「武道伝来記」

海音寺潮五郎作

ドットブック 309KB/テキストファイル 64KB

400円

臆病者とさげすまれた間宮織部は、息子・和三郎に「武士」の心を打ち明けて死ぬ。後日、若殿のお供をした和三郎は、父の汚名を晴らす…「武道伝来記」。秀吉の妻妾たちの二派に分かれた争いに巻き込まれた千利休の娘お吟(ぎん)の悲劇と、芸術界の雄、千利休と俗界の雄秀吉とを対比させて描いた「天正女合戦」。海音寺潮五郎の直木賞受賞作2編を収めた。

海音寺潮五郎(1901〜77)鹿児島県伊佐郡大口村(現在の伊佐市)生まれ。本名は末富東作(すえとみとうさく)。国学院大学高等師範部国漢科を卒業後、中学教師を務めながら、創作をおこなう。1934年から歴史小説を発表しはじめ、36年「天正女合戦」と「武道伝来記」が認められて第3回直木賞を受賞。以後、歴史小説・史伝ものの第一人者となった。前者の代表作は「平将門」「海と風と虹と」「蒙古来たる」など、後者では「武将列伝」「悪人列伝」「西郷隆盛」(絶筆・未完)など。

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  日当りのよい物置の前に蓆(むしろ)を敷いて、和三郎(わさぶろう)は独楽(こま)をこしらえていた。側に隣家(となり)の美代(みよ)ちゃんが坐(すわ)っている。和三郎は九つ、美代ちゃんは六つ。
「ほんとに上手ね」
 小刀の動きにつれて、さくさくと木屑(きくず)が散って行くのを見て、美代ちゃんは感心している。
「うん」
 和三郎は一寸(ちょっと)得意になって相手の顔を見て微笑したが、その時、急にわいわいいいながら通りを駈けて行く跫音(あしおと)を耳にすると、円(まる)い目を瞠(みは)って耳をすました。
(何だろう?)
(何でしょう)
 二人は眼を見合わした――
 微(かす)かに笛と太鼓の音が聞えて来る。
 ヒューラ、ヒュラヒュラ、ヒューラ、ヒュラヒュラ、ドドン、ドンドン……
「お獅子(しし)だ」
 和三郎は飛びあがった。もう独楽もなければ、お美代ちゃんもない。門まで駈けて行ってみると、早春の陽(ひ)のみちた町角の練塀(ねりべい)のしたに真黒に子供が群がって、そこから笛と太鼓の音が聞えて来るのだ。武家の子供らしく、小脇差(こわきざし)を一本ずつ差した子供達のうえに、お獅子の白い毛がちらちらと見え隠れして、陽の加減で金歯がきらきらと光っている。
「ウァーイ、お獅子だ。お獅子だ」
 和三郎は顔を真赤にして走って行った。見物しているのは子供たちばかりでない、仲間(ちゅうげん)や小草履取(こぞうりとり)まで出ていた。背の高い痩(や)せた男が笛を吹いて、肥った鞠(まり)のような男が太鼓を叩いて、それに合わしてお獅子は軽快に踊り狂っている。魁偉(かいい)な顔を振り立ててまるで空に舞いあがりそうにのし上がるかと思うと、ひらりと地面に這(ほ)うて、急に勢よく首をもたげる。子供達の上にのしかかって、ぐわっと真赤な口をひろげて、がたがたと金歯を鳴らすと、子供達は覚えず後退(あとすざ)りして、愉快そうに笑い出すのだ。見ている子供達も愉快そうだったが、お獅子のほうでも愉快でたまらないような踊りぶりだった。
 和三郎は夢中になって前に出ようとして小さな肩を割りこました。
 と、いきなり、ぐいっ! と、うしろから強い力で押しのけられた。
「あ!」
 驚いて見返ると、勘定(かんじょう)奉行三千石の的場(まとば)家の仲間が、的場の二番息子の供をして立っているのだ。
「さ、ここからならよく見えまする」
 鎌鬚(かまひげ)厳(いか)めしい大奴(おおやっこ)が、こちらをふり返りもせず仙太郎(せんたろう)に言う。
「無礼者!」
 和三郎は叫んだが、相手はちらと見たぎりで、馬鹿にしたような薄笑いを浮かべて、またあちらを向いた。
「どうでございます。よく見えるでございましょう」
 仙太郎のほうは少し驚いたように和三郎を見たが、いつもの冷淡さで、獅子舞いに目をうつした。和三郎はかっとして、奴の袖を捉(とら)えて引いた。
「おのれ、侍に手をかけて。わびぬか!」
 奴はいささか驚いたらしかったが、急に意地の悪い顔になると、にたにたと笑った。
「糊米(のりまい)ほどのお扶持(ふち)をいただき、肩につぎの当った着物を着てもお侍とは……、おお、怖(こ)わ、お侍様、あんたその脇差どうしなさるつもりで……」
「エイッ!」
「おッとととと」
 和三郎の刀はきらりと一閃(せん)しただけで、その腕は奴につかまれた。
「くそ!」
 小松の幹のような大奴の腕力は、九歳の小腕ではどうすることもできない。
「うぬ!」
 地だんだ踏んで蹴ったが、相手はびくともせず、
「お強いお強い」
 とせせら笑っている。四方に散って道の両側の塀下から見ている子供達のなかに、美代ちゃんの赤い着物が、やけつくように眼の隅にしみた。恥かしかった。くやしかった。小鼻がふるえて、眼頭が熱くなった。
「ほ、お侍様が泣いてござる」
 ぽんとつきはなすと、和三郎は二間(けん)ばかりけし飛んで、だっと仰向けに倒れた。余りの手剛さに気力も萎(な)える念(おも)いだったが、弾かれたように飛起きて、刀を閃(ひらめ)かして突進した。
「ほ、怖(こわ)や怖や」
 奴は仙太郎を背負(しょ)って走り出した。
「待て、卑怯者」
 五間ばかり追いかけた時、
「これ!」
 いきなり襟(えり)筋を掴(つか)まれて、ぐんと引戻された。振返ると、父の織部(おりべ)だ。
「父様(とうさま)! あいつを斬って下さいまし、斬って下さいまし」
「黙れ!」
 恐ろしいまで青ざめた織部は、泣き叫ぶ和三郎を引きずって連れ戻った。

……「武道伝来記」冒頭より


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