「カザノヴァ回想録 第五巻」

カザノヴァ/田辺貞之助訳

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1200円

カザノヴァ35歳から38歳にかけての恋の遍歴。マルセイユ、ジェノヴァ、フィレンツェ、ローマ、ナポリ、トリノ、ストラスブール、そしてパリ……パリではフランス人士官がスウェーデン人の士官に殺される事件が起きた。美しい未亡人がカザノヴァに救いを求めてきたが、カザノヴァはその娘に目をつけ、わがものにした。そしてコルマルまで母子を送ってゆき、その途中で母親とも関係をもった。
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第七十九章

[娼家の生娘の女中]
 ふと気がつくと、両側の前列の四つの桟敷(さじき)に、いい服を着たきれいな女がずらりと並んでおり、ひとりも男が付き添っていなかった。最初の幕間のあいだに、あらゆる階級の紳士が無遠慮にその桟敷を訪ねて、相手かまわずお世辞をいった。突然、あるマルタ島の騎士がひとりですわっていた隣の桟敷の女に、
「あしたきみのところへ朝食に行くよ」というのが聞こえた。
 それだけ聞けば相手がどんな女かすぐにわかった。そこで、そばへ行ってながめると、なかなかいける女だったので、騎士が向うへ行くとすぐにこう聞いた。
「お宅で夕食をご馳走していただけますか」
「よござんすわ。けれども、よくだまされますので、手付けをいただかないと、お待ちできかねますわ」
「手付けはどういうふうにしてあげたらいいのです? よくわかりませんな」
「あなたはここへ近ごろ上陸なさった方らしいですね」
「ええ、来たばかりです」
 彼女は笑いだして、騎士を呼び、
「この外国の方に説明してあげてちょうだい。今夜あたしのところで夕食をめしあがりたいとおっしゃるのですが、手付けがおわかりにならないのですよ」
 騎士は非常に親切な男で、お嬢さんはあなたが申し込んだことをお忘れにならないように、さきに夕食の代を払ってほしいというのだと、にこにこしながら話した。私は彼に礼をいい、一ルイで足りるかと女に聞くと、十分だということだったので、住所をきいて金を渡した。騎士は丁重な口調で、芝居がはねたら自分で案内するといい、「これはマルセイユでもいちばん陽気な娘さんですよ」とつけくわえた。それからこの町を知っているのかときいたので、きょう着いたばかりだと答えると、それでは、あなたの最初の知合いになれたわけだといって喜んだ。そして、私を階段桟敷のまんなかへ引っぱっていき、右や左に並んでいる十五人ばかりの娘の名を教えた。その連中はだれでも望み次第夕食へ呼ぶ心組みをしているのであった。彼女らは入場料を払わなかったが、興行主は損はしなかった。身分の高い婦人はそういう席へは行かないし、そのニンフたちが客を引きよせたからである。なかに五、六人、私の約束した女よりもましなのがいたが、今夜はあの女で我慢することにし、ほかの女たちと知合いになるのは後日の楽しみにしようと思った。
「あなたのご贔屓(ひいき)もこのなかにいるのですか」
「いや、わたしはある踊り子をかわいがって、囲っております。いずれ引き合わせましょう。幸いわたしは嫉妬ぶかい性質ではありませんから」
 芝居がはねると、彼は私を女の家の戸口まで送ってくれた。そして、再会を約して別れた。
 彼女はネグリジェ姿であった。それは彼女にはあまり有利な恰好(かっこう)ではなかった。私には好ましくなかったからである。しかし、彼女はうまい夕食を出し、かなり気のきいた悪ふざけで食事をにぎわした。そこで、私もいくらか彼女を見直した。食事がすむと、彼女はベッドにはいり、あなたもあたしに見習えとすすめた。「ぼくは外泊したことがないのだ」と私はいった。すると、彼女は私を安心させるためにコンドームを出してきた。だが、あまりにも安物だったので、承知しなかった。
「もっと上等のがありますが、ひとつ三フランもするのです。そのうえ、商人はダースでなければ売りません」
「りっぱなものなら、一ダースもらおう」と、私は答えた。
 彼女は呼鈴を鳴らした。すると、若くてつつましやかな、かわいい女の子があらわれた。私はその美しさに打たれた。その子がコンドームを買いに出ていくとすぐ、
「かわいい小間使をおいているんだね」といった。
「まだ十五ですが、ばかなのですよ。生娘だもので、なにもしようとしないんです」
「生娘かどうか確かめてもいいかい」
「それじゃ、あの子に聞いてごらんなさい。承知しないと思いますが」


……第七十九章冒頭より

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