「釣魚大全」

アイザック・ウォルトン/杉瀬祐訳

ドットブック版 506KB/テキストファイル 109KB

700円

幻の釣り指南書、釣り人の聖書といわれているウォルトンの「釣魚大全(ちょうぎょたいぜん)」の初版本の完訳。釣り特有のゆったりとした気分、それぞれの魚の棲家と四季の生態にあわせた釣るための作戦と周到な準備――餌の用意、竿や仕掛けのこまごまとした準備と工夫――自分の苦労ばなし、自慢ばなしを人に聞かせたいという釣り人の生態まで、「自然のなかで遊ぶ」楽しさを楽しく披瀝した名著。「300年以上も昔から私の手許まで流れ漂ってきた釣りの楽しみの情感、ああ、はるばると伝わって来たものだな、という気持ちだった」これは訳者の言葉である。

アイザック・ウォルトン(1593〜1683)英国スタファドシャー生まれの伝記作家・随筆家。ロンドンに出て徒弟奉公のあと、鉄器商人として独立して財をなす。英国国教会派の多くの知識人・指導者たちとの交友から、それらの人たちに関する伝記を著す。50歳を過ぎたころにはウィンチェスターに引っ込んで余生を平穏に送った。

立ち読みフロア
【釣り師】 やっと追いつきましたよ。お早うございます。あなたがご用事でウェア町の方に行かれるのではないかと思って、あなたを追いかけ、トテナム丘を急いで登って来たのですよ。気持ちのよい、すばらしい五月の朝ですね。
【旅人】 ええ、大体ご推察通りです。朝食までに、ウェア町の三マイル手前のホズデンまで行くところなんです。もっとも途中で一杯ひっかけるかもしれませんが、ホズデンの『茅葺(かやぶ)き家』で、九時に友だちと会うことになっているので、そのため早起きして、こんなに急いで歩いているというしだいです。
【釣り師】 あの『茅葺(かやぶ)き家』なら、私もよく知っていますよ。私もよくあそこで一休みして一杯飲むんです。あそこの酒は実際すばらしいですね。もしおよろしければ『茅葺き家』までご一緒したいものです。あなたに歩調を合わせ、あなたのようなよい道連れと楽しく参りたいものです。ご存知のように、イタリアの諺に「良き道連れで、遠い路(みち)も苦にならず」と申しますから。
【旅人】 おっしゃるとおりです。よい話があればなおさらですね。あなたのご様子も話しぶりも活き活きしているのできっとおもしろいお話が伺(うかが)えるものと存じます。私の方としましても、初対面のあなたに失礼にならぬ程度に、自由にざっくばらんにお話ししたいものです。
【釣り師】 そうおっしゃって頂いて、本当に嬉しいですよ。お言葉通りだと思いますので、失礼ですが、さっそくおたずねしたいのですが、あなたがいま旅をしておられるのはお仕事のため? それともお遊びで?
【旅人】 実のところ、仕事が二分に、遊びが八分、といったところです。一日二日カワウソ狩りをやろうと思っているんですよ。これから会う友だちの言うことには、「どんな狩りよりも、カワウソ狩りほど面白いものはない」って言うもんですから。それで、今日のうちにちょっぴりの仕事をバタバタ片付けて、明日は某氏の猟犬の群れのお供をする手はずなんです。その某氏とは、明朝夜明け前にアムウェル丘で友人と一緒に会うことになっているんです。
【釣り師】 それは、それは、願ってもないことですな。私も一日二日かけて、カワウソのような凶悪な害獣退治をしたいものだと思っていました。カワウソは憎らしい奴です。なぜかと言いますと、カワウソは魚が大好物であるだけでなく、魚を全滅させてしまうほどですからね。カワウソ狩りの猟犬を飼っている人には政府が年金を支給して、あの下卑(げび)なカワウソを根絶してしまうように奨励すべきだ、と私は思っているくらいなんですよ。実際かれらは有害ですよ。
【旅人】 じゃ、我が国のキツネどもについてはどうお考えですか。カワウソ同様、やっつけてしまえとは思わないですか。キツネもカワウソに劣らず、ずいぶん有害ですけれど――。
【釣り師】 ええ。でも、キツネが有害だとしても、私や私の仲間にとっては、あの下卑な害獣のカワウソほどじゃないんです。
【旅人】 おやおや、それはまたどうして? かわいそうなカワウソをそんなに憎んでいらっしゃるあなたのお仲間というのは、いったいどんな人たちですか?
【釣り師】 私は釣り師の仲間なのです。それでカワウソとはウマが合わないというわけです。カワウソは我々釣り師にとってはずいぶん有害なんですよ。知っておいて頂きたいのですが、我々釣り師仲間はお互いに愛し合い、一致協力するんです。それで、私がこんなにカワウソを憎むというのも、釣り師仲間みんなのためでもあるんです。
【旅人】 ずけずけ正直に言わせてもらえば、あなたが釣り師と伺って、私は少々残念に思います。というのは、多くの謹厳実直な人は釣り師を軽蔑していますし、趣味人の多くも釣り師をあざけっていますからね。
【釣り師】 世間から謹厳実直と思われている人は世の中にはたくさんいますよ。でも、われわれはむしろそんな人たちこそを軽く見、可哀想に思うんです。いつも苦虫をかみつぶしたような顔をして謹厳実直と思われようとしている人とか、金儲けにのぼせあがっている人とかを。金儲け主義の人は、金儲けのために人生すべての時間を注ぎこんで、その次には、蓄えた金をなくしはしないかと絶えずビクビク、オドオドしていますし、金持でありながらいつも不満だったり忙しすぎたりし、身の破滅を招くような憐れな人間は、世間には多いものですよ。われわれ釣り師たちは、そんな連中を可哀想に思いこそすれ、そんな連中の尺度によらないでも、結構自分自身が倖せだと感じながらやってゆけるのです。どうぞ信じてください。われわれは、そんな世俗的な幸福よりも、もっと高い満足感を味わって楽しんでいるんです。何に対してもあざけり罵(ののし)るくせのある人には「あざける者はあざけられる」という格言がぴったりです。あの有名な知性あふれるフランス人がそんな場合についてこんなふうに語っています。「私が猫をあいてにガーターなどでふざけているとき、猫と私と、どちらが相手をからかっているのだろうか。それは誰にもわからないことだ。私が勝手にふざけ始めたり、止めたりするのと同様に、猫も勝手にふざけ始めたり、止めたりするからといって、猫は馬鹿なやつだと言いきれるだろうか。いや、そうではない。人間と猫がよく理解できないのは、私が猫の言葉が理解できないためであることはたしかなことだ(猫だって、猫同士の間では話したり考えたりしていることは疑いのないことだからだ)。そして、猫が私を慰みものにしながら、私の愚かさ加減を馬鹿にし、あざけり非難して、人間は猫のことがさっぱり理解できないんだから困ったものだと、私を憐れんでいるかもしれないのだ」(モンテーニュ『随想録第二巻十二章』レイモン・ド・スボンの弁明)
 よく考えもしないで、他人を軽蔑したり非難するような連中に対して、モンテーニュは猫を例に語っているわけですが、このことはあなたから嘲笑者の人々にも話してやってください。
 釣りとはどういう芸術か、どんな娯しみなのか、釣魚道(ちょうぎょどう)のことをよく知りもしないで嘲笑するような人たちに対しては、私も大いに反駁したいものだと思います。
 けれども、それでもなお、わかってもらえないようならば、嘲笑者は次の警句をいつもポケットに入れておいて、朝食毎に毎朝読み返しなさい、と言ってやりたいと思います。この方法が一番よく効くでしょう。嘲笑者は、ルキアノス――嘲笑者の本家本元ともいうべき人です――の対話篇のことばの中にそのものずばりの警句を見出すことができるでしょう。私は嘲笑者の人々から善意に関して恩恵を蒙ったことはこれっぽっちもありませんが、少しばかり骨折って、ひとひねりしたこんな警句を作ってみました。この警句は嘲笑者のみなさんにはぴったりだろうと思うんです。

 あざけり巧みなりしルキアノス、かく記せり。
 友よ、君が才気と思いしことは君の愚をあらわす。
 それに気付かず、知性も遠慮もなく、得々と語れど、
 他人を愚弄するつもりは、おのれ自らを愚弄するにすぎず。

 しかし、嘲笑者の連中のことはもうこれくらいでたくさんです。かのすぐれたソロモンも、あざける者は人に忌み嫌われると語っていますし、私もあざける人は嫌いです。徳と釣りを愛する人なら誰だって嘲笑者を嫌うことでしょう。


……「第一章 釣りの芸術性について」冒頭より


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