「デーミアン」

ヘッセ/常木実訳

ドットブック版 211KB/テキストファイル 155KB

500円

「ぼくはただ、ひとりでにぼくのなかから生まれ出ようとするものを、生きてみようと思っただけだ。それがどうしてこんなにもむずかしいものだったのだろうか?」……幼くしてジンクレールは両親の家の「明るい世界」と、下女や職人の「暗い世界」の存在に気づく。そしてまたたくまに「暗い世界」へと引きずりこまれる。そこに現われたのが自信に満ちた導き手の「デーミアン」だった。潜在意識の世界への探求にむかった、ヘッセ後期の出発点となった記念碑的作品。

ヘルマン・ヘッセ(1877〜1962) 南ドイツの小さな町カルヴの宣教師の息子。時計の歯車磨き助手、書店員などをへて、「郷愁」で広く認められて作家に。作品はすべて自伝的で、苦悩をへてある種の解脱へと到達する内容が特色となっている。代表作「郷愁」「車輪の下」「デーミアン」「荒野の狼」「知と愛」「シッダールタ」「ガラス玉演戯」。

立ち読みフロア

 ぼくが十歳で、ぼくたちの小さな町のラテン語学校〔古典語教育を主とした中・高等学校で、小学四年終了で入学できる〕へかよっていたころのある体験から、ぼくの物語をはじめよう。
 あのころのいろいろなものが、いまでもぼくのところににおってくるし、苦痛と快い戦慄《せんりつ》で、ぼくは内側からゆさぶられる。うす暗い路地《ろじ》、明るい色の家や塔、時計のなる音や人の顔、ほんのりとしたあたたかさにつつまれた住みごこちのよい部屋、秘密とお化《ば》けの恐怖にみちた部屋など。むんむんするせま苦しさ、飼いウサギと女中、家庭薬とほしたくだもののにおいもする。そこでは、ふたつの世界が入りまじっていた。ふたつの極から昼と夜とが生まれてきた。
 片方の世界はぼくの生まれた家だった。いやそれどころか、もっとせまいものだった。実をいうと、ぼくの両親を入れているにすぎなかった。この世界は大部分、ぼくにはおなじみであった。それは母と父、愛情と厳格、模範と訓練と呼ばれるものであった。おだやかな輝き、明るさと清らかさがこの世界のものであった。ここには、おだやかなやさしい言葉づかい、洗いきよめた手、こざっぱりした衣類、お行儀《ぎょうぎ》のよさが住みついていた。ここでは朝の讃美歌がうたわれ、クリスマスが祝われた。この世界には、未来に通じるまっすぐな線と道があった。義務と罪、良心のやましさとざんげ、ゆるしと善意、愛情と尊敬、聖書の言葉と知恵とがあった。明るい清らかな、美しくて秩序《ちつじょ》のある生活をするためには、あくまでこの世界の側に立たなければならなかった。
 ところがもうひとつの世界は、すでにぼくたち自身の家のどまんなかではじまっていたが、まるっきり別のもので、においも違うし、言葉づかいも違っていた。約束や要求も違っていた。この第二の世界には、女中や職人の若いのがいた。お化《ば》けの話や人聞きの悪いうわさがあった。そこには無気味《ぶきみ》で、心をそそるような、恐ろしい謎めいたことがらの雑然とした流れがあった。屠殺《とさつ》場だの、刑務所だの、酔っぱらいだの、わめきたてる女だの、お産をするめ牛だの、倒れた馬だのといったようなものがあり、強盗や人殺しや自殺などの話もあった。これらすべての、すばらしくてぞっとするようなこと、荒っぽくて残忍なことが、そこらじゅうで、隣《となり》の路地や、すぐそばの家のなかで行なわれていた。警察と浮浪《ふろう》者が走りまわっていたし、酔っぱらいがかみさんをなぐったり、若い娘たちの群《む》れが、夕方ともなれば、工場からどっとはき出されるし、ばあさんたちは、人に魔法をかけたり、人を病気にしたりできたし、森には盗賊が住んでいたし、放火犯が憲兵につかまったりした。――どこへ行っても、この第二の、激しい世界がふき出して、臭気《しゅうき》を放っていた。どこへ行ってもそうであったが、ただ母と父のいる部屋だけは別であった。そしてこれは、非常にありがたいことだった。このぼくたちの家に、平和と秩序と安静があったということ、義務と良心とゆるしと愛情があったというのは、すばらしいことであった。――そして一方ではこれとまるで別なもの、騒々《そうぞう》しい、どぎつい、暗い暴力的なものがあったが、ひとまたぎすれば、そういうものから母のもとへ逃げて行けたのも、すばらしいことであった。
 そして何よりも奇妙だったのは、このふたつの世界がなんと、隣あわせにピッタリくっついていたということである。たとえば、うちの女中のリーナにしても、夕方のお祈りのとき、居間のドアのそばに腰かけ、しわをのばした前掛けの上にきれいに洗った両手をのせて、かんだかい声でみんなといっしょにうたっているときには、完全に父母の側に、ぼくたちの側に、明るい正しい側に属していた。しかしそのすぐあとで、台所とか材木小屋でぼくに首のないこびとの話を聞かせてくれたり、あるいは、肉屋のせまい店さきで、近所の女たちと口げんかをしたりするときには、彼女はまるで人が変わって、別な世界の人となり、なぞにつつまれていた。
 そしてすべてがこんな具合だったが、ぼく自身の場合がいちばん極端だった。たしかにぼくは明るい正しい世界に属していたし、ぼくの両親の子ではあったが、しかしどこへ目や耳を向けても、いたるところにあのもうひとつの世界があった。そこではよく、何か性《しょう》にあわない無気味な気持になったり、またそこではきまって良心がとがめたり、こわくなったりしたが、そのくせぼくはその世界にも住んでいたのである。それどころか、ときとすると、何よりも好んでこの禁じられた世界で暮らした。そして明るいところへもどるのが――ぜひとも必要なことであり、いいことであったとはいえ――まるでいっそう美しくないところへ、いっそう退屈で味気ないところへ、逆もどりするように思われたことも珍しくない。
 しかし、ときとするとぼくにもよくわかっていた。つまり人生でのぼくの目標は、父や母と同じようになることだ。ああいうように明るく清く、ああいうようにどっしりかまえて、きちんとしていることだ。だがああなるまでの道は遠い。ああなるまでには、いろんな学校を出て、大学で勉強し、いろんなテストや試験を受けなければならない。しかもその道はいつだって、あのもうひとつの、いっそう暗い世界のそばを通りすぎたり、そのなかを突き抜けたりしている。だから、その暗い世界から抜け出せなくて身を持ちくずしてしまうことだって、決してないとはかぎらないのだ。そういう破目《はめ》におちこんだやくざ息子《むすこ》たちの話〔新約聖書、ルカによる福音書十五章十一節以下に,父のもとを離れて放蕩にふけったのち、本心にたちかえって父のもとに帰ってくる、やくざ息子の話がある〕もいろいろあった。ぼくはそういう話を夢中になって読んだものだ。それによるといつもきまって、父のもとへ、善のもとへ帰ってくるのが、救いになっており、すばらしいことだとされていた。これだけが正しくて、りっぱで、望ましいことだと、ぼくはしみじみ感じたのだが、そのくせ、そういう話のなかで、悪党ややくざ者たちの間でくりひろげられる部分のほうに、はるかに強く心をひかれた。そしてもしありのままに言ってもよいとすれば、やくざ息子が悔《く》いあらためて、ふたたび迎え入れられるなどというのが、ほんとうのところ、実に残念だと思われるときもあった。
 だがだれも、そんなことは口にも出さず、また考えもしなかった。それはただなんとなく、ある予感と可能性という形で、感情のずっと底のほうに存在していたにすぎない。ぼくは悪魔というものを思い浮かべるたびに、変装しているにせよ、また正体《しょうたい》を現わしているにせよ,下のほうの往来とか、年の市《いち》とかレストランとかにいるところを、実にうまく想像できたが、ぼくの家のなかにいるところは、どうしても考えられなかった。 

……「第一章 ふたつの世界」冒頭


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