「僧正(ビショップ)殺人事件」

ヴァン・ダイン/鈴木幸夫訳

ドットブック版 338KB/テキストファイル 234KB

600円

数学者ディラード教授の家の弓場で、コック・ロビンという弓術選手が胸に矢を射られて死んでいた。捜査協力を頼まれたファイロ・ヴァンスは直ちに「コック・ロビンを殺したの、だあれ。雀が言った《わたし、わたしが弓と矢でもってコック・ロビンを殺したのよ》」というマザー・グース童謡を思い浮かべた。つづいて起きた第二、第三の殺人もみな、この童謡をなぞっていた。不敵にも、犯人とみられる人物は、事件を告げる手紙を新聞社に送ってきた。その署名は「僧正(ビショップ)」となっていた。ヴァン・ダインの代表傑作。

ヴァン・ダイン(1888-1939)アメリカ・ヴァージニア州の生まれ。本名はW・H・ライト。ハーヴァード大学大学院では英語学を研究し、のち画家を志してミュンヘンやパリに遊学した。1914年までの数年間は文芸批評家、美術評論家として活躍。第一次大戦に当ってパリに住み、帰米してから強度の神経衰弱で、1923年から25年にかけて病床生活を送った。この間に二千冊のミステリーを読破、自ら創作への意欲を持つことになった。輝かしい業績と名声の中で、わずか51歳にしてニューヨークで亡くなった。代表作「僧正殺人事件」「グリーン家殺人事件」「カナリヤ殺人事件」「ベンスン殺人事件」

立ち読みフロア

 ファイロ・ヴァンスが私的な立場で調査にたずさわった犯罪事件のすべての中でも、もっとも邪悪であり、もっとも奇怪であり、見たところ、きわめて納得しがたく、またたしかにきわめて恐ろしいものといえば、あの有名なグリーン殺人事件につづいて起った事件であった。古びたグリーン邸での恐怖の血祭は、十二月になって驚くべき結末に達した。クリスマスの休暇のあとで、ヴァンスはスイスへウィンター・スポーツを楽しみに出かけていた。二月の末にニューヨークへ帰ってから、かねての懸案(けんあん)であった、ある文学的な仕事に専念していた。――今世紀のはじめに、エジプトのパピルス紙に書かれているのを発見された、ギリシア喜劇作家メナンドロスの主要な断章の、形式をふまえた翻訳である。そして一と月以上も、この報(むく)いられない仕事に、たゆまず没頭していたものだった。
 この苦心の労作が中断させられなかったにしても、翻訳が完成したか、どうかはわからない。というのは、ヴァンスは教養熱心な人であり、探究心と知的冒険心とが、学問的創造には当然つきものの、骨折り仕事の単調さに、たえずがまんがならなかったからである。覚えているが、そのつい前の年も、クセノフォンの伝記を書きはじめていたのであったが、――これはヴァンスが大学時代に、はじめてクセノフォンの『ペルシア征戦記』と『ソクラテス言行録』とを読んだ、熱狂ぶりの名残(なご)りである。――クセノフォンの歴史的な進軍が、十万の兵を黒海へ引きかえさすところで興味を失ってしまった。それはともかく、ヴァンスのメナンドロス翻訳は、四月に入って間もなく、はからずも中断されることになったわけである。それからの数週間は、全国をぞっとさせるような昂奮の渦(うず)にまきこんだ、不可解な犯罪事件に夢中になってしまった。
 この新しい犯罪捜査で、ヴァンスにニューヨーク地区地方検事ジョン・F・―X・マーカムのために、いわば「法律顧問(こもん)」といった立場で行動したが、この事件はたちまち「僧正(ビショップ)殺人事件」として知られるようになった。この呼び名は――有名な裁判事件なら、どれにもレッテルをはりたがるわれわれのジャーナリスティックな本能のしからしめたものだが――ある意味では、誤った命名であった。あの兇悪残忍な、したい放題の犯罪には、教会に縁のあるものなどさらさらなく、全国の人々に『マザー・グース歌謡集』をこわごわ読ませたというにすぎない。〔ブレンターノ書店のジョーゼフ・A・マーゴリーズ氏から聞いたところでは、ビショップ殺人事件中の数週間という時期には、『マザー・グース歌謡集』はどんな流行小説よりも売れ行きが多かった。そして小さな出版屋の一つが、この有名な古い童謡の全集版を復刊して、すっかり売り切った〕私の知っているかぎりでは、僧正(ビショップ)の名をもった誰一人として、この名称をつけられた極悪非道な事件と、遠まわしにでも関係のある者はいなかった。しかし、同時にまた、ビショップという言葉は、まことにふさわしくもあった。その酷(むご)さをきわめた目的を達するために、殺人犯人によって用いられた変名であったからである。ふとしたことで、この名前が、たまたまヴァンスをまことに信じがたい真相にみちびき、犯罪史上、きわめて恐ろしい、数ある犯罪の一つを解決させたのであった。

……巻頭
より


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