「伝奇集/エル・アレフ」

ホルヘ・ルイス・ボルヘス/篠田一士訳

ドットブック 528KB/テキストファイル 242KB

800円

ラテン・アメリカ文学の質の高さを世界にしめしたボルヘスの処女短編集「伝奇集」と、その続編ともいえる「エル・アレフ」を収めた。「円環の虚構」「アル・ムターシムを求めて」「バベルの図書館」「死とコンパス」「不死の人」「アレフ」など、ボルヘスの代表作34編を収録。訳者篠田氏はチェスタートンのブラウン神父ものとの相似性を指摘している。

ホルヘ・ルイス・ボルヘス(1899〜1986)アルゼンチンの作家・詩人。夢や迷宮、無限と循環、架空の書物や作家、宗教・神などをモチーフとする幻想的な短編作品によって、ラテンアメリカ文学を一躍、世界の文学たらしめた最大の功労者。「伝奇集」「エル・アレフ」ほか、「ブロディーの報告書」「砂の本」などの作品がある。

立ち読みフロア
 ソロモンは言う。「地上ニハ新シキモノナシ」プラトンが構想したように、「アラユル知識ハ記憶ニスギナイ」のだ。それ故ソロモンは言う。「アリトアル新奇ナルモノハ忘却サレタモノニ外ナラヌ」
 フランシス・べーコン『エッセイズ』第五十八章

 一九二九年、六月のはじめ、スミルナの好古家、ヨセフ・カルタフィルウスというものが、ロンドンで、ド・リュサンジュ公女に小型四折判六冊からなるポープの『イリアス』(一七一五〜二〇年版)を献呈した。公女はそれをお買いあげになった。ふたりは二、三言葉をかわしただけであった。公女の語るところによれば、そのものは疲れて土色をした男で、眼は灰色、鬚(ひげ)も白く、全体として、なにかつかみどころのない容貌(ようぼう)であった。その男は数カ国語を流暢(りゅうちょう)に、しかも出鱈目(でたらめ)にしゃべった。瞬くうちに、彼の言葉はフランス語から英語にかわり、英語から今度は、サロニカのスペイン語とマカオのポルトガル語がまざった不思議な言葉になってゆくのだった。十月になって、公女はゼウス号の船客から、カルタフィルウスがスミルナへ帰る途中でなくなり、イオス島に埋葬されたことを知った。公女は例の『イリアス』の第六巻のなかに次のような原稿を見つけた。
 原文はラテニズムの多い英語で書かれてある。ここで読者がお読みになる翻訳はその逐字訳である。

  1

 わたしが記憶しているかぎりでは、わたしの人生試練はテーべのへーカトンピュロスの庭園ではじまる。ディオクレティアヌスが皇帝のときであった。最近のエジプト戦争に、わたしは紅海沿岸のべレニーケーに駐屯(ちゅうとん)していたローマの軍団の護民官として、従軍した。(むろんなんの武勲もあげなかったが)。熱病と呪術とが、けなげにも敵陣攻撃をねがう多くの人びとをたおした。マウレタニア人たちは敗北した。まえに叛乱(はんらん)都市軍に占領され、邪神に永遠の誓いをさせられた国土は解放された。敗れたアレクサンドリアはむなしくカエサルの寛容を求めた。一年もしないうちにローマ軍は勝利を獲得した。だが、わたしにはマルスの姿を瞥見(べっけん)することすらなかなかかなわなかった。この失望がわたしにはこたえた。そして、おそらくそのためであろう、わたしが荒漠たる、あの恐ろしい砂漠のかなたに、不死の人びとが住む神秘の国を発見しようとして夢中になったのは。
 わたしの試練がテーべのある庭園ではじまったことはすでに述べた。わたしは終夜眠らなかった。わたしの心中になにものかが争っていたのだ。わたしは夜の明けやらぬうちに起きた。わたしの奴隷たちは眠っていた。月は無限の砂漠のような色をみせていた。血みどろな騎者がひとり疲れきって東方からやってきた。わたしのいる数歩前で、彼は馬からずり落ちた。物ほしげに、彼はかすかな声で、この市の城壁をとりまいている河の名前はなんというのかとラテン語でわたしに尋ねた。「それは雨期になると水かさの増すアイギュプトス河だ」とわたしは答えた。すると彼は悲しげにいった。《自分がさがしたのは別の河です。死の国の人びとを浄(きよ)める秘密の河なのです》。黒い血がこの男の胸から流れていた。彼の語るところによれば、彼の故郷のガンジス河の対岸のある山岳地帯では、そこからどんどん西へ進んで世の果てまで行くと、不死の水の流れている河に辿(たど)りつくことができるという噂(うわさ)が行なわれていた。なお、この男のいうところによれば、その河の対岸には不死の者たちの住む市が凝然とそびえたち、そこには並木路や競技場や寺院が数かぎりなくあった。騎者は太陽の上りきらぬうちに死んだ。わたしはその市とその河を発見しようと決心した。数名の捕虜が獄吏の訊問によって、この騎者の物語を確証してくれた。そのなかのひとりは大地の果てにある楽園を想いだしてくれた。そこでは、人間の生活はもはや消え失せてしまうという。また、あるものは、その流域に住む人びとは百年の生命を保つという、パクトールス河の水源になっている、ある山岳の話をしてくれた。ローマでわたしは数名の哲学者と意見をかわしたが、彼らの意見によれば、人間の生命を伸ばすことは人間の苦痛を伸ばすことであり、死者の数をふやすことであるという。わたし自身がその不死の人びとの市の存在を信ずるかどうかということは、わたしにはどうでもよいことだ。ただ、その市を捜しださねばならないということだけで、わたしには十分であった。ガエトゥリアの総督であったフラウィウスがこの企図のために二百人の兵士をわたしに与えてくれた。また、わたしは傭兵(ようへい)を募ったが、彼らは進路を知っていると公言したくせに、けっきょくまっさきに逃亡した連中であった。
 つづいて起こった事件がわたしたちの遠征の最初の段階の記憶を説明しがたいものにしてしまった。アルシノエから出発したわたしたちは、赫々(かくかく)と燃える砂漠に入っていった。わたしたちは蛇(へび)を喰(くら)い、言葉を用いるすべも知らないというトログロデュタエ人の国を縦断した。それから妻を共有し、獅子の肉を常食にしているアウギラ人の国をつぎつぎと通過した。だが、わたしたちはもうこれ以上、砂漠にはあきてしまった。砂は黒く、旅するものは、夜間をあえて利用せねばならない。昼間の暑さがあまりに堪えがたいからである。遥(はる)かかなたにわたしは大洋にその名前を与えている例の山岳を認めた。その斜面には猛毒を中和させてしまう大戟(タカトウダイ)の木が生えのびているし、その頂には、多淫(たいん)で狂暴で、ぶざまなサテュルスたちが住んでいた。そのような怪物を生んだこの野蛮な土地が、あの有名な市をとりまいているとは、わたしたちにはとうてい信じがたいことのように思われた。わたしたちはなおも進軍をつづけた。踵(くびす)をかえすことは恥辱であった。数名の軽率な兵士は月光に顔をさらして眠りこけた。熱気は兵士たちのからだを焦がした。水槽(すいそう)の腐り水を飲んだ兵士たちが演じたものは、狂気と死であった。それから逃亡が始まり、まもなく叛乱(はんらん)が起こった。わたしはこれらの逃亡や叛乱を鎮圧するためには、あえて苛酷(かこく)になることを恐れなかった。わたしは公平に振舞った。しかし、百人隊長のひとりが、叛乱者たちがわたしの殺害を企んでいること(彼らのひとりが礫刑(たっけい)に処せられた復讐として)を告げてくれた。わたしはわたしに忠実な数名の兵士をつれて野営地から逃げた。わたしは砂漠のなかで、はげしい砂塵(さじん)と広漠たる暗夜にまぎれて連れの兵士を見失ってしまった。クレタ人の矢がわたしを傷つけた。わたしは水もなく、幾日も幾日も、いやそれは太陽、渇き、そして渇きへの恐怖のために膨脹(ぼうちょう)した、かぎりなく巨大な一日であったかも知れないが、ともかく彷徨(ほうこう)しつづけた。わたしは進むべき方向をわたしの気まぐれな乗馬にまかせた。暁方(あけがた)、かなたにピラミッドと塔が無数に逆立っていた。堪えがたいことであったが、わたしは狭苦しい、小ぢんまりとした迷路の夢を見た。その迷路の真中にはひとつの甕(かめ)があり、いまにもわたしの手がそれにとどきそうだったし、わたしの両眼ははっきりそれを凝視(みつ)めていた。しかし、この迷路の小路はあまりに込み入っており、眼もくらむほどであり、そのため、わたしがそこに辿りつくまでにはおそらく死んでしまうであろうと思った。

……「不死の人」冒頭より


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