「書物袋」

サマセット・モーム/増野正衛訳

ドットブック 352KB/テキストファイル 75KB

300円

本書には、短編集『阿慶』Ah King に収められた、「書物袋」と「この世の果て」の二編を収めた。これらは「南海もの」と呼ばれるモームの一連の作品群にふくまれる。数回にわたる南海への旅行はモームに多様な人間と接する経験をさせ、しかも文明社会ではなかなか期待できない赤裸々な人間の姿に接する体験を得させた。「ああした熱帯地方の諸条件のもとにあっては、人間はそれぞれの特異性癖を、他の土地にあっては想像できないほどの程度にまでたっぷり発展させる機会を与えられる」…『阿慶』に添えた序文のなかで、モーム自身はこう説明している。

サマセット・モーム(1874〜1965) 二十世紀のイギリスを代表する作家。複雑な人間の心理に鋭いメスを加え、読者のつきせぬ興味をかきたてる精緻をきわめた描写で知られる。代表作 「人間の絆」「お菓子とビール」「剃刀の刃」のほか、数多くの多彩な短編の書き手としても有名。

立ち読みフロア
 教訓を得たいために書物を読む人たちがあるが、これは勿論結構なことだ。楽しみを与えられたくて読書する人たちもいる。これは罪がなくて、まことによろしい。ところが、習慣惰性で読書している人も決して少なくはないのだが、これはどうも罪がないとも言えないし、結構なことだと言うわけにもゆかぬように思われる。私は、そうした歎かわしい人たちの中の一人なのだ。友と語り合ったり勝負事をするのは、思慮ある人士にとって尽きることのない楽しみだと言われるが、私はどういうものか談話をしばらくしているとうんざりしてしまうし、勝 負事をすると心身ともに疲れてしまって、いずれにしてもすぐ底をついてしまうきらいがあるようだ。だから私は、まるで阿片常用者が煙管(きせる)にとびついてゆくように、なにかというとすぐ書物にしがみつくのである。
 私はなにも読むものがないときには、陸海軍用品のカタログでもブラッドショー鉄道旅行案内でもいいから、活字に眼をさらしていたいのであって、事実またそうした書物を読みながら、かなり喜ばしい時を過ごしても来ているのだ。ひところ私は、出かけるときには必ずポケットに古本屋の目録を入れて歩いたことがあるが、これほど実りの多い読書はないだろうと思う。勿論こうした読書のしかたは、麻薬常用に似ていて擯斥(ひんせき)すべきものであって、大の読書家がよく自分が読書好きなのをよいことにして、無学な人たちに対して侮蔑的な態度を示したりしているのをみると、私はなんて出過ぎた奴だろうと思わずにはいられない。恒久的な見地からみて、千巻の書を読破することは、百万の畝(うね)を耕すことよりも優れているだろうか? とにかく、われわれのような人間にとっての読書は、欠かすわけにゆかぬ常用薬みたいなもので、ひとたび書物とのこうした絆でつながれてしまった者は、ながいこと書物と引きはなされていたりすると烈しい不安に襲われ、憂慮と焦燥になやまされ、なんでもよいから活字のならんだ頁をみれば、それでほっとひと安心するというようなことになってしまうのだ。そんないわば皮下注射や酒壜の奴隷にも似た境涯を、得意げに鼻にかけるのは止めた方がよろしい。
 そんなわけで、私は命とりの薬剤を充分に用意しなければ、あちらこちらを移動することができない麻薬中毒者のように、読むものをたっぷり携行しなければ決して遠くまで旅行することができないのである。書物は全く私にとっての必需品であって、例えば停車場で自分の同行者が一冊も書物を持ってきていないのに気がついたりした場合、私は心から辟易(へきえき)させられてしまうほどだ。しかし私がこれから長い旅行に出かけようとするときなどには、この問題がどえらいことになる。ところで、私は私なりに教訓を得ている。いつかは私は病気のためにジャワのある丘の上の町で、三カ月ほど屋内に閉じこめられたことがあったが、そのうちに自分が持って来た書物を全部読みつくしてしまい、オランダ語を知らなかったものだから、致し方なくあるインテリらしく思われるジャワ人から学校の教科書を買い受けて、フランス語とドイツ語の勉強をしたものだった。おかげで、私は二十五年ぶりに、ゲーテのそっけない戯曲やラ・フォンテーヌの寓話、優雅で格調正しいラシーヌの悲劇などを読みかえすことができた。元来私はラシーヌには絶大な敬意をささげているのだが、それにしても彼の劇作を片っぱしから読んでゆくという仕事は、大腸カタルに苦しまされていた私にとっては、かなり大きな努力を要するものだということがわかった。
 私はあのジャワでの病気以来、旅行するときには、必ず一番大きな雑嚢(ナップサック)を携行することにしているが、それは運搬用の汚れた麻布製の袋で、その中へどんな機会にもどんな気分のときにも間に合うようにと、さまざまな書物を一杯に入れておくのだ。それは一トンぐらいの重さになるので、たくましい赤帽が何人かがかりで、よたよたしながら運ばねばならない。税関の役人が胡散くさそうにこの荷物をじろじろ眺めたりするが、この中には書物だけしか入っていませんよと確言すると、大ていは呆れかえったような顔つきで手を引いてしまう。この雑嚢の不便な点は、私が突然読みたいなと思い立った書物がいつも必ず一番底の方に入っていて、それを取り出すためには、袋の中のもの全部を床の上に出してしまわねばならないことだった。しかしながら、もしその不便さがなかったなら、おそらく私はあのオリーヴ・ハーディの世にも不思議な経歴について知ることはできなかっただろう。


……「書物袋」
冒頭より

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