「ダロウェイ夫人」

ヴァージニア・ウルフ/大澤実訳

ドットブック 267KB/テキストファイル 210KB/原書テキスト版 158KB(400円)

600円

「意識の流れ」の文学の創始者のひとり、ウルフの代表作。一夜の晩餐によばれた人たちのさまざまなその場の意識や思いつきが、重なり合い、呼応し、反発し、とめどなくあらぬ方へと流れ行く…そのさまは、不思議な現実感と虚無感をかもしだす。大澤氏の訳はみごとなまでに流麗である。

ヴァージニア・ウルフ(1882〜1941) ロンドン生まれの作家、批評家。「意識の流れ」を重んじる新しい文学の試みに果敢に挑戦、「ダロウェイ夫人」「燈台へ」「波」でそれを完成させた。彼女の自宅は作家のE・M・フォスター、経済学者ケインズをはじめ当時の著名な作家・学者・芸術家のつどう場の一つとなり、彼らはブルームズベリ・グループと呼ばれた。

立ち読みフロア
 ダロウェイ夫人は、お花を買って来よう、と言った。
 ルーシイはもう、あてがわれた仕事で、手いっぱいなのだ。ドアの蝶番《ちょうつがい》も具合が悪いけれど。ランペルメイアから職人を寄越すはずだわ。それにしても、とクラリッサ・ダロウェイは思った、素敵な朝だこと――浜辺に出た子供らに吹きつけて来る空気のように新鮮だわ。
 何てまあ素晴らしい! 身を躍らす折のこころよさ! その音が今でも耳許に残っているけれど、蝶番を少しばかり軋《きし》らせて、フランス風の窓をおしあけ、ブアトン〔イングランド中部、グロスター州の山峡にある小都市〕の外気に跳び込んだとき、いつもきまって、そんな感じを味わったのだった。早朝の空気はいかにも新鮮で、穏やかで、そしてもちろん、これよりはどれほどか静かだったわ。まるで波のひた打ちのように、また波のくちづけにも似て、ひんやりとして、するどく、しかも(当時十八歳の少女だった彼女にとっては)おごそかで。開け放った窓にむかって立っていると、何か怖ろしいことでも起こってきそうな気がして。花をながめ木立をながめ、木々を取り巻いては消え去ってゆく煙をながめ、高く低く飛んでゆくミヤマガラスの群れをわたしはながめていた。立ちつくして眺めていると、しまいにピーター・ウォルシュが言葉をかけた――「野菜畑のご瞑想ですか」――こうだったかしら――「僕には花野菜よりも人間のほうがいいですね」だったかしら。ある朝の食事どき、テラスに出ていったわたしに、あの人はそう言ったにちがいない――ピーター・ウォルシュは。一、二ヵ月うちに彼は印度から帰るだろう。六月だか、七月だか、忘れてしまった。彼から来る手紙はおそろしくだらだらしているから。思い出されるのはあの人の言った言葉だわ。その眼つきも、懐中ナイフも、微笑も、癇癪《かんしゃく》も、それ以外の限りないことがらは、みんなとうに忘れてしまったというのに――何て奇妙なことだろう! 甘藍《かんらん》についてのそんな言葉が思い出されてくる。
 彼女は鋪道のふち石のところに身を硬くしてしばらく立ち、ダートナル会社の馬車が通りすぎるのを待っていた。チャーミングな女だわい、スクロープ・パーヴィスは彼女のことをそう考えた(ウェストミンスター区に隣り合って住んでいるもの同士が見知っているという程度に、彼女の存在を知っていたのだ)。彼女は五十の坂を過ぎ、病いの果てにだいぶ白髪《しらが》を増しはしたが、どこか小鳥のような、青緑いろで軽快溌剌としたかけす《ヽヽヽ》のような印象を与えた。彼女は男のほうを見ず、その場に御輿《みこし》をすえたように、直立しながら、横断する折を待っていた。
 ウェストミンスター〔ロンドン市中央の自治区。ウェストミンスター寺院、国会議事堂、バッキンガム宮殿などを含んでいる〕に住んでいると――今ではいったい何年になるだろう? 二十年以上にもなるのだ――往来の真ん中であろうと、夜中に眼が覚めたときであろうと、ビック・ベン〔国会議事堂の大時計〕が鳴ろうとするその直前、一種特別な静けさ、あるいは厳めしさの感じにおそわれ、名状しがたい合間を、危惧を(だがしかし、それはインフルエンザに冒された彼女の心臓のせいだろうと人々は批評した)感じるのだ、と、そうクラリッサは信じて疑わなかった。そら! 鳴り出す。最初は予告、音楽的に。おつぎは時報、もう取り消しがきかぬ。鉛の圏がいくつも空中に溶ける。ばかげた話じゃあるけれど、と彼女はヴィクトリア街〔ビック・ベンを右手に見る、ウェストミンスターの大通り〕を渡りながら思った。だってわたしたちは何という理由もなしに、あの姿を愛したり、眺めたり、勝手にそれを組み立てて自分のまわりに建てめぐらしたり、倒したり、絶えずまた新しく造りなおしたり、そんなことをしているのだ。でも、この上なくうすぎたないお婆さんたち、悲惨のどん底におちてどこかの戸口に腰をおろしている連中だって(その連中の没落を祝して杯をあげよう!)同じことをしているわけ。だからこそ議会の協賛を経た法律はあってもどうにも処置できないんだわ、と彼女ははっきりそう感じた、人生を愛している以上は。人々の眼差し、素早い、たどたどしい、重々しいその足どり、怒号、叫喚、馬車、自動車、バス、荷馬車、のろのろと調子をとって歩いてゆくサンドイッチマン、ブラスバンド、手風琴、頭の上を飛ぶ飛行機の奏でる凱歌、爆音、ふしぎな高唱――そんなものを、私は愛しているの。人生を。ロンドンを。六月のこの瞬時《とき》を。


……冒頭より

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