「デカメロン(I・II)」

ボッカッチォ/高橋久訳

(I)ドットブック 727KB/テキストファイル 386KB

(II)ドットブック 619KB/テキストファイル 319KB

各1200円

近代の夜明け、黒死病(ペスト)が猛威をふるうフィレンツェをのがれて、せめて楽しいひとときを送ろうと10人の男女が郊外の邸宅に集まり、10日をかけて、もちまわりでおもしろおかしい話を語り合う。1日10話、全100話からなる「デカメロン(十日物語)」は、社交と機智とユーモアとエロスの追求に彩られた、ルネサンスの曙を告げる記念碑的作品 である。

ボッカッチォ(1313〜75) 中世イタリアの文学者。フィレンツェ商人の息子としてパリに生まれた。10歳のときナポリに移り、ナポリ大学で法律を学ぶ。バルディ銀行に勤めたが倒産にあい、1343年にはフィレンツェに。ダンテに傾倒し、その伝記を書いたり「神曲」の注釈を著した。そもそも、「コンメディア(Commedia)」と題されていたダンテのこの作品を「Divina Commedia」(神曲)と呼んだのはボッカッチォである。53年には「デカメロン」を完成、人文主義者としてギリシア語の研究もおこなった。ペトラルカとは互いの研究や活動で刺激しあい、ルネサンスのさきがけにもなった。「デカメロン」はのちのチョーサーの『カンタベリー物語』やナヴァル女王マルグリットの『エプタメロン』などの成立に大きな影響を与えた。

立ち読みフロア
  皆さん、私たちがここに集まってお話をしているのは、自分たちが楽しい思いをしたいからなんですね。ですからこの目的にそれないようにさえすれば、さきほど私たちの女王もおっしゃったように、お一人お一人ができるだけ皆さんを楽しませるような話をなさってさしつかえないと思います。私は手短に、ある僧がどんなに巧みに自分の肉体を厳罰から救ったかをお話ししてみようと思います。
  ここからそう離れていないルニジャーナという片田舎(かたいなか)に、今はありませんが、昔聖者や修道僧が大勢住んでいた修道院がありました。そこに一人の若い僧がおりましたが、この僧は気力と若さにあふれ、断食をしてもお通夜をしても、いっこう体力に衰えをみせませんでした。ところがある日の午後、ほかの僧がみな昼寝をしていた時、彼はたった一人でとても淋しい所にある教会の近くを歩いておりました。するとたいへんきれいな一人の娘に逢ったのです。彼女はたぶんそのあたりの百姓の娘でしょうが、畑へ野菜をとりに来ていたのです。彼は一目その娘を見ると、むらむらと肉体の欲情におそわれました。近づいて彼女と言葉をかわし、いろいろ話をしているうちに、うまく話がついて、誰にも知られないようにして自分の部屋に娘をつれこみました。彼は狂おしい欲情にすっかり夢中になって、少しも用心しないで娘と戯(たわむ)れあっていますと、修院長が午睡からさめて、その僧の部屋の前を静かに通りかかり、二人がたてる物音を聞いてしまいました。修院長はもっとよく聞きわけようと思って、そっと部屋の扉に近づいてきき耳をたてました。すると中に女がいることがはっきりわかりました。すぐに扉を開けさせようかと思いましたが、別なやり方をしてみようと考えなおしました。
  そこで自分の部屋へもどって、僧が外へでてくるのを待ちました。僧はまだその娘を相手にこの上ない逸楽(いつらく)と歓喜に浸(ひた)っておりましたが、やはり絶えず不安な気持がつきまとっておりました。彼は、寝室のほうで何か足をするような音がしたと思いましたので、小さな隙間(すきま)に目をあてて見ますと、修院長が聞き耳を立ててそこにいるのがよく見えました。もう自分の部屋に娘がいることを修院長に知られたことは、はっきりしてしまいました。彼は重い刑罰を受けるに違いないと思って、ひじょうに悲しみました。でも娘には心配しているような様子を少しも見せないで、すぐになにかよい方法はないものかと、いろいろ頭をめぐらせました。その時彼は想像どおりうまくゆきそうな新しい奸策(かんさく)を思いついたのです。

……《第一日第四話 同じ罪》より


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