「裏返し忠臣蔵」

柴田錬三郎作

ドットブック版 218KB/テキストファイル 134KB

500円

一読、やめられなくなる痛快読み物、柴錬立川文庫第6弾! 有名な忠臣蔵の物語が、大筋をそのまま踏襲しながらも、もののみごとに「別物語」に変身! 以下、目次を掲げる。

吉良上野介
浅野内匠頭
大石内蔵助
堀部安兵衛
松の廊下
お軽勘平
高田郡兵衛
大石主税(ちから)
千坂兵部
討入
切腹
高輪泉岳寺(せんがくじ)

柴田錬三郎(1917〜78)岡山県生まれ。慶大支那文学科卒。在学中から「三田文学」に作品を発表しはじめ、「イエスの裔」で直木賞受賞。「眠狂四郎無頼控」で一躍、時代小説の第一人者、人気作家となった。代表作には「剣は知っていた」「赤い影法師」「柴錬立川文庫」の連作などがある。

立ち読みフロア



 明暦(めいれき)三年厳冬のことであった。
 吉良左近(きらさこん)は、自分の居室に、早朝からとじこもって、机に向っていた。
 一冊の古びた漢書(かんしょ)を、和文になおすことに、われを忘れていたのである。
 それは、軍略や修養には、全く無関係な書物であった。左近がはじめて接する古書であった。
 一昨日、年があらたまるのを待って、十五歳をもって元服した左近は、登城して、将軍家に謁(えっ)し、吉良家の家督(かとく)を相続した旨を奏上した。
 左近は、元服すれば、正月に上洛(じょうらく)して、禁中より、従(じゅ)四位下に叙(じょ)せられ、侍従兼上野介(じじゅうけんこうずけのすけ)に任ずる沙汰(さた)がある身であった。
 表高家(おもてこうけ)である吉良家を嗣(つ)ぐのであったから、一躍(いちやく)して、四位の少将に叙せられるのは、べつに異例ではないが、左近は、その官位にふさわしい稀有(けう)の秀才であった。
 先年――承応(じょうおう)二年春に、左近は十三歳にして、はじめて、将軍家に謁見したが、その時、すでに、秀才の噂は、江戸城内にもひびいていた。
 四代将軍家綱は、左近と同年であったので、大老酒井雅楽頭(うたのかみ)忠清が、幕臣の子弟の中から、左近をえらんで、学友にしたのである。
 家綱は、父家光とちがって、温和柔弱な性情の持主で、自分から積極的に、指図をすることはなく、ただ、万事を大老酒井忠清にまかせて、ただ、
「左様いたせ」
 と、云うばかりであった。
 世間では、公方様(くぼうさま)と呼ばずに、「左様せい様」と称していた。
 このように凡庸(ぼんよう)な将軍家にとって、稀有の秀才を学友にすることは、甚だ迷惑なことであったに相違ない。
 始祖家康の定めたならわしにしたがって、将軍家は、一日のうち午前中は、学者や僧侶の講筵(こうえん)に、出座しなければならなかった。
 経籍性理(けいせきせいり)の義理を講明したり、和漢史伝の故実(こじつ)を説いたりすることが、聞き手にとって面白い筈がなかった。就中(なかんずく)、程朱学(ていしゅがく)の論議など、砂を噛(か)んでいるようなつまらなさであった。
 家綱は、この日課のおかげで、いつの間にか、眸子(ひとみ)をひらいて、居眠りをするわざを身につけたくらいである。講義が終わった時、しぜんに、目をさまして、
「ご苦労であった」
 と、声をかけて、座を立つので、誰人にも気がつかれなかった。
 ただ、下座(しもざ)にかしこまっている左近だけが、その居眠りを知っていた。家綱が、正直に左近に打ち明けて、一冊の書物の講義がおわると、
「つまり、一言で申せば、どういうことが書いてあるのだ?」
 と、問うたからである。
 左近は、そのたびに、凡庸な頭脳にも判りやすいように、講義のやり直しをした。したがって、左近自身は、学者や僧侶の論議は、一語ももらさずに、耳をかたむけていなければならなかった。
 左近は、そのために、この二年間で、さらに、おそるべき博学になっていた。
 さて――。
 昨日、元服の奏上のあとで、家綱は、左近をともなって、中奥の居間に入り、
「たのみがある」
 と、云って、一冊の古びた漢書を、抛(ほう)ったのであった。
「わしは、頭が悪うて、いまだに漢文が読めぬ。これは、茶坊主の一人から、ひそかに、もろうたものじゃが、むつかしゅうて、何が書いてあるのか、一向に判らぬ。左近、そちが、和文になおしてくれぬか?」
 左近は、手に把(と)ってみた。
『脩真(しゅうしん)演義』
 漢の元豊(げんぽう)三年、巫医(ふい)の咸(かん)なる人物が、武帝にたてまつった、男女接触の方法を順序次第に述べた、いわば閨房(けいぼう)の術書であった。
「かしこまりました。すぐに、和文になおして参ります」
 左近自身にも、興味があった。左近はまだ童貞であった。
 左近は、わが家に戻ると、早速に読みはじめ、ついに、深更にいたった。
 そして、今朝は、早くから、和文になおす作業にとりかかったのである。

『……およそ、交合せんと欲すれば、まず自ら神(しん)を凝(こ)らし、性を定(さだ)かにすべし。女人を抱※(ほうちゅう)(※はてへんに主)し、温存す。彼(か)の唇口を吸い、彼の双乳を撚(ひね)り、女をして玉茎を弄(ろう)せしめ、他の心を動かさしむ。後手をもって陰戸を探るに、微(すこ)しく滑津(かつりつ)あり、まさに交合すべし。炉に入るには、法によるべし。緩(ゆる)やかに、功を施すべし。女は、必ず暢快(こころよく)なり、まず敗る』

 左近は、ただ和文になおしただけでは、家綱にまだ判らぬ、と思い、さらに、それに訳をつけていた。
 たとえば、『女人を抱※(ほうちゅう)し温存す』とあるのは、女を抱えて、やさしく甘い言葉をかけて、その心をなぐさめる、という意味であろう、と訳した。
 尤(もっと)も、左近自身にも、なんのことやら、解(げ)しがたい箇処もあった。

……「吉良上野介」巻頭より


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