「ブラッドベリは歌う」

レイ・ブラッドベリ/中村保男訳

ドットブック版 548KB/テキストファイル 292KB

1200円

母を失った子供たちの前に、養育係兼料理人として現われた、電子お祖母さんの活躍を描いて心暖まる佳編「吾は唄う、この身の充電するまで」、ヘミングウェイヘの痛切きわまる愛着を奏でる「キリマンジャロ機」、1929年のイリノイ州グリーンタウンに突如現われたチャールズ・ディケンズを名乗る男と少年との奇妙な友情を描く「ニックルビーの友達なら誰でもわたしの友達だ」、ペーソスと諧謔に溢れたユーモア短編「お屋敷、猛火に包まれなば」「冷たい風、暖かな風」。1948年から69年にかけて書かれた18編を収録した、ブラッドベリの自選傑作短編集。

レイ・ブラッドベリ(1920〜2012)アメリカの作家。SF、幻想文学、ホラー、ミステリー、あるいはこれらが渾然と一体をなした多彩な作風で知られる。代表作に『華氏451度』『火星年代記』『たんぽぽのお酒』などがある。

立ち読みフロア
 そこに着いたのは明け方だった。モーテルでは眠れなかったので、いっそ運転を続けたほうがましだと肚を決め、夜どおしトラックを走らせて、ちょうど日が昇る頃、ケッチャムとサン峡谷に近い山間部に着いたのだが、それまでずっと運転に気をとられていてよかったと思わずにはいられなかった。
 町の中へ車を乗り入れるとき、目をあげてあの丘を見ることはしなかった。ひと目それを見たら、なにか思わぬ間違いをしでかすのではないかと心配だったのだ。あの墓を見ないでいるのが肝腎なことなのだ。少なくともそんな気持だった。自分の勘を信じるしかなかったのだ。
 古ぼけた酒場の前にトラックを駐(と)め、町中を歩きまわって何人かの人と話をし、空気を吸いこんだ。澄んで香ばしい空気だった。若い鉄砲打ち(ハンター)を見つけたが、人ちがいだった。二、三分ほど話してみてすぐにわかった。とても年をとった男を次に見つけたが、やはり役に立ってはくれなかった。そのあとで五十がらみの鉄砲打ちを見つけたが、これはそのものずばりだった。わたしの捜し求めていたものをなにからなにまで知りつくしていた――というより、直観で感じとっていたのだ。
 その男にビールをおごって、四方山(よもやま)のことを話し合い、追加のビールを注文してやってから、話題の方向を変えて、わたしがここへなにをしに来たのか、なぜあんたと話をしたいのか、そのわけを説明した。しばらくのあいだ二人とも黙りこみ、わたしは内心のいらだちをおもてに出さないで、鉄砲打ちが自分のほうから進んで過去の話をもち出し、三年前のあの日々のことを語り、この時季か別の時季にサン峡谷へ車を走らせた話をして、かつてこの酒場でビールを飲みながら猟の話をしたり、実際に猟にも出かけて行ったりしたある男についてこの鉄砲打ちが見聞きしたことを話しだすのをじっと待った。
 やっとのことで鉄砲打ちは街道や山でも見るような目つきでつと壁を見やり、ふりしぼるように静かな声を出して喋りはじめた。
「あのご老人か」と言う。「ああ、あのさすらいのご老人。まったく可哀想なお方だった」
 わたしは待った。
「あのさすらいのご老人のことは忘れられないな」今度はビールを覗きこみながら言う。
 わたしはビールをもう少々飲んだが、気分上々とは言えず、自分までえらく年をとって疲れているように感じられた。
 沈黙が長びくと、わたしはこの地方の地図をとり出して木のテーブルに置いた。酒場の中は静かだった。まだ朝の十時頃で、客はわたしたちだけだった。
「あの人をいちばんよく見かけたのはこのあたりですか」とわたしが訊くと――
 鉄砲打ちは三度、地図にさわった。「ここで歩いているのをよく見かけたね。それから、この道でも見たし。そうだ、ここのところをつっきることもよくあったな。可哀想なあのご老人。路のあたりをうろちょろするのはやめろって言ってやりたかったんだけど、気持を傷つけたり侮辱したりしたくはなかったんでね。ああいう男に道路のことを教えてやったり、気をつけないと逸れ弾に当たっちまうぞなんて注意するわけにはいかないんだ。当たりたいって言うんなら、それでもいいさ。こっちとは関係のないことなんだと思って、ほうっておくだけのことだ。ああ、あ、それにしてもずいぶん年をとっていたな、あの人、最後の時には」
「まったくです」とわたしは言って地図を畳み、ポケットにしまった。
「あんたも例の記者なんですかい」と鉄砲打ち。
「《例の》とはちょっと違いますがね」
「なにもあんたをあの連中と一緒くたにするつもりじゃなかったんだ」
「弁解するには及びませんよ」とわたし。「簡単に言ってしまうと、あの人の読者だったんです、ぼくは」

……「キリマンジャロ機」冒頭より


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