「朝鮮とその芸術」

柳宗悦/著

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500円

朝鮮の芸術・文化は、日本のそれの土台となっているが、そのことはいっこうに理解されていない。著者は多年にわたる朝鮮の芸術との付き合いから、その独自性と魅力のありかと、そのよってきたる理由を探り、朝鮮の心に迫ろうとする。そして二つの国の住人に「互いを認め合い、平和に生きる」ことを心底から呼びかける。

目次:「朝鮮人を想う」「朝鮮の友に贈る書」「彼の朝鮮行」「朝鮮の美術」「石仏寺の彫刻について」「失われんとする一朝鮮建築のために」「李朝陶磁器の特質」「朝鮮陶磁号序」「朝鮮の木工品」「楽浪出土漢代画について」「今の朝鮮」「全羅紀行」「林檎」

柳宗悦(やなぎ むねよし、1889〜61)民芸運動を起こした思想家、美学者、宗教哲学者。東京生まれ。旧制学習院高等科を経て東京帝国大学卒業。同人雑誌グループ白樺派に参加。生活に即した民芸品に注目して「用の美」を唱え、民芸運動を起こした。1936年(昭和11年)には、目黒区駒場に日本民藝館を設立、機関誌「月刊民藝」を創刊した。朝鮮の美術、沖縄の文化の精力的な紹介、木食仏の発見などは、おもな事跡としてよく知られている。

立ち読みフロア
 諸君よ、それが朝鮮の人であると日本の人であるとを問わず、この小さな、しかし情愛を以て書かれた本から真理の水を汲みとってくれ。今や国と国との間柄は余りに涸れきっている。しかし芸術はいつも国境を越えて、吾々の心を潤おしてくれる。芸術の国に於てはすべてが兄弟ではないか。その美の滴りに潤おされて書いたこの一篇から、また時と処とを越えた真理を見出してくれ。そうして私が書き残した真理が更に見出せたら、私に代ってそれを書き伝えてくれ。かくして真理が拡まるなら、国と国との間にわだかまる暗い事情が、如何に光ある一面へと回転するであろう。読者もこの著者と一緒に、平和が東洋に固く結ばれる日を仰望して下さるであろう。

 一

 種々な醜い出来事の中に在って、幸いにも吾々のある者は美を理解し真を理解しようと努めている。しかし芸術的意識が強まって来た今日、不思議にも一つの美の世界が、吾々の傍にあるのを見逃している。却って人情を異にし国を隔てた西欧の芸術に対しては、誰も一つの明らかな概念を持っている様に見える。だが血を交え気質を同じくする隣邦の芸術について、明らかな理解を持つ人は非常に少い。否、そこにはほとんど何ものも無いかの様にさえ考えている。
 しかし朝鮮が彼女の芸術によって、卓越した位置を東洋文化の中に認められる日は、まもなく来るであろう。何故今日までそれが一般から見棄てられていたのであろうか。美に対しては鋭敏であると自らも思う吾々が、わけても吾々に近い民族の芸術について、ほとんど何らの意識をも持たないとは如何なるわけであろうか。遠い外国の人々に朝鮮が「隠者の国」として、永く封じられていたのは止むを得ないであろう。しかし交通の容易な吾々の間に、それが失念せられているのはむしろ奇異な出来事ではないか。
 支那の芸術の前には、独立した価値をそれが持たないという独断が、吾々の理解を今日まで妨げたのであろうか。またはその民族自らが、自国の美術に対して何らの反省をもまた研究をも加えていないが故であろうか。または朝鮮と言えば文化の遅れた貧しい国だという粗雑な概念が禍いとなっているのであろうか。またはその国の美術が種に於て量に於て甚だ乏しいからであろうか(この量を乏しくしたという原因が、実に破壊を好んだ倭賊の罪であった事をどうして否定し得よう)それにしても今日その価値が確認されていないのは甚だ不思議である。
 しかも朝鮮の芸術に対してほとんどその価値を意識しない吾々の心理状態には非常な矛盾があるとさえ考えられる。日本が国宝として世界に誇り、世界の人々もその美を是認している作品の多くは、そもそも誰の手によって作られたのであるか。中でも国宝中の国宝と呼ばれねばならぬもののほとんどすべては、実に朝鮮の民族によって作られたのではないか。これに次いで支那のものが多いのは言うを俟(ま)たぬ。この事は史家も実証するまぎれもない事実である。それらは日本の国宝と呼ばれるよりも、正当に言えば朝鮮の国宝とこそ呼ばれねばならぬ。
 例えば法隆寺の金堂を飾る最も優秀な仏像は、今「百済観音」と呼ばれているではないか。長く秘伝せられた夢殿に在る同じ観音の立像も、その様式からしても美からしても、まぎれもない朝鮮の作ではないか。中宮寺や広隆寺に保存せられている、あの美しい想いがちな弥勒の半跏像も、様式は支那に起因しても恐らく朝鮮から伝来せられたものであろう。日本に渡ったものの内で、最も美しいものの一つである玉虫厨子は、朝鮮の名誉をこそ永遠に伝えるであろう。あそこに画かれた図の様式は、ごく近代まで保留せられた。厨子と言えば、橘(たちばな)夫人の厨子に納められた阿弥陀三尊仏の後屏はどう思えるであろう。これを朝鮮の作であると是定する事には必ずや異論があるであろう。しかしその模様や線や天女は、あの慶州奉徳寺の梵鐘の図様を想わせるではないか。共に六朝の遺韻を伝えたものであろうが、そこには朝鮮の心と密な関係がある。または今日中宮寺に秘蔵せられている非常に美しい天寿国曼荼羅繍帳(しゅうちょう)は誰の手によって編まれたと思うか。今日全く同一の模様があの平壌近くの江西の古墳から見出されているではないか。
 工芸品に至ればほとんど列挙するに暇(いとま)がないであろう。

……「朝鮮の芸術」冒頭より


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