「カナリヤ殺人事件」

ヴァン・ダイン/瀬沼茂樹訳

ドットブック版 324KB/テキストファイル 243KB

600円

名声と華やかなゴシップに彩られたブロードウェーの人気女優マーガレット・オデール(愛称「カナリヤ」)が、アパートの自室で無残な絞殺死体となって発見される。容疑者は何人かに絞られたが、みなアリバイがあり、しかも現場は完全な「密室」だった。「密室」の巨匠ヴァン・ダインの傑作本格推理!

ヴァン・ダイン(1888-1939)アメリカ・ヴァージニア州の生まれ。本名はW・H・ライト。ハーヴァード大学大学院では英語学を研究し、のち画家を志してミュンヘンやパリに遊学した。1914年までの数年間は文芸批評家、美術評論家として活躍。第一次大戦に当ってパリに住み、帰米してから強度の神経衰弱で、1923年から25年にかけて病床生活を送った。この間に二千冊のミステリーを読破、自ら創作への意欲を持つことになった。輝かしい業績と名声の中で、わずか51歳にしてニューヨークで亡くなった。代表作「僧正殺人事件」「グリーン家殺人事件」「カナリヤ殺人事件」「ベンスン殺人事件」

立ち読みフロア
 センター街にある警察本部ビルの三階、ニューヨーク警視庁刑事殺人係の事務室には、大きな鋼鉄製の文書保管棚がある。同種類の索引カードが何万とあるなかにまじって、次のようにタイプされた緑色の小さなカードが一枚保管されている。

 マーガレット・オーデル 西七十一番街百八十四番地。九月十日、殺人。午後十一時頃、絞殺死《こうさつし》。アパートは徹底的にあらさる。紛失物は宝石類。死体発見者、女中のエイミー・ギブスン。

 こんなわずかに数行たらずの平凡きわまりない文句をもって、わが国の警察史上、余人をば驚かせた、特筆すべき犯罪事件の一つが、さむざむと、なんの誇張もなく、しるされている。この事件はまったく矛盾《むじゅん》だらけで、とらえにくく、巧妙にしくまれ、しかも前例のないものであったから、長いこと、さすがの警察当局も、地方検事局も、手がかり一つつかめないで、まったく手こずっていた。どの方面を捜査してみても、マーガレット・オーデルが、殺されるようなことはあろうはずがないという結論におちつくほかはなかった。しかも彼女の居間にある長い大きな、絹布の寝椅子《ねいす》の上には、彼女の絞殺死体が長々と横たわっているのだから、この奇怪な結論がまちがっていることは明々白々な事実であった。
 この犯罪の真相は、意気を沮喪《そそう》させるような混沌《こんとん》とした真の暗黒の一時期をへて、ようやく明るみにだされるようになったのだが、未知の人間性状の多くの異常で奇怪な根性と、多くの暗黒の秘密と、絶望に近い悲劇的な失望によってとぎすまされた人間精神の無気味な狡猾《こうかつ》さとを、明らかにしていた。そしてまた、その本質と組立てとにおいて、エステエル・ファン・ゴプセックにたいするヌッチンゲン男爵《だんしゃく》の、伝説的にとてつもない愛欲や、不幸なトルピイユの悲劇的な死をみごとに描いた、あのバルザックの『人間喜劇』のいきいきとした劇的な情景にくらべてもおとらない、ロマンティックで、魅力のある情熱のメロドラマのかくれた一ページをしめしていた。
 マーガレット・オーデルは、ブロードウェーの放埓《ほうらつ》な歓楽街の生んだ女だった。――刹那《せつな》の歓楽をもとめる、派手《はで》で、いつわりのロマンスをいくぶんとも典型化しているような、才気にみちた女だった。その死に先だつおよそ二年間、都会の夜の生活では、一番に人目をひき、ある意味では一番に人気のある人物だった。われわれの祖父母の時代であったなら、彼女は、「街の花形美人」という、いくぶんいかがわしい呼び名をあたえられていたであろうが、今日では、こんな部類にはいる候補者があまりにも多すぎるし、都会のカフェ生活にとびまわる「夜の蝶」類には、あまりにも多くの派閥《はばつ》や、猛烈な分派がありすぎるから、こういうふうにただ一人の選手を選びだすことができないのである。しかし、玄人素人《くろうとしろうと》の新聞係が騒ぎたてる人気者のなかでも、マーガレット・オーデルは、その小さな世界にあっては疑いもなく名声のあった人物である。

……冒頭より


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