「ギリシア棺謀殺事件」

エラリー・クイーン/石川年訳

ドットブック版 336KB/テキストファイル 291KB

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屋敷内の墓地でおこなわれた美術商ハルキスの葬儀から一歩さきに邸内にもどった弁護士ウッドラフは、ハルキスの寝室の金庫内に保管してあった新しい遺言書が、手提げ金庫もろとも紛失しているのを知って度を失う。たった五分間のうちの出来事だった。エラリーは「論理的に」、遺言書は棺の中にしかありえないと推論し、棺を掘り出す。だが、そこに見つかったのは……ハルキスの死はその後につづく殺人交響曲の序曲にすぎなかった。クイーン「国名シリーズ」第4弾。重厚な代表作。
立ち読みフロア
 ハルキス事件は最初から暗いメロディをかなでていた。この事件は、あとから明るみに出て来た事がらと照らし合わせてみると妙に調和がとれているが、ひとりの老人の死から始まった。その老人の死は、対位法のメロディのように、その後次々におこった複雑な手段による死の行進の縦糸となっていったが、そのメロディからは普通無心の人が死を悲しむ声は全く聞こえなかった。そして最後には、そのメロディが犯罪の一大オーケストラの最高音になり、そのいまわしいメロディの終曲がすんでからも、長くニューヨークの人々の耳に、いまわしい哀歌としての残響を残したのである、いうまでもなく、ゲオルグ・ハルキスが心臓病で死んだ時には、エラリー・クイーンをはじめだれひとりとして、それが殺人交響曲の開幕のモティーフだなどとは気づかなかった。事実、ゲオルグ・ハルキスが死んで、その盲目の老死体が世間なみに、だれでもが当然最後の安息場だと思っている場所へ葬られてから三日経って、ある事実がエラリーの注意を否応なしにひきつけるまでは、エラリー・クイーンはハルキスが死んだことさえ気がつかずにいたらしい。
 新聞がハルキスの死亡を最初に報じた時に特筆大書するのを忘れたのは――その死亡記事は新聞雑誌など、てんで読まないエラリーの目にふれなかったが――ハルキスの墓地が風変りな場所にあるという点だった。それは古いニューヨーク地区の珍しい一面を示すものだった。東五十四番地十一番地のハルキスの古風な褐石建ての邸宅は、あの伝統豊かな教会の隣りだった。教会はフィフス・アベニューに面していて、フィフス・アベニューとマジソン・アベニューにまたがる地域の半分を占め、北は五十五番街、南は五十四番街に接していた。そして、ハルキス邸と教会との間に教会の墓地があるが、それはニューヨーク市唯一の古い私有墓地である。故人の骨が納められたのはこの墓地なのだ。ハルキス家は、ほぼ二百年もこの教会の教区員だったから、市の中心地区の埋葬を禁じた衛生法令に縛られることはなかった。フィフス・アベニューの高層建築の蔭に葬られるハルキス家の権利は、代々教会の墓地の地下納骨堂のひとつを所有してきたことによって確保されていた。――その納骨堂は墓地の芝生をいためないように入口が地下三フィートのところに埋められていたので通行人の目には見えなかった。
 葬儀は静かで、涙もなく、内々で行なわれた。故人は防腐処理をされ、夜会服を着飾り、大きな黒い立派な棺に納められて、ハルキス家の一階の応接室の棺台の上に安置されていた。儀式は隣りの教会の牧師、ジョン・ヘンリー・エルダー師の手でとり行なわれた。――エルダー師の説教や社会悪に対する具体的な論難攻撃はニューヨークの新聞紙上で優遇されていることをお知らせしておこう。葬儀には、故人の家政婦シムズ夫人が大げさに気絶してみせたほかは、大して興奮する者もなく、ヒステリーをおこす者もいなかった。しかし、後になって秘書のジョアン・ブレット嬢が言ったとおり、何か変な空気だった。その変なものは、医者に言わせれば全くのナンセンスかもしれないが、女性特有の直観力というものかもしれなかった。とにかく、ブレット嬢は一風変ったイギリス流にずばりと、息づまるような空気と説明している。そんな緊張感をひきおこしたのは何人(だれ)か、いかなる個人または複数の個人がその緊張――もし実際にそうだったとすれば――に対して責任があったのか、それについてはブレット嬢は明言できず、また明言したくないようだった。にもかかわらず、万事は秘(ひめ)やかな悲しみをこめて、慎(つつま)しやかに順調にとり行なわれたらしい。たとえば、簡素な儀式がすんだ時、家族の面々や参列の友人たちや使用人どもは列をなして棺にご焼香をし、故人に最後の告別をしてから威儀を正して各自の席にもどった。打ちしおれた故人の妹デルフィーナは泣いていたが、とても上品な泣き方で――ちょっと涙をながし、すぐハンカチでふき、ほっとため息をつくという調子だった。デミー以外の名で呼ぶことをだれひとりとして考えてみたこともないほど皆に親しまれている故人の従弟デメトリオスは、ぽかんとして白痴らしい目をむいて、棺の中の従兄の冷たい平和な顔に見とれているらしかった。故人の妹の亭主ギルバート・スローンは細君のぽっちゃりした手を軽くたたいていた。故人の甥(おい)アラン・シェニーは少し顔をあからめて上衣のポケットに両手を差し込み、じっと宙をにらんでいた。ハルキス画廊の理事、ネーシオ・スイザは喪服に威儀を正して、片隅(かたすみ)に白々しく立っていた。故人の顧問弁護士ウッドラフは、しきりに鼻を鳴らしていた。すべてが自然でごくあたりまえだった。やがて不景気面(づら)の銀行屋みたいな葬儀屋のスタージェスが店員どもを指図して、棺のふたを手早く閉じつけた。あとはもう野辺の送りだけで、そのものうい仕事のほかは何もなかった。アラン、デミー、スローン、スイザの四人は棺台のわきに陣取り、例によって例のとおり少しごたごたしてから、棺を肩にかつぎ上げて、葬儀屋スタージェスの厳密な点検を受け、エルダー牧師が祈りを誦す中を、葬列はおごそかに邸(やしき)を出て行った。

……《一 TOMB……墓地》より

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