「黒い大陸」

スタンレー著・宮西豊逸訳

ドットブック版 1.4MB/テキストファイル 165KB

500円

探検家スタンレーの第二回アフリカ探検の手記。ヴィクトリア湖からタンガニーカ湖へ、コンゴ川を下って大西洋へ。苦渋に満ちたこの横断ドキュメントによって、アフリカの真相は初めて世界に伝えられた。 ドットブック版には、民俗学的にも価値ある原書挿し絵を多数収録。

スタンレー(1841〜1904)Henry Morton Stanley 英国ウェールズの生まれだが、17歳のときアメリカに渡る。最初は新聞記者として活躍、アフリカ探検中に消息を絶ったリヴィングストンを捜索し、1871年ウジジで病床にある彼を発見、その手記で有名になった。ついで1874〜77年、東海岸からコンゴ川を下ってアフリカ大陸横断に成功した。『黒い大陸(Through The Dark Continent)』はこの第二回アフリカ探検の記録で、スタンレーの多くの著書のなかでも、最も有名かつ広く読まれた探検記である。のち英国に帰化し、下院議員に選出された。

立ち読みフロア
  一八七四年八月十五日、私はイギリスを出帆して、アフリカ東岸へ向かった。
  イギリスのデイリー・テレグラフ紙、アメリカのニューヨーク・ヘラルド紙の両新聞が、アングロ・アメリカン・アフリカ探検隊隊長として、私を派遣したのだった。こんどの探検の主要な目的は、ディヴィッド・リヴィングストン(スコットランド生まれの宣教師、探検家。一八一三〜七三)が追求しようとした「大河」の秘密を解き、タンガニカ湖の流出口を確かめ、ナイル川の水源をつきとめることであった。
  九月二十一日、私はザンジバル島に着いた。なじみぶかい山の尾根、ヤシやマンゴーの木々の茂るゆるやかな傾斜面がぼうと、うす霞につつまれていた。うす青い空の下に、アフリカ大陸とザンジバル島とのあいだの海峡が、静かに眠っているようだった。ザンジバルの港に上陸して、私は旧友オーガスタス・スパーホーク氏の家へ出かけた。三年前に、消息を絶ったリヴィングストンを捜索するため、はじめて私がここへきたときと同じように、あたたかく歓迎された。
  スパーホーク氏の助力で、まもなく私は、同行した三人の若いイギリス人たち……ケント州の漁師の息子フランシス・ポコック、エドワードの兄弟、ホテルの事務員だったフレデリック・バーカー、それに五匹のイヌたちを宿舎に落ちつかせた。そして多量の荷物を陸揚げして、倉庫に入れた。
  多忙な日々がつづいた。アフリカ各地のいろいろな部族に提供する布地や、ガラス玉や針金を選んで、買い入れ、荷づくりもさせなくてはならなかった。採用されようとしておし寄せてきたザンジバルのワンワナ人(奴隷でない自由人の黒人)の大群の中から、適当な者たちを選抜することも重要な仕事だった。私は探検の経験のある者たちから、慎重に選びにかかり、マンワ・セラを首席班長とし、その下に各班長をすえ、探検隊を編成していった。

……《一 ザンジバル》より


購入手続きへ


*** 作品一覧へ *** ホームページへ ***