「セントラル・パーク事件」

クレイグ・ライス/ 大門一男訳

ドットブック版 271KB/テキストファイル 188KB

600円

カメラマンのビンゴと助手ハンサムは、ニューヨークの街頭写真師だ。通行人や旅行者の写真を撮ってカードを渡し、25セントを送ってきた客にできた写真を送るのが商売。ハンサムは背が高く二枚目で、ご婦人方にもて、そのうえ、新聞に出ていることならなんでも憶えているという超人的な記憶の持ち主。その日も、二人は、セントラル・パークで、観光客相手に写真を撮っていた。七年前、公園の名物男ピジョン氏が、五十万ドルの生命保険をかけたまま謎の失踪を遂げたところだ。「ピジョン氏が失踪したその場所で撮ったあなたのお写真、すばらしい記念品になります」そう言ってカードを差し出すと、だれもが受けとった。商売は上々だった。だがその夜、暗室で昼間の写真を引き伸ばしていたハンサムは、笑っている男女を撮った写真の背後に、あのピジョン氏が写っているのを発見した! 魅力溢れるキャラクター、ビンゴとハンサム登場の傑作ユーモア・ミステリ。

クレイグ・ライス(1908〜57) アガサ・クリスティの独創性、ダシール・ハメットのスピード感、ドロシー・セイヤーズのウィットを複合して独特の語り口で結合させたと評される、アメリカを代表する女性作家。笑いのある本格ミステリというユニークな作風は、他の追随をゆるさない。他の代表作に 「大あたり殺人事件」「大はずれ殺人事件」「こびと殺人事件」「幸運な死体」「スイートホーム殺人事件」など。

立ち読みフロア
 一台のパトロール・カーが狂ったようにサイレンを鳴らしながらセントラル・パーク・ウェストを疾走して行くと、ボリヴァー・ヒルの下に群れていた鳩は、抗議するようにいっせいにばたばたと翔び立った。六十秒ののち、鳩は平静にかえって舞い戻り、地味な灰いろの服を着た小男は、ふたたび彼らに餌をやりだした。
 ビンゴ・リグスが花模様のプリントのドレスを着た大柄な婦人をぱちりと撮(と)ると、相棒のハンサム・クザックは彼女にカードを手渡して口上を述べた、「ニューズリールに映(うつ)ったお姿をご覧下さい、奥さん、歩いておいでのところを撮(と)らせて頂きました――」女がカードを捨てて遠ざかったので、彼は急に口を噤(つぐ)んだ。
 ハンサムは溜息をつくと、カードを拾いあげ、埃(ほこり)を吹いて、ほかのカードと一緒にしまった。「やけに暑いじゃないか。ビールでひと息いれようや」
「日曜の一時にか! お前、頭がどうかしたんじゃないか」ビンゴは歩道をこちらへやってくる二人連れに一たんカメラを向けたが、思い直して、やめにした。
 ボリヴァー・ヒルの下の歩道が交叉する狭い三角形の空地は、散歩をする人や遊覧客などで混みあっており、南京豆の殻や煙草の吸殻やさまざまな紙屑が散らばっていた。だが、人出のわりには商売は振わなかった。たぶん、とビンゴは思った、こいつは暑さのせいだろう。
「こんどはおれがカメラを持とうか?」ハンサムが物足りない様子で尋ねた。
 ビンゴは頭を振った。二人のうちではハンサムの方が写真の玄人(くろうと)だったが、彼らが組んで働くときは、彼がカードを渡す役にまわった。ハンサムがカードを渡すと、ビンゴが渡す二倍ぐらいの婦人が受取り、写真代二十五セントを添えてカードを送ってきた。
「おれはお前ほどうまくは撮れないがね」とビンゴは言った。「やっぱりカードは、背の高い、うねった黒い髪の、キラキラした眼つきの男が渡した方がいいだろう」
「よせよ」とハンサムは言った。「おれの眼は光ってなんぞいないぜ」彼は頬を染めた。
「おれの眼は光ってるが」とビンゴは言った。「ただ誰も気がつかないだけさ」彼は、自分がちびで、痩(やせ)っぽちで、赤っ毛で、とがった貧相な顔をしているのを口惜しく思った。
 彼は家族連れの一組にカメラを向けたが、黙殺されてしまった。二人のオフィス・ガールはくすくす笑いながら、カードを受取っていった。
「今日はこれで二枚目だ」ハンサムが浮かない顔で言った。「あっちのカメラがあったらなあ」
「来週は質屋から出せるはずだ」とビンゴは自信あり気に言った。彼は相棒の様子をうかがい、ポケットを捜ると、一枚の銀貨(コイン)を取り出した。「まあいいや、ビールを二本買ってきな。お前が戻るまで、おれはひとりでやってるから」
 ハンサムは元気づくと、硬貨を受取り、街の方へ駈け出していった。ビンゴは、『ニューヨーク名所案内』を披(ひら)いている二人連れを見つけると、すばやく写して、言った。「セントラル公園(パーク)のボリヴァー・ヒルの下で写した写真をお郷里(くに)のみなさんにお送り下さい」男はカードを受取ると、微笑してポケットにしまった。ビンゴは微笑みかえすと、また観光客を物色しはじめた。
 彼の背後で女の声が起こった、「ご覧、イレイン、ここが七年前のこの次の日曜に、あのピジョン氏が消えた場所だよ――」
 ビンゴは急に振り向くと、ぱちりとやって、その婦人にカードを渡した。「すばらしい記念品になります」と彼は言った。「ピジョン氏が失踪したその場所で撮(と)ったあなたのお写真です」
「まあ!」と婦人は言った。彼女はカードを手にすると、ちょっと眺めて、自分の手提げに納めた。
 婦人が去ると、ビンゴは家族連れのお上りさんを映し、カードを差し出して言った。「ここが、七年前のこの次の日曜にピジョン氏の失踪した場所です。記念としてお写真をどうぞ――」
 それからさらに三枚撮ると、彼のせりふは調子づいてきた、「みなさん、これこそ前代未聞の怪事件。七年前の次の――」
「――七年前、ピジョン氏が消え失せた最後のその場所で、あなたの歩いておいでのお写真を写しました――」
 かと思うと、実話雑誌をそっくり真似て、「ピジョン氏の行方を誰が知ろう? これは七年前の次の日曜に――もしもし、奥さん、あなたのお写真を――」
 ハンサムがビールを持って戻ってきたのは、その二十分後であった。ビンゴは額(ひたい)を拭(ぬぐ)い、カメラを肩に掛けると、先に立って小径を登り、丘の頂(いただき)に立つサイモン・ボリヴァーの像へ通じる石段を上(あが)った。石段はけわしく、二人が一本の歩道とベンチの輪で囲まれた、円い芝生のある頂上に達したとき、彼は息を切らしていた。ベンチの一つがあいていた。ビンゴはぐったりとそこに掛けると、詩とおぼしきものが、スペイン語とおぼしき文章で、歩道に白墨で書きなぐってあるのを見詰めた。彼には libertador〔解放者というスペイン語〕という文字しか分らなかったが、それで十分だった。「なかなかいい文句だ」と彼は気に入ったように言った。
 それから彼はポケットから栓抜きを出すと、ぽんと壜の口を抜き、それまで下唇の左端(ひだりはし)に貼(は)りついていた煙草を取って、ぐーっと飲んだ。
 ハンサムも栓抜きを受取ると、自分の壜をあけた。「景気はどうだい?」
「上乗だ」とビンゴは答えた。「カメラにはあと二枚しかネガがないし、カードも切れた。おい、ところで、ピジョン氏って誰のことだ、そいつがどうしたっていうんだ?」
 ハンサムはちょっと眼をつぶっていた。「あれは一九三四年の八月十七日だ。たしか金曜日だった。記事は第二版に載った。三ページ目の、二段目の欄だ。最終版では第一面に移されて、ルイ・ジェンクスがセントラル・パークのこの銅像の下で撮(と)った写真が二段抜きで出たもんだ」
 ビンゴは溜息をついて、その先を待った。これがハンサムのやり方だった。しかもハンサムは、どんな瑣事(さじ)をも忘れたことがないのだ。
「おれはそのころ、『ニューズ』社で働いてた」とハンサムはつづけた。「そのあくる日、八月十八日におれはスイート・マリーという馬で三十ドルすったし、ピジョン氏の共同経営者は、おそらく彼が誘拐されたのではないかと語っていた。ちょうど暑さのはげしいさ中(なか)だった。おれはピジョン氏の共同経営者の写真を撮ろうとしたが、彼はおれと会ってくれなかった。そいつはハークネス・ペンニースという名の男だ。おれは電話で奴と約束しようとしたが、その手も効かなかった。電話はコロンバスの七―四六四二さ。その週に社会部の部長の義理のおふくろが死んだ、オサリヴァンという女(ひと)で、ペンシルヴァニアのリーディングに住んでいたんだ。八月二十日に、保険会社がピジョン氏の発見に一万ドルの懸賞金を掛けた。ピジョン氏は共同経営者を受取人にして、多額の保険を、五十万ドルの保険を掛けていたのさ。こいつは大金だからね」
「面白い話だな」とビンゴは言った。「だが、その社会部部長の義母(おふくろ)の名は何(なん)ていうんだ?」
 ハンサムはふいを突かれたように、ちょっといやな顔をした。「ジェラルディーンさ」と彼は言った。「よけいなことを訊くなよ」それから彼はまたしばらく眼をつぶった。「一九三四年八月二十一日と。その日はブルックリンで装甲自動車がホールド・アップを食った。四二万七九五〇ドルが攫(さら)われたんだ」
「それも大金じゃないか」とビンゴは言った。「しかしそれがピジョン氏の事件とどんな繋がりがあるんだ?」
 ハンサムは眼をぱちくりさせた。「べつに、おれはただ覚えていただけさ。あれは十九丁目とベイ街の交わる角だった」
「まったく大したもんだ」ビンゴはビール壜に手を伸ばしながら、感に耐えたように言った。
「おれは覚えだけはいいんだ」とハンサムは控え目に頷いた。
「だが」とビンゴは唇を拭(ぬぐ)いながら言った。「それにしても、今日おれたちにちょっとした商売をさせてくれたそのピジョンとかいう男に、どんな事件があったのか、おれにはさっぱり分らないぜ」
「誰にも分りゃしないさ」ハンサムは驚いたような口調で言った。「お前もたまには新聞ぐらい読むもんだぜ。今朝の『ミラー』に出ていたよ」ふたたび彼は眼を閉じ、深く息を吸った。「十七ページの左隅の三段目だ。そこにはピジョン氏の写真も載っていた。もし彼が次の日曜日までに現われなかったら、彼の共同経営者があの五十万ドルを保険会社から受取るそうだ」
 ビンゴは腰を上げた。「お前の記憶力はすばらしいが、タイミングの勘(かん)はゼロだよ。商売はから下手(べた)だ」
 ハンサムは浮かない顔で、眼を挙げた。「おれ、へまをやったか?」
「なぜおれたちが商売にかかる前にそれを言わないんだ? おれたちはとっくにカードが捌(は)けてたんだぜ」
「というと」ハンサムはびっくりした口調で言った。「というと、みんながここで撮影されたがるのは、ピジョン氏が――」
 ビンゴは頭を振って、彼をじっと見た。「お前でも無事に一人前になれたというのは、大したもんだよ。さあ、もうご帰館としよう。もし壜代を返してくれるんなら、こいつを忘れない方がいいぜ」


……巻頭より

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