「ビルマの日々」

ジョージ・オーウェル/宮本靖介・土井一宏訳

ドットブック 338KB/テキストファイル 254KB

700円

オーウェルはイートン校を卒業後、19歳で警察官となり、当時英国の植民地だったビルマに赴任、各地で5年間の駐在生活を経験した。本書はそれを元に、帰国してから7年後の1934年に書かれた長編処女作。沸騰する現地の反帝国主義感情、原地民を毛嫌いする英国人たちのなかにあって、チーク材会社に勤める英国人主人公フローリーは揺れ動く気持ちのままに墓穴を掘っていく。

ジョージ・オーウェル(1903〜50)英国の作家。税関吏の息子としてインドに生まれる。イートン校卒業後、警察官としてビルマに赴任、自国の植民地政策に疑問をおぼえ、退職して作家を志した。「パリ・ロンドンどん底生活」「ビルマの日々」で認められ、以後エッセイの書き手としても知られた。のちには社会主義に共感して、スペイン義勇軍に参加(「カタロニア讃歌」)、だが全体主義的傾向に対しては終始反対して「動物農場」「1984年」の諷刺・未来小説を著した。

立ち読みフロア

 ビルマ内陸チャウタダ地区の治安判事ウ・ポ・チンは屋敷のベランダにすわっていた。まだ八時半であったが、四月なのでむし暑く、昼間は長くて息苦しくなりそうな気配だった。それとの対照で時どきかすかにそよぐ風が涼しく感じられ、軒下に吊された水を打ったばかりの蘭をゆり動かすことがあった。蘭の向こうには灰色の曲がった椰子の木、その向こうにはきらきら輝く群青《ぐんじょう》色の空が見える。目がくらむほど高い上空では、数羽の禿鷹が羽を動かさず旋回していた。
 ウ・ポ・チンは瞬きもせず、さながら大きな磁器の仏像のように強烈な日光を見つめていた。五十男であったが、太っているので、ここ数年は椅子から立ち上がる時は、いつも人の手を借りた。それでいて、全身的には体型がよく、美しくさえあった。ビルマ人は白人のように、ぶくぶく太ることはなく、果物がふくらむように均斉のとれた太り方をする。顔面は広く黄色で、しわ一本ない。目は黄かっ色。足にはなにも履かず、ずんぐりと甲が高く、足指の長さはみな同じ。刈り込んだ頭も無帽であった。着ているものは緑と紫紅色のチェック模様のついた、あざやかなアラカ樹繊維でつくったロンジー、つまり腰巻のようなもの、これはビルマ人のふだん着だ。テーブルの上にある塗り箱から取り出したキンマ〔コショウ科の植物〕の葉を噛みながら、過ぎし日のことを思い出していた。
 それはすばらしく成功した人生であった。ウ・ポ・チンの最も古い記憶は一八八○年代までさかのぼるが、当時、裸で太鼓腹の子供だった彼は、イギリス軍がマンダレー〔ビルマ中部の都市〕に勝利の行進をしてくるのを立って眺めていた。赤ら顔に赤い服を着た、あの大きな図体をした肉食人種の隊列や、長いライフル銃を肩にかけ、ザックザックと重くひびく軍靴の音などに恐怖心を抱いたのを今も思い出す。しばらくその行進を見た後で逃げ出した。子供なりに、自国民はこの巨大人種にはとてもかなわないことが分かった。そしてイギリス側に立って戦い、その寄生虫になることが、子供のころの強い野望になってしまったのである。
 十七歳の時、彼は官職につこうとしたが、貧乏で縁故《コネ》がないこともあって失敗、三年間マンダレーのくさいくさい迷路のような市場《バザール》で、米屋の店員をしたり、時には盗みをしたりした。それから二十歳のとき運よく恐喝で四〇〇ルピーの金がころがりこんだので、すぐラングーンへ行き、政府の書記の地位を買ったのである。俸給は安いが、儲けになる仕事だった。当時は書記がぐるになり、国営店を私物化して着ちゃくと収入を得ていた。(ウ・ポ・チンはその頃はまだただのポ・チンで、敬称としての『ウ』は後になって付いたものだが)ポ・チンももちろんこれに手をつけた。しかし、みじめたらしく小銭をくすねながら書記の生活を続けるには、あまりにも才能がありすぎた。ある日、彼は、政府が下級役人不足のため書記の中から若干名を登用しようとしていることを知った。このニュースは一週間もすればひろまってしまったことだろうが、どんな情報であろうと、つねに他人よりも一週間早く入手するのがポ・チンの得意わざであった。やるなら今だと見ると、横領仲間を密告して有無を言わせなかった。連中の大部分は監獄に送られた。一方ポ・チンは正直の報酬として地区助役に任命され、それ以来着実に昇進してきた。五十六歳になった現在は地区治安判事であり、おそらく、さらに出世して、イギリス人を同僚ないし部下とする副総弁務官にまでなるだろうと思われる。

……冒頭より

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