ビアス怪奇短編集

「死の診断」

アンブローズ・ビアス/高畠文夫訳

ドットブック 400KB/テキストファイル 163KB

500円

ホーヴァー氏が避暑に借りた家は、かつて人の寿命を確実に予見できる医学博士が建てたものだった。ある晩のこと、書斎にかけてあった博士の肖像画が抜け出してきてホーヴァー氏を指さした……。この「死の診断」のほか、「壁の向こうで」「死人谷の夜の怪」「アウル・クリーク鉄橋の出来事」など怪奇短編15篇を収録。ポーの再来といわれ、痛烈な諷刺と諧謔を交えた「悪魔の辞典」で有名なビアスが、人間の心理の中に分け入って描く斬新な怪奇小説ワールド。

アンブローズ・ビアス(1842〜1914?) 米国オハイオ州の田舎の生まれ。南北戦争に志願して出兵後、サンフランシスコに移ってジャーナリストとして活躍。その間、おもに死と恐怖をテーマに、皮肉と機知、諷刺にあふれた多くの短編小説を発表して有名になった。1913年にはパンチョ・ヴィラによる革命の渦中にメキシコを訪れ、そのまま消息を絶った。代表作に本書のほか、短編集「生のさなかに」、皮肉な定義で有名な「悪魔の辞典」がある。

立ち読みフロア
 アラバマ州北部の或(あ)る鉄道の鉄橋の上に、一人の男が二十フィート下を流れている急流を見下ろしながら立っていた。両手を後ろにまわし、手首は太いひもで縛られている。首のまわりには、繩(なわ)が一本きっちりと巻きつけてある。その繩の端は、彼の頭上の櫓(やぐら)に組んだ太い材木に結んであり、繩の緩みが男の膝(ひざ)のあたりまで垂れ下がっている。レールを支えている枕木(まくらぎ)の上に、釘(くぎ)づけしてない板が何枚か並べてあって、それがこの男と男を処刑しようとしている連中――入隊前は副保安官ぐらいは勤めたのかなという一人の軍曹(ぐんそう)と、その指揮下にある北軍の一等兵二人――の足場になっている。その同じ急ごしらえの足場の少し離れたところに、階級を示す軍服姿の将校が武装して立っている。階級は陸軍大尉だ。鉄橋の両端には、銃をいわゆる「支え銃(つつ)」の姿勢に構えた歩哨(ほしょう)が立っている。「支え銃」というのは、左肩の前で銃を垂直に支え、撃鉄を、胸の前にまっすぐ上げた二の腕にのせた姿勢だ――形式ばった不自然な姿勢だから、いやでも体を直立させないわけにはいかない。これから鉄橋の真ん中で何が起ころうとしているのか知ることなど、どうもこの二人の歩哨の任務ではないらしい。二人は、ただ鉄橋の上に渡した足場の板の両端で通せんぼをしているだけだ。
 両端のそれぞれの歩哨の向こうには、人影一つ見えない。鉄道線路は百ヤードほどまっすぐに森の中へ入り、そこから先はカーブになっていて見えない。おそらくもっと先に前哨が出ているのだろう。その河の向こう岸はひらけた平野だ――ゆるやかな上りになっていて、上りつめたところに、木の幹をまっすぐに並べ立てた防御柵(さく)が作ってある。防御柵には銃眼があちこちに設けてある。砲門も一か所あって、そこから突き出た真鍮(しんちゅう)製の大砲の砲口が、鉄橋をにらんでいる。
 鉄橋と防御柵の間の斜面のちょうど真ん中あたりに、見物の一団がいた――それは、横隊になって「整列休め」の姿勢をとった歩兵の一個中隊だった。銃の床尾板(しょうびばん)を地上に立て、銃身を軽く右肩にもたせかけ、銃床の上で両手を組んでいる。その横隊の右手に、中尉が一人、軍刀の鐺(こじり)を地面に立て、左手を右手に重ねて立っている。鉄橋の真ん中にいる四人のグループのほかは、身動きする者もない。中隊全員が、まるで石のように身じろぎ一つしないで、じっと鉄橋を見つめたままだ。河の土手に向いて立っている二人の歩哨は、さながら鉄橋の飾りの塑像のようだ。大尉は、腕組みをしながら黙って部下たちの作業をながめて立っている。だが、なんの合図もしない。死というものは、たとえてみれば高官である。その来訪が知らされたときは、極めて親しい間柄の人びとでも、しかるべき敬意を表して、お迎えしなければならないのだ。陸軍礼法によれば、無言で不動の姿勢をとるというのも、敬意を表わす形式なのである。
 絞首刑を執行されようとしているのは、見たところ三十五歳ぐらいの年格好の男である。農場主らしく思われるその服装から判断すると民間人だ。端正な顔立ちだ――すーっと高い鼻、きりっと締まった口もと、秀(ひい)でた額(ひたい)、その額から黒々とした長い髪がまっすぐ後ろに向かってなでつけられ、耳の後ろで下がって、ぴったり身体(からだ)に合ったフロックコートの襟(えり)までとどいている。口ひげと先のとがった顎(あご)ひげを生やしているが、頬(ほお)ひげはない。目は大きく、色は黒ずんだ灰色だ。目には、縊(くび)り繩(なわ)を首に巻きつけられるような男とも思われないような、やさしい表情がある。どう見ても、低級な凶悪犯の人相ではない。至って気まえのいい陸軍刑法というやつは、さまざまな種類の大勢の人びとを、片っぱしから絞首刑に処するための条項をちゃんと用意している。紳士階級ももちろん含まれるのだ。
 準備が終わると、二人の一等兵は脇(わき)へ退(の)いて、それぞれ自分たちが立っていた足場の板をとり払った。軍曹は大尉に向かって敬礼すると、そのすぐ後ろに位置し、こんどは大尉が一歩脇へ寄った。二人のこの動作のために、鉄橋の枕木三本の上に渡されている板のそれぞれの端に、その死刑囚と軍曹が立っている格好になった。死刑囚の立っているほうの端は、四本目の枕木にすれすれに届いていたが、完全にかかってはいなかった。板は、これまで大尉が重(おも)しになって跳ねるのを押さえていたのだったが、こんどは軍曹がその重しになった。大尉の合図で軍曹が一歩脇へ退(の)けば、その板が傾いて死刑囚は二本の枕木の間へ落ちることになっている。この仕掛けは、死刑にされる当の本人が見てさえ、感心するほど簡単で、要領のいいものだった。死刑囚は顔の覆いも目隠しもされていなかった。彼は、一瞬、自分の「不安定な足場」をちらと一瞥(いちべつ)してから、足の下を狂奔したように流れていく河の渦巻(うずま)きに、おもむろに目をやった。と、踊るように流れていく一本の流木が目にとまり、彼の目は、それが下流に流れ去るまで見送った。なんとゆっくり動いていくのだろう! なんというのろくさい流れなのだろう!
 最後にもう一度妻や子供たちのことを考えようとして、彼は目を閉じた。早朝の日光を受けて黄金色(こがねいろ)に染められた水、河を少し下った両岸の土手の下に立ちこめている霧、砦(とりで)、兵士たち、さっきの流木の切れっぱし――あらゆるものが彼の心をかき乱していた。ところが、またまた心をかき乱す新しいたねに気がついた。愛する者たちのことを考えている彼の脳裏に、振り払うことも、理解することもできない一つの音が鳴りひびいてきたのだ。それは、まるで鍛冶屋(かじや)のハンマーで金床をたたくような、鋭く、はっきりした金属的な打撃音で、しかも、そのハンマーの音と同じく、ひびきわたる性質の音だった。いったいなんの音だろう、ずっと遠くの音だろうか、あるいは、すぐ近くの音だろうか、と彼は首をかしげた――遠いようにも近いようにも感じられたのだった。
 その音は一定の間(ま)をおいて何回も何回も繰り返されたが、弔いの鐘の音のようにゆっくりしていた。彼はいらだちと――なぜだかわからないが――不安を感じながら毎回の音を待ち受けたのだった。音と音との合間がだんだん長くなっていき、音の遅れが気も狂いそうなほどやり切れないものになってきた。間が遠くなっていくにつれて、その音はひときわ力強く、はっきりしたものになってくる。それは、ナイフを突き刺すように彼の耳を痛めつけるのだった。彼は、自分が今にも叫び声をあげるのではなかろうか、と心配になった。聞こえていたのは、時を刻む自分の時計の音だった。
 また目を開けて、もう一度足の下の水を見た。「もし両手を自由にすることができれば」と彼は思った。「縊(くび)り繩(なわ)を振り切って河へ飛び込むのに。水に潜れば弾(たま)は避けられるし、必死に泳げば岸について森に逃げ込み、家へ逃げ帰ることだってできるのに。ありがたいことに、わが家はまだ戦線から離れている。妻や子供たちは、敵軍のいちばん先頭の部隊さえ、まだ手の届かないところにいるのだ」
 ここでは、やむをえず言葉として書き止めなければならないこのような思いが、死刑囚の頭から次第に生まれてきた、というよりはむしろ、彼の頭にぱっとひらめいたとき、大尉が軍曹に向かってうなずいた。軍曹は脇へ退(の)いた。

……「アウル・クリーク鉄橋の出来事」
冒頭より

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