「ダアシェンカ」

――ある子犬の物語

カレル・チャペック/小川浩一訳

エキスパンドブック  893KB/ドットブック 140KB/テキストファイル 22KB

400円

愛犬ダアシェンカによせるチャペックのあふれるばかりの愛情がひしひしと伝わってくる名編。作者自身による巧みなイラストを本文に収めた。なお、エキスパンドブックの巻末には、これまた魅力あふれる作者自身の手になる「写真アルバム」を収めた。

カレル・チャペック(1890〜1938)チェコスロバキア北部の炭鉱町に、医師の息子として生まれる。プラハ大学で哲学を学び、ベルリン、パリに留学。その後、作家生活にはいり、1921年に戯曲「RUR(ロボット)」「虫の生活」を発表、とくに前者は諸外国で舞台にかけられて大反響を引き起こした。「ロボット」という言葉は、彼の造語である。以後「マクロプロスの処方」「クラチカト」「絶対子工場」「山椒魚戦争」など、SF的手法の長編未来小説を次々に完成するとともに、「園芸家の一年」や、多くの自筆挿絵入りの旅行記など、親しみのわく読み物にも健筆をふるった。

立ち読みフロア
目次

◆ダアシェンカ

◆子犬の撮り方

◆ダアシェンカへのおとぎ話
 1 しっぽのお話
 2 テリヤが地面を掘っくり返すわけ
 3 ふおっくす《ヽヽヽヽヽ》のこと
 4 アリクについて
 5 ドーベルマンについて
 6 ボルゾイとそのほかの犬について
 7 犬の習慣について
 8 人間について

◆ダアシェンカ アルバム
    ――撮影 カレル・チャペック

 

第一章

 はじめて生まれてきたとき、それは手のひらににぎれるほどの、ただほんの小さな、白いかたまりにすぎませんでした。けれど、ちっぽけな、まっくろの耳が二つと、かわいいしっぽがついていたので、やっとこさっとこ、子犬とわかったのでした。
 それにどうしても、女の子であってほしいと思っていたので、ダアシェンカ〔チェコ女性の名前〕という名前がつけられました。
 この白い小さなかたまりには、二本、なんとかそう思えば、やっと足と思えるようなものがついていました。たしかにそれは足でした。なんの役にたたなくっても、ちいちゃな足だったのです。でも、まだその足で立つことはできませんでした。あんまりよわく、ぐにゃぐにゃでしたから、歩くなんて思いもよらなかったのです。

 ダアシェンカが、ほんとうに、歩こうとするばあいには(じっさいには、もちろん、歩けなかったのです。ただ、うでまくり――いや、もっと正確にいうと、足まくりすることさえできなかったのです。手のひらにつばをかけようとしても、それさえできませんでした。第一、まだ、つばをはくこともできませんでしたし、第二に、たとえつばをかけようとしても、その前足はあんまり小さすぎて、うまく当たらなかったでしょう)――つまり、ダアシェンカは、じょうずに歩こうとしてママのあと足のところから、前足のところまで、やっとたどりつくのに半日もかかってしまったのです。
 そのとちゅうで、かの女は三度、食事をし、二度、眠りました。ねることと、食べることは、かの女が生まれたときから知っていましたので、教えないですんだのです。そればかりを、かの女はほんとにいっしょうけんめい――朝からばんまで――していたのです。また、ぼくはこうも考えているのです。だれもかの女をみていない夜にだって、お昼とおなじように、ぐっすり眠っていたんだなあと。かの女はまめな子犬だったのです。
 そのほかにも、ダアシェンカは、吠えることだって知っていました。だけど、ぼくは、どうやって犬が吠えてるかそんな絵はかけませんし、やってみせることもできません。ぼくの声は、あんなかぼそいものではありませんから。
 また、ダアシェンカは生まれおちたときから、お母さんのおっぱいを吸っているあいだ、ずっと口をぴしゃぴしゃなめることだってできました。だけど、そのほかのことといったら、なんにもできなかったのです。
 このように、ダアシェンカはそれほどたくさんのことはできませんでしたが、でも、かの女のお母さん(お母さんはイリスという名の、ワイヤーヘアード・フォックステリヤでした)には、それだけでたくさんでした。それこそ、一日じゅう、ママはかわいいダアシェンカをあやして、なにごとか話したり、ささやいたり、かぎまわったり、キスしたり、だきしめたり、みつめたり、じぶんの綿のような、小柄なからだをまくらにしてあげたりしました。そら、そら、そこで、かわいいダアシェンカが、眠っていますよ!
 みなさんのごらんになったように、それはもう、お母さんの愛情というべきものでした。人間のお母さんのばあいだって、まるっきり同じことだっていうのは、もちろん、ごぞんじですね。
 でも一つだけ、ちがうことがあります。
 人間のお母さんは、なにをし、なぜするかをよく、知っています。ところが、犬のお母さんはそんなことは知らないで、ただ感じとるだけです――お母さんに対して自然はみんなヒントをあたえます。
「ほら、イリス――お母さんに自然の声は命じるのです――お気をつけ! おまえの子どもが目がみえず、ちっぽけで、じぶんでじぶんをまもったり、かくれたり、助けをよんだりできないあいだは、ちょっとだってはなれちゃいけないって、わたしはいっておくよ! あかんぼうをまもってやって、じぶんのからだでかばうんだよ。そしてもし、へんなやつらがちかよってきたら、ウ・ウ・ウっていってやって、そいつにとびついてやるんだよ!」
 イリスは、こうしたことをすっかり、こまかいところまでまもっていました。かわいいダアシェンカに、あやしげな弁護士がちかよっていったときに、いきなりとびかかっていき、弁護士のズボンをひきさいてしまいました。また、ある作家(それは童話作家のヨゼフ・コプタでした)が、近よっていったときにも、やはりとびかかっていってその足にかみつきました。
 また、ある女のひとも服をすっかりひきさかれました。イリスはそのうえ、郵便屋さんだの、煙突そうじ屋さんだの、電気屋さんだの、ガス屋さんだのといった、お役人さんたちにも、もうれつな攻撃をくわえました。そればかりか、おおぜいのえらいお役人たちもおどかしました。またひとりの議員さんにもくいつきました。おまわりさんにだって、けんかをふっかけました。こうやって、生まれつきの用心ぶかさと猛烈さとで、あらゆる世のなかの敵や、わるい毒や、にくしみから子犬をまもったのです。
 こういう母親犬というものには、すこしもひまがないものです。なにしろ、人間は、あんまり数が多すぎますし、いちいち、くいついているわけにもゆきませんから。

 ダアシェンカが生まれて十日目のお祝いをしたその日、かの女は、はじめての大事件にでくわしました。朝おきてみますと目がみえるので、びっくりしてしまったのです――とはいってもまだ、片方の目でしたが、それでも、大きな進歩でした。それでダアシェンカはあまりびっくりしてしまったので、クンクンなきました。

……「第一章」より


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