっとも、そういうのが現われるころには、ぼくはこの世にいない。
 要するに、大時計は普段のとおり動いていて、もう家に帰る時間だった。ときとして時計の二つの針は実際に競争したし、またあるときにはほとんど動かなかった。だが、それは大時計には何の違いにもならなかった。針は逆行することもできて、そのときに指す時間はやっぱり正しいのだった。ほかの時計をそれに合わさなければならないのだから、大時計はやっぱり普段のようにまわっているだろう。それはカレンダーより力強く、人は自動的に全生涯をそれに合わすのだ。この装置にくらべれば、計算機を発明したあの男のごときも、まだ指で勘定(かんじょう)しているようなものだ。
 とにかく、ジョージェットをさがして家に帰るべき時間だった。ぼくはいつも家に帰る。いつもだ。時にまわり道することがあっても、結局は帰る。鉄道の時刻表によれば、家まで三十七・四マイルあったが、よしそれが三千七百四十マイルあろうと、やはりぼくは帰るのだ。アール・ジャノスがどこからともなく現われてきたから、ぼくたちは別れの挨拶をした。


……巻頭より

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