「学校のクローディーヌ」

コレット/川口博訳

ドットブック版 366KB/テキストファイル 237KB

600円

コレットが二十七歳のときに発表された処女作。発表と同時に好評を博し、コレットは『パリのクローディーヌ』『家庭のクローディーヌ』『クローディーヌは行ってしまう』の続編を次々に著し、この「クローディーヌもの」はコレットの初期代表作となった。コレットの女学校時代の思い出を綴ったもので、優等生でありながら反抗好きで、自由奔放で、やや不良じみた少女の、早熟な春の目覚めが、先生どうしの同性愛、また女生徒間の同性愛を感覚的に巧みにとらえている。鹿島茂氏絶賛のシリーズ作品。

ガブリエル・シドニー・コレット(1873〜1954) 20世紀のフランスを代表する作家として再評価されつつある女流作家。二十歳のとき、年上の新聞記者と結婚。夫名で出版した『学校のクロディーヌ』が好評を得、立て続けに作品を発表した。06年に離婚後は、舞台に立ってパントマイムの世界で名を馳せた。12年には再婚。翌年には長女が誕生した。戦時中は新聞記者として活躍。戦後は『シェリ』『シェリの最後』など数々の作品を世に送り出し、作家としての名声を確立した。35年には3度目の結婚をしたが、夫の献身的な協力によって、70歳を過ぎても小説を書き続けた。

立ち読みフロア
 わたしはクローディーヌと呼ばれ、モンティニイに住んでいる。一八八四年にわたしはそこで生まれたのだが、たぶんそこで死ぬことにはならないだろう。わたしの持っている地誌便覧には次のように書かれてある。
《モンティニイ・アン・フレノワは人口一九五〇人の美麗なる小都市にして、テェズ河に面し円形劇場風に拡がっている。そこにおいて嘆賞すべきは見事に保存されてあるサラセンの塔で……》
 ところがわたしにはそんな記述なんかまったくなんの意味もない! まず第一に、テェズ河なんてどこにもない。なるほどそれらしきものが草原の中を路よりも低い高さで横切っていると見られていることはわたしも知っているが、春夏秋冬、そのいずれの季節にあっても、あなたがそこに雀の足を洗うにたるものさえ見出すことはできないだろう。モンティニイが《円形劇場風》に拡がっているんだって? とんでもない、わたしにはそれがそんなふうには見えない。わたし流に言えば、家並みが丘のてっぺんから谷の底まで転がっているといった感じ、つまり家々が、ルイ十五世治下に再建されて、今日ではすでに、すっかり常春藤(きづた)にかくされた低い、しかも毎日少しずつ上のほうが崩れてゆくあのサラセンの塔以上に壊れかかってきている、ある大きな館の足下に階段状に積み重なっているだけなのだ。そこは村であって町ではない。幸いなことに道路には石が舗(し)かれていない。だから驟雨(しゅうう)はその上を、小さな滝のように流れる。でも二時間もたてば乾いてしまう。そこは村だ、それもとくに綺麗なというほどでもない。でもわたしは好きだ。
 この地方の魅力というか、楽しみというものは丘にあり、またそのうちのいくつかは凹路であるほど狭い谷間にある。それは森、目の届くかぎり遙か下のほうまで泡立ち波打っているようにつづいている、あの鬱蒼(うっそう)として地上のすべてを侵そうとする勢いの森だ……その森の中にいくつかの緑の草原がところどころぽっかりと穴のようにのぞいている。いくつかの小さな耕作地もまた同じように森の中に点在しているが、たいしたことはない。壮大なる森はまさに地上のすべてを呑みつくさんばかりの姿をみせている。そんなわけでこの美しい地方一帯はおそろしく農産物のとれ高が悪い。ただ点在するいくつかの耕作地があるだけだから。それもほとんど数がないといっていいくらいの。それはまさに森のビロードのような緑を引き立たせるために、いくつかの赤い屋根が必要なといった程度のものなのだ。
 親愛なる森よ! わたしはそれらの森という森をことごとく知っている。実際よく歩きまわったものだもの。灌木林があって、そこをあなたがたが通ると小灌木があなたがたの顔に意地悪くはねかえってきたりする。灌木林には太陽の光線がいっぱいにさしこみ、苺(いちご)の実や鈴蘭の花がところ狭きばかりに賑わっている。それにまた蛇もよく見かける。あのなめらかで冷たい、見るも怖ろしい小さな身体がわたしの足もとをすべるように匍(は)ってゆくのを見ると、わたしは息のつまるような恐怖に身も震える思いだった。また蜀葵(たちあおい)のそばなどでふと手の下に非常におとなしい毒のある蛇が鎌首をもたげ、小さな眼でわたしを見つめながら蝸牛(かたつむり)のように規則的に身体を動かしているのを見つけたりすると、そのたびに思わずはっと立ち止まって息を弾ませたことがなん度もあった。といって別に危険ではなかったのだが、その怖ろしさといったらなんと形容したらよかったろう! 悪いことに、そんなことがありながらいつもわたしはひとりか、またはいく人かの友だちとまたそこへ来てしまうのだ。でもどっちかというと、いつもわたしひとりだった。というのは可愛い大きな女の子たちは実際わたしにはわずらわしいのだ。やれ茨(いばら)に洋服が破けるのがこわいとか、やれ小さな虫、たとえば毛むくじゃらの毛虫や、真珠のように丸くてバラ色の、非常に綺麗な、ヒースの木にかかっている蜘蛛(くも)などがこわいとか、そうかと思うと叫び声をあげたり、疲れたり――つまりそんなわけでやりきれないのだ。
 それからわたしの大好きなものに、一六二〇年もたっている大きな森がある。そうした森の中の樹が一本でも切り倒されたりするのを見ると、わたしは心臓から血がほとばしり出る思いだ。それは茨の叢(くさむら)ではなく、柱のような樹木だとか、昼でも夜といっていいような狭い小径のある森で、声や足音をたてても、それは何か薄気味の悪い響きをひびかせるのだ。それでもどんなにかそうした森をわたしは愛していることだろう! そこにいると、樹木のあいだの緑色の神秘的な薄明りの中に眼をうばわれて、孤独と薄暗がりのためにわたしはうっとりとした落着きと同時に、多少心さわぐ思いにとらわれるのだ……これらの大きな森の中には小さな虫もいなければ大きな草なども見られず、踏みつけられた土は乾いて、よく響きをひびかせるところか、そうでなければ泉のためにやわらかくなっているところと代わる代わるにつづいている。白い臀(しり)をした兎がそうした土の上を横切ったりする。それに速く走るので、その通っていった道順を判断することしかできない、こわがりの鹿とか、赤や金色におおわれた大きな重い雉子(きじ)や猪(いのしし)(といってもわたしは見たことはないが)がいたりする。それに狼――それは冬の初め、わたしが山毛欅(ぶな)の実、のどを掻いて咳をさせる、あの油気のある上等な小さな山毛欅の実を摘みとっていたときに、そのうちの一匹の啼(な)き声を耳にしたことがあった。ときどきこれらの大きな森の中で、あなたがたは不意に嵐のような大雨に出あうことがあるかも知れない。そんなときにはみんな一番鬱蒼としていそうな樫(かし)の木の下にうずくまり、一言も口をきかないで、雨が上のほうで屋根の上に落ちているような音をたてているのにじっと耳を傾けるのだ。こうした鬱蒼とした奥まった中からは、白昼でもすっかり道に迷っては途方に暮れ、心落ち着かない状態でなければ抜け出せないだけに、雨の場合の避難所などにはもってこいなのだ。
 それに樅(もみ)の林だ! それは鬱蒼としてもいなければ、神秘的でもないが、そのにおい、下に向って生い茂るバラ色やスミレ色のヒース、それに風に当ってたてる歌の調べのようなざわめき、そうしたものゆえにわたしはそれらの林を愛する。そこへ辿(たど)りつく前に、ぎっしり重なった大樹林を通らねばならないのだが、突然、豁然(かつぜん)としてとある池のふちに抜け出られて、なんとも言えないすばらしいおどろきを感ずるのだ。その池は水面がなめらかで底深く、周囲をすべて森で囲まれていて、なんと地上のいっさいのものから遠ざかっていることだろう! その池の真中に樅の木々が島の形で生い茂っている。池を渡るには両岸にかけてある根こそぎ抜かれた一本の樹の幹の上を馬で勇敢に渡らなければならない。樅の木の下でよく火を起こす。夏でさえそうするのだ。それもただそうすることが禁じられているからにほかならない。そこでリンゴでござい、梨でござい、畠から盗んできたジャガイモでござい、それから何もないときには黒パンだとか、とにかくなんでもかまわずに焼くのだ。すると苦い煙と樹脂がにおってきて胸が苦しくなるような思いがするが、それはまた同時になんとも言えない快い気持ちなのだ。
 わたしはこれらの森で十年間、夢中になってほっつき歩いたり、征服や発見を試みたりして生きてきた。そんなわけだから、いよいよそこを離れなければならない日がきたら、わたしは堪えがたい悲しみにおそわれることだろう。

 * * *

 いまから十か月前、ちょうどわたしが十五歳になって、スカートを足首のところまで長くしたとき、学校の古い校舎は壊され、担任の女の先生も変った。長いスカートのことだが、わたしのふくらはぎは人の眼をひくようになり、そのころにはすでに、もうあまりにも若い娘といった様子にわたしを見せていたので、どうしても長いスカートがわたしには必要だったのだ。古い校舎は崩壊した。担任の女教師、あの善良だった憐れなマダムX……は、四十歳で容貌は美しくなく、無智で、その上、気はやさしくはあったが、視学官の前に出るといつも夢中になって気狂いみたいになるので、この地区の全権を委せられている医者のデュテルトゥルはそれよりは彼にお気に入りの女(ひと)を嘱任させるために、彼女の場所を必要としたのだった。この地方では、デュテルトゥルが希望することは、とりもなおさず大臣が希望していることになるのだ。
 傷んで危険だった校舎、だがあんなにも楽しかった憐れな古い校舎よ! ああ……今度建てる美しい建物はやがてお前を忘れさせてしまうことだろう。

……冒頭より

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