「南方郵便機」

サン=テグジュペリ/長塚隆二訳

ドットブック版 205KB/テキストファイル 98KB

500円

ベルニスはフランス・アフリカ間の定期郵便機のパイロット。ジュヌヴィエーヴとの愛は報いられず、彼はひたすら「飛ぶ」ことに、埋められないなにかを求めるが…著者自身の飛行体験をもとに書かれたこの処女作は、若々しい魅力にあふれている。

サン=テグジュペリ(1900〜44) フランスの作家、飛行家。軍航空隊に入り、除隊後に民間飛行士になった。その体験をもとに「南方郵便機」「夜間飛行」を書き、認められた。第二次世界大戦に従軍、北アフリカで偵察飛行中に撃墜されて死亡した。

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第一部

 一

《無電連絡 六時十分 ツールーズヨリ各着陸地ヘ フランス――南米間郵便機ハ五時四十五分ツールーズヲ出発》

 水さながらに澄んだ空が星くずを浸(ひた)して、それらをはっきりうつしだしていた。そのうちに、夜になった。サハラ砂漠が月光を浴びて、砂丘また砂丘とひろがっていた。われわれのひたいを照らすこのランプのような光は、物体をあらわに見せるのではなくてそれらを組み立てるところから、一つ一つのものに優しげな趣(おもむき)をそえている。音もなく進むわれわれの足下には、砂の分厚い層がふんだんに横たわっていた。そして太陽の重圧から解放されたわれわれは、帽子もかぶらずに歩いていた。夜、それは屋内なのだ……。
 それにしても、われわれの安らぎを信じようもあるまい? 貿易風がひっきりなしに、南のほうに吹きぬけていた。そして、衣擦(きぬず)れのような音をたてて、浜辺を吹きはらうのだ。それは、くるくるまわるうちに勢いの衰えるあのヨーロッパの風とはわけがちがう。驀進(ばくしん)する特急列車にからみつくように、われわれにからみつくのだった。ときには夜になると、すごい勢いでわれわれの方に吹き寄せる関係で、北向きに風にもたれかかると、吹き流されながらも風に逆らって漠(ばく)とした目的のほうに向かうような気がすることもあった。そのえらい勢いといったら、心許(こころもと)ないことといったら!
 太陽がまわって、また昼が巡ってくる。マウル人たちはほとんど動きを見せなかった。スペイン砦(とりで)までのこのこやってくる連中が腕を突きだしたり、銃を玩具(おもちゃ)のようにかついでいるていどにすぎなかった。これが舞台裏からみたサハラ砂漠だった。帰順しない部族もその神秘性を失って、幾人かの端役(はやく)にまで顔をださせていたのだ。
 われわれはたがいに折り重なるようにして、われわれ自身のぎりぎりに限られた影像と向き合って生きていた。だからこそ、砂漠にいても孤独感を味わわなくてすんだのだ。自分がはるかかなたにいる図を思い描き、それなりの距離感をおいてそれを見きわめるためには、われわれは故国に帰る必要があったのかもしれない。
 われわれが前にでてみるのは、せいぜい五百メートルぐらいのもので、そこから先は叛徒(はんと)の領域だった。われわれはマウル人たちとわれわれ自身に、自由を奪われていたのである。われわれのいちばん近くの仲間であるシズネロスやポール=エチエンヌの連中も、七百キロメートルないし千キロメートル先で、やはり、母岩にくるまったように、サハラ砂漠の中で動きがとれなかった。いつも同じ砦の周(まわ)りをぐるぐるまわるばかりだったのだ。われわれは彼らのあだ名も風変わりな癖(くせ)も知っているほどだったのに、われわれの間には、生物の住む惑星間にあるのと同じくらい厚い沈黙の層が横たわっていた。
 その朝、世界はわれわれのためにやきもきし始めた。無電技師がやっと、われわれに一通の電報を手渡してくれた。砂の中に打ち込んだ二本の柱のおかげで毎週一回、われわれはこの世界と連絡がとれたのだ。
《フランス――南米間郵便機五時四十五分ツールーズヲ出発 十一時十分アリカンテヲ通過》
 ツールーズの声がするのだ。起点のツールーズである。はるかかなたの神。
 十分間で、この知らせがバルセローナからカサブランカおよびアガディルを経てわれわれのもとに届き、続いてダカールのほうに伝わった。全線五千キロメートルにわたって、各空港が緊急連絡を受けていた。午後六時の連絡再開のときに、われわれのもとにさらに連絡がはいった。

……冒頭より


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