「南回帰線(上下)

ヘンリー・ミラー作/大久保康雄訳

(上)ドットブック 238KB/テキストファイル 177KB
(下)ドットブック 252KB/テキストファイル 192KB

各400円

 1939年、パリ滞在中にミラーが発表したこの作品は、「北回帰線」とならんでミラーの母国アメリカでは30年間も発売禁止となったタブーの書。だが、裁判で決着がつくや、たちまちセンセーショナルな話題を呼んでベストセラーとなった。ニューヨークの電報配達会社に務める主人公の破天荒な性的遍歴と形而上学的な思索を通じて「不毛の現代文明」をあざやかに描き出した記念碑的作品。

ヘンリー・ミラー(1891〜1980)ニューヨークのブルックリン育ちのアメリカの作家。大学中退後、いろいろな職につくが、1930年以降にパリに出て各地を放浪。34年に「北回帰線」、39年に「南回帰線」を発表して、性の問題を赤裸々に描出したため、英米では60年代まで発禁処分にあったが、フランスからの密輸で、作品そのものは広く知られていた。他の代表作に「マルーシの巨像」「薔薇色の十字架3部作」などがある。

立ち読みフロア
 息絶えてしまえば、たとえ渾沌(こんとん)のなかにあっても、あらゆることが判然としてくるものである。そもそもの当初から、渾沌以外のなにものもなかった――私をとりまき、私がエラで呼吸していたものは、あいまい模糊(もこ)たる流動物であった。おぼろにかすんだ月が不変の光を投げている下層部は、静穏(せいおん)で肥沃(ひよく)だったが、上層には密林があり、不協和音があった。私はすぐ、あらゆることに矛盾と対立を見、現実と虚構のあいだの諷刺(ふうし)と逆説を感じとった。私自身が私の敵であった。私はなにもしようと思わなかったが、また思ってもできないことばかりであった。なんら不足のない子供のころですら、私は死にたいと思った――苦労することに、なんらの意義も認められなかったので、すべてを放棄したかった。自分で求めもしなかった人間生活をつづけても、なにひとつ得るところがなく、なんらの実証も得られず、プラスにもマイナスにもならないような気がした。私の周囲のものは、ほとんど落伍者(らくごしゃ)であり、落伍者でないやつは、ひどく不愉快な人間ばかりであった。とくに成功者がそうであった。成功者には、じつに閉口させられた。私は過失に対して同情的であったが、私をそうさせたのは同情心ではない。それは、人間の不幸をかいま見ただけで顔を出すある純粋に否定的な性格――弱点――のせいであった。私は役にたつつもりで他人を助けてやったことは一度もなかった。ほかにどうすることもできなかったのである。事態を変えようとするのは、しょせん無益なことのように思われた。心を変えないかぎり、なにごとも変らないと私は確信していた。しかし、人間の心を変えることのできる人がいるだろうか。ときおり友人が改宗したという話を聞くと、私は胸がむかついた。神が私を必要としないように、私もまた神を必要としなかった。もし神が実在するものなら、私は堂々と彼に会って、その顔に唾(つば)を吐(は)きかけてやりたいものだと、しばしば心のなかでつぶやいた。

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