ルパン・シリーズ
「水晶の栓」

ルブラン作/山辺雅彦訳

ドットブック版 230KB/テキストファイル 190KB

500円

パリ郊外のドーブレック代議士の別荘に押し入ったルパン。高価な美術品を奪う計画はまんまと成功したかにみえた。だが、思いがけない事態が起こり、ルパンは二人の手下を置き去りにして命からがら逃走するはめに。しかもこの手下どもはその屋敷で、何やら別の品物を物色し、それをめぐって取っ組み合いの喧嘩まで繰り広げた。ルパンはそれを奪って逃走したが、家に帰り着いてから見てみると、なんのことはない、それは水晶でできた水差しの栓にすぎなかった。だが一夜あけて再びそれを調べてみようとしたとき、マントルピースの上に置いた栓は跡形もなく消えていた!……水晶の栓をめぐって複雑にからみあう謎また謎、ルパンは政治陰謀と裏切りの渦中にいやおうなく巻き込まれ、最大の強敵に立ち向かう。危うしルパン!
「水晶の栓」はルパン長編ものの最高傑作のひとつである。
立ち読みフロア
 二艘のボートが、庭から突き出した小さな桟橋につながれ、闇のなかで揺れていた。濃い霧をとおして湖の岸ぞいに、明かりのついた窓があちこちに見える。九月もおしまいというのに、まむかいにあるアンギャンのカジノは、まだぎらぎらした光を放っている。雲の切れめに星がいくつか顔をのぞかせた。そよ風が湖面にさざ波を立てている。
 アルセーヌ・ルパンは庭のあずまやでたばこをすっていたが、そこを出ると、桟橋の先まで行って体を乗り出した。
「グロニャール、ル・バリュ……二人ともいるか?」
 二艘のボートから男がひとりずつ姿を現わした。そのひとりが答えた。
「いますぜ、親分」
「出かける用意をしろ。自動車の音が聞こえる、ジルベールとヴォーシュレーが戻ってきたんだ」
 ルパンは庭を突っきり、足場が組まれた建築中の家をまわると、サンチュール大通りに面した門の扉を用心しいしい開けた。直感したとおりだった。曲り角に強烈な光がほとばしったかと思うと、大型のオープン・カーがとまり、オーバーのえりを立て、鳥打帽をかぶった二人の男がとびおりた。
 ジルベールとヴォーシュレーである。ジルベールは二十歳から二十二歳くらいの青年で、好感のもてる顔をしている。身のこなしもしなやかで力強い。ヴォーシュレーのほうは小柄で、しらが(・・・)まじりの髪に、青白く病的な顔つきだ。
「じゃあ、見てきたんだな、あの代議士を?……」ルパンがたずねた。
「ええ、親分」ジルベールが答えた。「七時四十分発のパリ行き列車に乗りこむところを見てきました。こちらの情報どおりでしたよ」
「それでは、仕事に邪魔は入らないな?」
「まったく邪魔は入りません。マリー=テレーズ別荘はこちらのものです」
 運転手がシートにすわったままでいたので、ルパンは言いつけた。
「ここに駐車しちゃいかん。人目につくからな。九時半きっかりに戻ってこい。荷物を積みこむ時間にな……ただし仕事をしくじらなければの話だが」
「どうしてしくじるなんておっしゃるんですか?」ジルベールが文句をつけた。
 車が行ってしまい、湖に通じる道を新しくやってきた仲間と歩き出してはじめてルパンは答えた。
「どうしてだと? これがおれの準備した仕事じゃないからさ。自分が立てた計画でなければ、半分しか信用できんのだ」
「なんですって! 親分、いっしょに仕事をさせてもらうようになってから三年にもなります……だいぶ要領がのみこめてきましたよ!」
「そうさ……ようやくのみこみかけてきただけさ。だからどじを踏みやせんかと心配なんだ……さあ、ボートに乗れ……ヴォーシュレー、おまえはあっちのボートだ……よし……じゃあ漕いだ漕いだ……できるだけ音を立てんようにな」
 漕ぎ役のグロニャールとル・バリュは、対岸の、カジノよりすこし左手を目指してまっすぐ進んだ。
 初めに出会ったボートには、アベックがぴったり抱きあっていて、波に流されるままだった。次にすれちがったボートには、何人かが大声を張りあげて歌っていた。そのほか行き会ったボートはなかった。
 ルパンは仲間のそばへにじりより、小声で言った。
「さてと、ジルベール、今度の仕事を思いついたのはおまえか、それともヴォーシュレーか?」
「さあ実のところ、どっちかわかりません……二人して何週間も前から話しあってきたんで」
「こんなことを聞いたのは、おれがヴォーシュレーを信用しないからさ……きたないやつだ……陰でこそこそしやがって……どうしてあいつを厄介(やっかい)やっかい払いしないのか、自分でも不思議なくらいだ……」
「まさか! 親分!」
「それがそうなんだよ! あれは危険なやつだ……何かやましい前科でもかかえているんだろうが、それは別にしてもな」
 しばらく口をつぐんでから、またルパンはたずねた。
「それでは代議士のドーブレックを見たのは確かだな?」
「この目で見ましたよ、親分」
「それにパリで人と会う 約 束 が あるってわけか?」
「芝居を見に行きます」
「よし、それでも召使たちがアンギャンの別荘に残っているだろうが……」
「料理女は首になりました。ドーブレック代議士が信頼する召使のレオナールは、パリで主人のおいでを待っています。二人とも午前一時より前には戻ってこれませんよ。しかし……」
「なんだと?」
「ドーブレックが気まぐれを起こすかもしれません。気分が変わって、思いがけず戻ってくることも計算に入れておくべきです。それで、一時間後にはすっかり片がつくようにしなくては」
「そういう情報はいつ聞きこんだ?……」
「今朝でした。そこですぐにヴォーシュレーとぼくはチャンスがきたと思ったわけです。さっきまでいた建築中の家の庭を出発点に選んだのはぼくです。夜になると人がいなくなりますので。二人の仲間に連絡してボートの漕ぎ役を頼んでから、親分にお電話しました。これで全部ですよ」
「鍵は持っているんだな?」
「小階段の上の正面玄関のやつなら」
「あそこに見える、庭園にかこまれた別荘がそうだな?」
「ええ、あれがマリー=テレーズ別荘です。両隣りの別荘も一週間前から人が住んでいません。これはと思う物はなんでもゆっくり運び出せますよ。親分、やってみるだけの値打ちはある仕事です、保証します」
 ルパンが口のなかでもぐもぐ言った。
「やさしすぎるよ、この仕事は。てんで魅力がない」

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