「髑髏城」

ディクスン・カー/ 宇野利泰訳

ドットブック版 300KB/テキストファイル 185KB

600円

ローレライで名高い絶景のライン河畔にそそりたつ不気味な髑髏城を、稀代の魔術師メイルジャーが入手して、のぞみどおりの幻想の城に改築した。しかし城の持主はライン川に変死体となって浮かび、あとをついだ俳優マイロン・アリソンは全身を炎につつまれて城壁から転落した。あいつぐ惨死事件の真相をさぐるべく、パリの名探偵バンコランとベルリン警察のフォン・アルンハイム男爵とのあいだに、しのぎをけずる捜査争いが展開する。本格派の巨匠力一が、魔術の世界を背景に、怪奇と不可能犯罪を描いた初期の代表作。

ジョン・ディクスン・カー(1906〜77) 米国生まれだが英国に長く住んだ。一九三十年代に「密室トリック」「不可能犯罪」ものの第一人者となり、その後は怪奇性を強調した作風の多数の作品を残した。他の代表作に「皇帝のかぎ煙草入れ」「帽子蒐集狂事件」「三つの棺」など。

立ち読みフロア
 ジェローム・ドーネイが殺人と古城と魔術とを語っている。
 シャンゼリゼにある、ローランというこじんまりしたレストランの一隅(ぐう)。ぶどうの蔓(つる)をはいまわらせた壁を背に、その夜ぼくたちはにぎやかに食卓を囲んでいた。桃色のシェードをかけた灯火が、夜空の星と妍(けん)を競いながら、鉢(はち)植えの木々をおぼろに照らしだしている。閉店時間にちかいので、客の影はまばらだった。やしの鉢植えの奥に、オーケストラの影がほの見えて、当時五月のパリの街々で、さかんに口ずさまれていたメロディーを流していた。
 テーブルの向うでは、ジェローム・ドーネイがしゃべりつづけている。このベルギーの大富豪は、ヴィシー水しか飲まぬのだが、たえず指先を動かして、酒杯(グラス)の柄(え)を振りまわしている……だいたいかれの指は、どんなときでもじっとしてはいられないようだ。落ちつきというものを知らぬかれは、こんどはテーブル・クロスの上に、何かわけのわからぬ文字を、スプーンでしきりに書きはじめた。それだけが、静かなその夜の空気を乱すただ一つの動きだった。
 世界の富豪のうちでも、十本の指に数えられるというドーネイは、背のずんりした、スマートさといったものからは、およそ縁の遠い男だった。それでも、その青い目だけは、いつもじっと相手を見すえて、おもわず相手をうろたえさせるだけの鋭さを持っている。大きすぎるくらいの頭の鉢に、薄くなりかけた黒髪をぴったりとなでつけて、大きく張った鼻翼(びよく)からあごにかけて、二本のしわを深くたたんでいる。その下に、りっぱすぎるくらいのひげが控えているのを見ると、饒舌(じょうぜつ)ならばだれにも引けを取るものかと、ひそかに誇っているかのように感じられる。
 ドーネイは言った。
「ムッシュウ・バンコラン。わしはぜひ、きみの力を借りたいことがあるんだ。じつに奇怪異様な事件でな。ふつう世間のやつらなら、話を聞いただけでぞっとして、だれでもしりごみをするにきまっとる。しかし、きみだけは別ものだ。かえって、それをおもしろがってくれるにちがいないと、わしはかたく信じとるんだ。どうだ、きみ。ひとつ、事情を聞いてはくれんか?」
 いまからふり返って考えてみても、ジェローム・ドーネイがこの事件の渦中(かちゅう)に、わざわざバンコランを巻きこんだというのは、どういう大胆不敵な衝動にかられたことか、ぼくにはいまだに疑問である――事件はすでに解決した。ドーネイがぼくに、一夕(いっせき)、食事をともにしないかと、丁重な手紙をよこしたところから始めて、かれの黒エナメルの靴が、動きもせずにおおい布の下に横たわっているのを見た最後の場面まで、ぼくはのこらず目の前に思い浮かべてみたが、それでもなお、このベルギーの大富豪は、ぼくにとってはなぞの人物であった。
 もちろんかれとても、髑髏城のほの暗いローソクの灯(ひ)の下で、歯をむき出してにやりと笑った相手の目に出会ったときは、思わず知らずよろめきはした。が、そのときにしても、打ち砕かれたものはかれの心で、その大胆さをかれは失わなかった……とにかくその夜の食卓に、なにかぶきみな予感があったのは事実だが、よもやそれが、ぼくたちをその渦中に巻きこんだ、あの怪奇きわまるできごとにまで発展しようとは、夢にも思いおよばなかった。
 ドーネイはヴィシー水を口にしながら、話のさきをつづけていた。
「ではそろそろ、事件の説明にかかるとしようか――なるほどきみはパリのお役人だ。しかし、バンコラン君、わしが雇うと言いだせば、いくらきみだっていやだと言わんだろう。ひと骨、折ってくれるにちがいないと思うんだが――」
 バンコランは、なおしばらく、眉根(まゆね)に深くしわをよせたまま、グラスの酒を灯火にかざして黙っていた。
 およそパリの事情通ともあれば、この地区の予審判事としてのバンコランの名声を知らぬものはあるまい。ぼくはこれまで、数々の犯罪記録で、かれの風貌(ふうぼう)はかなりくわしく記述しておいた。真ん中から左右にぴたりと分けた黒髪は、耳の上でけものの角(つの)のように巻きあがっている。濃く太い眉毛の下には、切れ長の目が暗くけわしい光をみせている。高い頬骨、鉤(かぎ)なりの鷲(わし)鼻、小さな口ひげととがったあごひげに包まれたくちびるは、いつもかすかな笑いを含んでいる。すべてこれ、パリの人士ならば、いく度もいく度も新聞漫画でお目にかかって、近づきになっている顔である……かれはグラスの柄をグルリと回した。指にずらりと並べた指輪の石が、タキシードの白い胸にきらりと光った。
「わたしをお雇いになる――」
「失礼な言い分だが、きみはわしのめがねにかなったのさ。まずヨーロッパ広しといえ、きみの右に出る名探偵(たんてい)はおらぬだろう。それにきみは、資産も充分あるとみえて、現在の警察界における地位を買い取られたと聞いたが――」
「ドーネイさん! よけいなお話はやめていただきましょうか」
「いやいや、だからといって、なにもきみを非難しとるわけじゃない。きみはそれで、きみの才腕をふるう地位を得たんだから、自他ともに、こんなけっこうな話はないわけさ。どのくらい金を使ったことか知らぬが、それできみの道楽がりっぱな実を結んだとなれば、けっこうなことじゃないか」
 バンコランの額を、ちらっとけわしいしわがよぎった。ドーネイはむしろ、かれの皮肉を楽しむかのように、
「とにかくきみは、目下休暇中だと聞いておる。ひとつすなおに、わしの事件を引き受けてみてはくれんか。場合によっては、きみの地位を尊重して、いちおう無報酬ということにしておいてもよい。事件というのは、おもしろいこと疑いなしだ。これはわしが請け合ってもよい。ひとつだまされたと思って、わしの話を聞いてみんかね。たとえ無報酬にしたって、きっときみは、乗りだしてみたくなるにちがいないのだ。おそらくきみがこれまで扱った事件のうちで、もっとも興味しんしんたる怪事件だといえるだろうな」
 ジェローム・ドーネイは、テーブルの上にのしかかるようにして、バンコランの目を見つめながらしゃべっていた。いぜんとして、そのおうへいな態度は変えなかった。そして、テーブルの端を、指の先でとんとんとたたくと、
「どうだね、バンコラン君。ご出場願えんだろうか?」

……巻頭より


購入手続きへ


*** 作品一覧へ *** ホームページへ ***