「チャタレイ夫人の恋人(上・下)」

D・H・ロレンス/羽矢謙一訳

(上)ドットブック版 408KB/テキストファイル 186KB
(下)ドットブック版 364KB/テキストファイル 189KB

各500円

チャタレイ夫人コンスタンスは、第一次世界大戦で半身不随となり、不能者となった夫との空虚な生活にあきたらない。だが、ある散歩の朝、たくましい邸内の森番メラーズと出会い、自然の美しさに目ざめ、情熱がよみがえってくる。そして二人はいつか素朴な肉体愛のうちに人生の真の幸福を発見する。正しい肉体の意味を知った男女両性間のやさしさの哲学を説き、文明に毒された人間の結び付きを否定する……作者が生涯貫き通した生命主義の思想を究極までおし進めた結果がこの作品に結実した。 羽矢氏の翻訳は日本ではじめての流麗な完訳として知られている。

D・H・ロレンス(1885〜1930) 20世紀の英国で最も重要で、最も論議をよんだ作家のひとり。書記、教師をつとめたあとノッティンガム大学にはいり、短編を書き始め、 「息子と恋人」で世に認められた。第一次大戦中は妻がドイツ系であったため疑惑と敵意の目でみられ、苦難のときを送った。代表作に「虹」「恋する女たち」「翼ある蛇」 などがある。遍歴のあと、フランスのヴァンスで亡くなった。

立ち読みフロア
 ぼくらの時代がもともと悲劇的であるからこそ、ぼくらは時代を悲劇的にうけとることを拒否している。大変動がおこった。ぼくらは廃虚のなかにいる。ぼくらは新しい、ささやかな生息地を築き、新しい、ささやかな希望をみつけだすことにとりかかっている。いま未来に向かうたいらな道はひとつもなく、それはかなり困難なしごとだけれど、ぼくらは障害物をよけてでも、よじのぼってでもしていく。どれだけの崩壊があったかはしらないが、ぼくらは生きていかねばならない。
 これはほとんどコンスタンス・チャタレイの立ち場でもあった。戦争によってあたまに屋根が落ちかかったのだ。コンスタンスは自分が生きて、知らなければならないことがあることをさとった。
 コンスタンスは一九一七年、クリフォード・チャタレイが一ヵ月の休暇で帰ってきたとき、クリフォードと結婚した。一と月の新婚生活があった。それからクリフォードはフランドル〔第一次大戦中ベルギーの激戦地。連合軍の抵抗線〕にもどっていったが、六ヵ月後、ほとんどめちゃめちゃになって、ふたたびイギリスに送還されてきた。妻のコンスタンスはそのとき二十三歳、クリフォードは二十九歳であった。
 いのちに対するクリフォードの執着はおどろくばかりであった。クリフォードは死なず、こなごなに砕けたものがふたたび寄り合わさっていくようにみえた。二年間は医者の手にまかされた。それから、全快をいいわたされ、人生に復帰することができたが、からだの下半分、腰から下は、麻痺したままだった。
 これは一九二〇年のことであった。クリフォードとコンスタンスのふたりは、クリフォードの家に、一門の「本拠地」、ラグビー邸に、帰った。クリフォードの父親は亡くなっていて、クリフォードはいま准男爵〔男爵の下で勲爵士の上。世襲制の栄爵。ただし、制度的には貴族にはならない〕、クリフォード卿であり、コンスタンスはチャタレイ准男爵夫人であった。ふたりはチャタレイ家のいささかわびしい邸のなかで、不足がちの収入にたよって、世帯の維持と結婚生活を始めることになった。クリフォードには姉がいたが、その姉も出てしまっていた。ほかには、近い身寄りはひとりもいなかった。兄は戦争で死んだ。永久に不具にされ、もうぜったいにこどもは生まれないことを知っていながら、クリフォードが煤煙にけぶる中部地方〔イングランド中西部、とくにダーバー、ノッチンガム、レスター、ラットランド、ノーサンプトン、ウォーリックの諸州をいう〕に帰ったのも、できるかぎりはチャタレイ家の名を絶やさないためであった。
 クリフォードは完全に参ってしまっているのではなかった。くるまいすにすわって自分で動かしてまわることができた。小さなエンジンつきのバースチェア〔病人用のくるまいす。保養地バースで使われたことからこの名がついた〕をもっていたので、庭園のまわりや、愁(うれ)いに沈む美しい私園〔邸宅を囲んだ池や森のある広大な私有の敷地〕のなかにまで自分で動かしていくことができ、そのことがクリフォードには、なにげなくよそおってはいたけれども、たいへんな自慢なのであった。
 あんまり苦しんだので、苦しみを感じる力があるていどクリフォードからなくなっていた。クリフォードはいつも異様に明るくほがらかで、赤らんだ顔は健康そうにみえ、薄青色の目はいどむようにかがやいて、それこそ意気高らかとでもいっていいくらいであった。肩は広くてがっしりしており、手もたいへんがっしりしていた。高級な身なりをしていて、ボンドストリート〔ロンドンの高級商店街〕のいきなネクタイをつけていた。それでもやっぱり、その顔には、身体障害者の、用心ぶかそうな表情と、かすかにうつろな影がみられた。
 いのちの大半をなくしたにもひとしかったので、クリフォードにとっては残ったものがすばらしく貴重なのであった。その目のいらだったかがやきのなかに、大きな衝撃をうけながら、生きていることをどんなにか自慢に思っているようすがありありとみえた。しかしひどい傷をうけたために、クリフォードの内部でなにかが死滅していた。感情のある部分が死んでしまっていた。無感覚の空白があった。
 妻のコンスタンスは、血色のよい、土のにおいのする女で、やわらかな茶色の髪とたくましいからだをもち、身のこなしはゆったりとしていて、なみなみならぬ活力にあふれていた。大きな、問いかけるような目と、やわらかくなごやかな声をもち、故郷の村から出てきたばかりの人のようにみえた。じっさいはぜんぜんちがっていた。父親は一時名を知られた王立美術院会員、老マルカム・リード卿であった。母親はラファエロ前派〔一八五〇年ごろに始まった革新的な写実主義の芸術運動〕づいた、繁栄の時代の教養あるフェイビアン協会〔一八八四年に設立された漸進的社会主義者のあつまり〕の一員だったこともある人であった。芸術家と教養ある社会主義者たちのあいだにはさまれ、コンスタンスと姉のヒルダは反逆的な教養とでもよべるようなもののなかで育ったのであった。ふたりはパリやフィレンツェやローマにつれていかれて芸術のいぶきにふれ、かと思うと、またもうひとつの方向、ハーグやベルリンの社会主義者の大集会にもつれていかれたが、そこでは、発言者たちの話すことばはすべて洗練されていて、それでも面食らうものはひとりもいなかった。
 したがって、ふたりの娘はおさないころから、芸術にも政治思想にもすこしもひるむことはなかった。そんなものは生まれたときから吸っている空気のようなものであった。娘たちは国際人でもあり、お国かたぎのつよい人間でもあって、純粋な社会の理想に歩調を合わせ、国際性とお国かたぎをあわせもった芸術を信奉していた。
 娘たちは、まずなによりも音楽の勉強をということで、ドレスデンにやられた。娘たちはその地でけっこうたのしくすごすことになった。学生たちにまじって自由に暮らし、男たちと哲学や、社会学や、芸術上の問題について議論し合ったが、男たちにすこしもひけをとらず、女性であることを考えれば、むしろまさっていたといえる。娘たちはまた、ぼろんぼろんと、ギターをだいた、たくましい若者たちと森のほうに歩いていった。ワンダーフォーゲル〔一九〇一年ドイツに始まった青年運動。からだをきたえ、友情をふかめるため、山野を歩くこと。またその若者の集まり〕の歌をうたい、自由だった。自由。それはすばらしいことばだった。ひらかれた世界のなかで、朝の森のなかで、元気のよい、すばらしいのどをした若いなかまといっしょにいて、自由に好きなことをし、とりわけ、気ままなことをしゃべることができた。なんにもましてすばらしかったのはしゃべることであり、熱のこもったおしゃべりの交換であった。惚れたはれたは小さなお添えものにすぎなかった。
 ヒルダもコンスタンスも、十八になるころには、もう試験的な恋愛を経験していた。ふたりが情熱をこめてしゃべりあい、元気よくうたい、なんのわずらいもなく林の下でキャンプをしたあいての青年たちは、とうぜん、愛の結合を求めた。娘たちは自信がなかったけれど、そのころそのことがたいへん論議の的になっていて、さぞかし重要なことだろうと思われていた。男たちはたいへんへりくだり、求めてやまなかった。どうして女の子が女王さまのようにふるまい、みずからを贈り物として授けてやってわるいことがあるだろうか。
 そこで、娘たちは、それぞれいちばんこまかく、親密な議論をしたあいての若者に、みずからを贈り物として授けてやったのだった。議論や討論だけがすばらしいものであって、愛の行為や結合は原始的な退行のようなものであり、線香花火みたいなものにすぎなかった。あとになるにつれて、あいての男の子に対する愛情はうすれていき、まるでこちらの私生活や内面の自由にまで踏みこまれでもしたかのように、あいてをにくむ気持ちにかたむいていきさえした。それというのも、いうまでもなく、女の子というものにとって、人生のいっさいの尊厳と意味は、絶対的で、完全で、純粋高潔な自由というものを達成することにあるのだった。女の子の人生に、ほかにどんな意味があるというのだろう。古くてうすぎたない結合や隷属はふりすてねばならない。
 どんなに感傷化しようとも、この性のいとなみというものは、いちばん古くからの、うすぎたない結合と隷属のひとつなのであった。それを美化する詩人はたいてい男なのだ。女性はいつも、もっとましなもの、もっと高いものがあることを知っていたのだ。いまでは、前よりもっとはっきりとそのことを知っている。女の美しく純粋な自由だけが、どんな性愛よりも無限にずっとすばらしいのだ。ただひとつの不幸は、男たちがこの問題で女性にくらべてはるかに遅れているということだ。男たちは犬のように、性だ性だと騒ぎたてているばかりなのだ。
 女は折れてやらねばならない。男は腹をすかしたこどものようなものである。女が男の求めるものをみなあたえてやらないと、男はこどものようにつむじをまげ、狂いまわり、ひじょうにたのしいはずの結合まで台無しにしてしまうかもしれないのだ。ただ、女は内面の、自由な自分を放棄することなく男に従うことができるのだ。そのことは詩人も性について語る人たちもじゅうぶん計算に入れていないようである。女は完全に自分を捨て去ることなく男をうけいれることができるのだ。たしかに、女は男の力のなかに自分をゆだねることなく男をうけいれることができるのだ。それどころか、女はこの性行為を利用して男を思うようにあつかうこともできるのだ。性交のとき女は自分を押さえておいて、自分は絶頂にいきつかないで男を終わらせ、消尽させさえすれば、それから先は男をたんなる自分の道具にして結合を長びかせ、自分だけの興奮と自分だけの絶頂にひたることができるのである。

……冒頭より

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