「暁の死線」

ウィリアム・アイリッシュ/砧一郎訳

ドットブック版 239KB/テキストファイル 199KB

600円

「この作のサスペンスは飛びきりである。主人公の青年がフラフラと町を歩いて来て、ダンスホールに入り、放心状態でチケットを買い、商売人らしくない少女のダンサーと踊りつづけるまでの、非常に長い冒頭の場面は、なんとも形容のできない不思議なサスペンスに充ちている」(江戸川乱歩)。サスペンス派の巨匠の手になる代表作!

ウィリアム・アイリッシュ(1903〜68) ニューヨーク生まれ。コロンビア大学でジャーナリズムを専攻したが、在学中から小説を書き始め、大学は中退。34年からミステリ短編を雑誌に書き始め、42年の長編「幻の女」で一躍サスペンス・ミステリの人気作家となった。哀愁味あふれる美しい文体から「サスペンスの詩人」と呼ばれたりする。本名コーネル・ウールリッチ名義で書いた作品も多い。

立ち読みフロア
〇時五〇分

 女にとって、その男は、一枚のうす桃いろのダンスの切符、それも、半分にちぎった使用ずみの片割れ、一枚十セントの中から、自分にもらえる歩合の二セント半、そんな値うちのものでしかなかった。床の上じゅう、夜じゅう、からみ合うように、こっちの脚をあとしざりさせつづける一対の脚、きまりの五分間のすぎるまで、好きなように、こっちのからだの向きを変えさせる、背なかにまわした手の合図。空のバケツの山に砂嵐が吹きつけるように、高みのバンド席から四分の二拍子音符が、雨あられとやたらに降りそそぐ五分間。と思うと、だしぬけにスイッチを切られたような沈黙。一瞬二瞬、つんぼになったような感じにおそわれて、どこの誰とも知れぬ男の腕にしめつけられていた肋骨(ろっこつ)が自由になり、ホッと吐くひと息ふた息。それからまた、同じはじめから終りまでのくりかえし。またもう一度、音符の砂嵐。またもう一枚のうす桃いろの切符。またもう一対のこっちの脚を追っかけまわす男の脚。またもうひとしきり、好きなようにこっちのからだをあやつる手の合図……
 誰といわず、男はみんな、それだけのものでしかなかった。こんな仕事がいやでたまらない。ダンスがいやでたまらない。びっこに生れついていたら両脚同じように自由に動かすこともできないし、つんぼだったら、鼻っつらを天井向けて吹き鳴らすトロンボーンもきこえない。ほんとにそうだったら、どんなにいいか、と、つくづく思うことがある。そうだったら、こんな仕事もせずにいただろう。どこかの地下室の洗濯場で、誰かの汚したシャツでも洗っていたことだろう。どこかの料理店の洗い場で、誰かの汚した皿をゆすいでいたかもしれない。どっちにしたって、思ってもしようのないことだ。なんの得にもならない。かといって、思って悪いわけではない。損になることもないのだ。
 女には、この街じゅうに、たった一人だけ、友だちがあった。いつもじっとしている。踊りもしない。それがいいところなのだ。来る夜も来る夜も、すぐそこにいて、「さあ、元気をお出し。あとほんの一時間ですむんだ。頑張れるよ。今までだって頑張れたんだからね」と、話しかけてくれるように思える。それからしばらくすると、「しっかりおしよ。もう三十分きりだ。ぼくも、君のために精出しているんだよ」と。そして最後に、「さあ、もうひとまわりだ。すぐに時間だよ。もう一ぺんグルッとまわれば、今晩のお役目はおしまいだよ。たったもうひとまわり。そのくらいやれるさ。さあ、へたばっちゃ駄目だよ。ほらごらん。ぼくの長い針が、短い針のほうへ寄って行く。今晩も、君のためにやってあげたんだよ。こんどこっちへ来るころには、一時になっているよ」と。
 その友だちは毎晩、そんなことを話しかけてくれるようだ。どこまでもはげましてくれる。街じゅうで、しあわせをもたらしてくれるただひとつのものだった。自分から乗り出して来ることはないにせよ、ニューヨークじゅうで、味方をしてくれるただひとつのものだった。いつ果てるとも知れぬ夜の世界で、心を寄せてくれるただひとつのものだった。
 その友だちは、ステップを踏みながらまわって来るごとに、横町にむかった左手の一番はしの二つの窓からしか見えなかった。表通りに面した正面の窓からでは見えない。左手にならんだ窓でも、役に立つのは、はしっこの二つだけなのだ。ほかの窓は、途中をビルディングが邪魔している。窓は、いつもあけっ放しだった。換気のためと、もうひとつには、派手な騒ぎを下の歩道まで届かせるために。それにひかれて迷いこんで来る風来坊もないではない。いずれにしろ、はしっこの二つの窓から、その友達が見えた。はるかに遠い高空から、やさしくのぞきこんでくれる。ときには、そのもっと向うに、ひとつかみの星くずを背景のようにまき散らして……星はどうでもいいけれど、その友だちは、力になってくれるのだ。星がなんの役に立つというのだ。世の中に、なんのいいことがあるだろうか。女と生れて、なにかいいことがあったろうか。男だったら、なにはともあれ、自分の脚を売りものにすることはない。男は男なりに、みじめな気もちになりもしようが、それでも、こんな工合にみじめになることはないのだ。
 ずいぶん遠いけれども、眼がよかった。タフタのような夜空に、やわらかく浮き出たまるくかがやく光の輪。その内側に光る十二の刻(きざ)み目。それぞれの時を告げる一対の輝く針は、決してつかえたりしない。とまってひとをまごつかせたりもしない。いつもたゆまず精を出し、ジリジリと動き続けては、仕事をすませて解放される時刻を引き寄せてくれる。その友だちは、ここからずっと街なみをへだてた向うの、七番街四十三丁目にそびえ立つパラマウント塔の上の大時計なのだ。それが、街から街へ、重なり合う屋根の波をはすかいに、ビルのつくる輪郭のはざ間(ま)をとおして、今いるこの場所からでも見える。人の顔のようだ――時計はみんなそうなのだが――友だちの顔のように見えた。赤髪のほっそりとした二十二歳の女にしては奇妙な友だちだけれども、そのおかげで、忍耐と絶望とのちがいを知らせてもらえた。

……冒頭より

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