「カンタベリ物語」

ジェフリー・チョーサー/繁尾久訳

●愛蔵版(エキスパンドブック) 2026KB

●普及版 ドットブック 396KB/テキストファイル 171KB

愛蔵版 1050/普及版 800円

聖地カンタベリへの巡礼に出かけるために同じ宿屋にたまたま泊まりあわせた客たち総勢29人。騎士、粉屋、荘園の管理人、貿易商人、料理人、法律家、修道女、免罪符売り、市井の女房など、身分や職業はまちまち。全員でくじを引き、順番に道中おもしろおかしい話を披瀝しあったら旅のなぐさめになろうという宿屋の亭主の発案に合意する。これがこの物語で、断片しか残っていないものまで含めて全25話。本書では長年この物語に親しんできた訳者によって、現在のわれわれにもアピールする代表的な話、この物語を知るに必要十分な9話が紹介されている。

愛蔵版には、上の表紙画像のような中世の彩飾挿し絵を多数、解説つきで収録しています。

ジェフリー・チョーサー(1340頃〜1400) ロンドンのワイン輸入商人の息子。父親は王室との関係が深く、息子も宮廷人となってイタリア、フランドル、フランスに外交使節として赴き、ボッカッチョやペトラルカを知った。この間、詩を書き続け、晩年近くになって書き上げたのが有名な「カンタベリ物語」で、イギリス近世の世俗文学の代表作とされる。

立ち読みフロア

 結婚生活の悲哀についてなら、この世に権威ある書物はないにしても、あたしなら、経験だけでじゅうぶんお話ができるわ。と申しますのは皆さん、永遠《とわ》にまします神さまのおかげで、あたしは、十二の年からこれまでに、教会の門口で結婚したことが五たびもあるからです。もっとも、こんなになんべんも結婚が認められればの話ですけど。その五人はみんな、それなりにひとかどの男たちでしたわ。けれども、じつはつい先だって耳にしたことですけれど、キリストはガリレアのカナというところで、たった一度のほかは、結婚式に臨まれなかったそうで、もしそれをお手本にすれば、あの方はあたしに結婚は一回こっきりにするべきだと、おさとしになったわけですの。
 はてさて皆さん、いいですか。そのとき、神さまでもあり人間でもあられるイエスさまは、ヤコブの井戸のかたわらで、あのサマリア女を、またなんと手きびしくおしかりになったことでしょうか。「夫は五人までありしが、今なんじを妻とする者はなんじの夫にあらず」と、たしかにおっしゃったのよ。まあ、このお言葉がどういう意味なのかあたしにはわかりませんがね。でも、これだけはおたずねしたいもの。いったいなぜ五人目の男が、このサマリア女の夫でなかったのかしら。あの女《ひと》はなん人まで結婚が許されたんでしょう。とにかく、あたしはこの年になるまで、数について、はっきりしたきまりを聞いたことなんかなかったわ。世間ではあれやこれや、あて推量をしたり、解釈なさっているようね。でもあたしは、神さまが、生めよ、殖えよ、とお命じになったことを百も承知しているわ。うそいつわりじゃないことよ。このかたじけないお題目でしたら、あたしにだってほんによくわかるわ。それからまた神さまは、あたしの夫に、父母のもとを去り、あたしをめとらねばならぬ、と命じられたのもよく知っているわ。だからって神さまは、再婚であろうと八度目の結婚であろうと、数のことなど問題になすってはいないのよ。だのに、なぜ世間の人はそれをなじったりするのかしら。
 ほら、あの賢いソロモン大王はどうでしたっけ。たしかお妃はひとりどころではなかったわ。ああ、あの方のせめて半分だけでも、夫のおかわりができたらうれしいんだけど! あのお妃たちすべてと、あの方はまあなんとすてきな神さまのお恵みにあずかったことでしょう! この世に生をうけてあれだけ女房運がよければ男冥利につきるというものだわ。あの気高い王さまは、きっと初夜の夜ごとにお妃たちのめいめいと、なんべんもお手合わせをなすったことでしょう、まったく運のいい殿御だったわ。
 五人の夫を恵まれたなんて、このあたしもついている。あたしが選んだお相手たちは、下の方の巾着《きんちゃく》も、はたまた金庫のほうも粒よりの上物。さまざまな学校へ通ってこそはじめて完全な学者になれるというもの。またいろんな作業をして腕をみがけば、申しぶんない職人が育つというのもたしかなこと。あたしは五人の夫たちにすっかり仕こまれたのよ。六人目だって現われれば大歓迎ですわ。じつのところあたしは、慎みぶかくしていようなんて毛頭考えてはいません。今の夫がこの世からおさらばすれば、すぐにでも、だれかキリスト教徒と結婚してみせるわ。だって、あたしは神の御名において、いつだって好きなときに結婚できるって、使徒パウロがおっしゃっているからよ。結婚するとも罪を犯すにはあらず、結婚するは情の燃ゆるよりも勝ればなり、ってことだわ。世の人は、いまわしいレメクとその重婚をとがめているけれど、あたしはぜんぜんへいちゃら。アブラハムが聖人だったことはよく知ってるわ。それから、たしかヤコブもそうよ。でも、この殿御たちも、めいめいふたり以上の奥方をもっていましたわ。ほかの大ぜいの聖者だって同じこと。尊い神さまが、いつの世にはっきり結婚を禁じられたことがあるかご存知なら、どうか教えていただきたいものだわ。それともどこかで、神さまは純潔を守れとお命じになっているかしら。
 皆さんも知ってのとおり、かの使徒パウロは純潔を説いておいでですけど、処女のことにつきては主の命を受けず、とことわっていらっしゃるのははっきりしてるわ。人は女性に独身でいるように忠告することはできましょう。でも、忠告と命令は別のもの。パウロは忠告に従うかどうかは、あたしたちの判断にお任せになったんだわ。だって、もし神さまが純潔をお命じになったとしたら、神さまはそうなさることで結婚を否定されたことになってしまいますからね。だいいち、もし種がまかれなければ、そもそもどこから処女が生まれてくるものかしら。すくなくとも、パウロは、主がお命じにならなかったことをしゃしゃりでてさしずなどなさらないわ。投げ矢の賞品が処女の純潔にかけられているわ。さあ、これはと思う人は手にいれてごらんなさいまし。だれの走りっぷりが一番か見ものだわ。
 でもこのお言葉は、すべての人に向けられているとはかぎらない。ただ神さまのお力で特別に恵まれている人たちだけに向けられているのです。あたしはパウロが童貞だったことはよく承知しているわ。わが欲するところは、すべての人の我の如くならん事なり、とパウロは書いたり主張されているけれども、つまりは純潔への勧告にすぎないのよ。そのうえ、人妻になることについては、あたしはあの方のお墨つきをちょうだいしているのですからね。だから、もしつれあいが死んでしまえば、あたしが結婚したって、とがめられることもなければ、重婚のそしりを受けることもなくてよ。男は女に触れぬをよしとす、と使徒はおっしゃってますけど、つまりはベッドのなかや、寝いすの上で、との意味なんですよ。麻くずと火をいっしょくたにするなんて、あぶなっかしい限りですからね。このたとえの意味はおわかりでしょうね。使徒のおっしゃっている要点は、純潔でいるほうが、もろくて結婚するよりはいっそう完全だということですわ。もろくてと申しあげたのは、男や女が生涯純潔のままで通すのでなかったら、ということですのよ。
 たとえ処女の方が再婚よりましだとしても、あたしはそれはじゅうぶん認めます。でも、それをうらやましいなどとは露ほども思いませんよ。体も心も清らかでありたいと願う人もおりましょう。ですから、あたしは自分の立場をことさら鼻にかけようなどとは少しも考えていないわ。それというのも、お大尽《だいじん》さまだって家にある器《うつわ》がことごとく黄金《こがね》作りというわけじゃございませんもの。いくつかは木作りのものもありましょう。でも、それはそれでご主人の役に立っているんですわ。神さまはさまざまな方法で、人々をお召しになっていらっしゃる。そして、めいめいが神さまからそれなりの才能を授かっているのですよ。ある人はこれ、また他の人はあれといった風に、いずれも神さまのおぼしめし次第で決まるんだわ。
 純潔はごりっぱで申しぶんないし、信心による禁欲も同じだわ。でも完全のご本尊でいらっしゃるキリストさまは、往きて有《も》てる物を悉《ことごと》く売りて貧しき者に施せ、かくして我と我が足跡に従え、とすべての人にお命じになっているのじゃないわ。キリストさまは完全な生活を願う人にだけ声をかけられているにすぎないのよ。ところが皆さん、はばかりながらあたしは違うの。あたしはあたしの一生涯の花を、結婚の営みと果実のために捧げるつもりなんです。
 それからまた生殖器官は、いったいなんの目的で、しかも、かくも申し分なきお方によって作られたのか教えて欲しいわ。伊達《だて》や酔狂で作られたとはとても考えられません。どうかお好きなように、あれやこれや解釈していだきましょう。これは排尿のために作られたのだとか、あたしたち両性のあの小道具は、男女の区別のためのものであって他意はないのだといわれても、まさか皆さんご賛成はなさらないでしょう。それが見当はずれだということは身に覚えがおありでしょうからね。学者先生方のお怒りを買いさえしなければ、あたしは、あれは両方の目的のため、つまり、排尿の用と生殖の楽しみのために作られたのだと思いますわ。こう申しあげたからといって、神さまはご立腹なさりますまい。さもなければ、なぜ使徒たちは聖書のなかへ、夫は妻にその負い目を支払うべきである、などと書き著《しる》したでしょうか。ところで、もし夫があのいじらしいお道具を使わないとすれば、いったいどうやって負い目が支払えるでしょうか。というわけで、このお道具は排泄と生殖の両目的のために人間に備わっているのですわ。

……「バースの女房のプロローグ」巻頭
より


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