「終末期の赤い地球」

ジャック・ヴァンス/日夏響訳

ドットブック版 265KB/テキストファイル 152KB

500円

時に私は「終末期の赤い地球」と題するぼろぼろのペーパーバックの上に掌(てのひら)をかざすのだった。すると表紙の厚紙から、ミール城のトゥーリャン、無宿者ライアーン、怒れる女ツサイス、情無用のチャンといった魔法が もれ出してくるのだった。私の知り合いにはこの本のことを少しでも知っている者は誰もいなかったが、私にはこれこそが世界で最高の本だとわかっていた。……このジーン・ウルフの言葉によって、ファンタ ジー史上屈指の傑作とされ、近年ますます評価の高い作品。

ジャック・ヴァンス(1916〜)サンフランシスコ生まれ。カリフォルニア大学を卒業し、職を転々とした後、1945年に「スリリング・ワンダー」誌からデビュー。異星文明をリアルに、魅力的に描き出す手腕で高い評価を得た。「終末期の赤い地球」(1950)は最初の単行本としてまとめられた連作短編集である。他の代表作に「竜を駆る種族」「魔王子シリーズ」「冒険の惑星シリーズ」などがある。

立ち読みフロア
 ガイアルは一夜の宿をとり、朝になると北をめざして進みつづけた。古代都市の荒涼たる一帯を左手にひかえ、道は伝説の森へとつづいている。
 何日間もガイアルは危険に用心し、通り道からはずれずに、北をめざして馬を駈りつづけた。夜には魔法の装備、つまり卵状天幕――たたき、ひっかき、まじないをかけようが、押そうがびくともしない、音も寒気もよせつけぬ皮膜――でわが身と馬を囲い、貪欲な闇の生きものの歯ぎしりを尻目に、安らかな眠りをむさぼったのだった。
 大きなどんよりした太陽が彼の背後で沈んでいった。昼は生気を失い、夜は苛酷なものとなった。そして、ついにフェア・アクィラの岩山が北の地平に影を見せたのだった。
 森はしだいに低く、樹もまばらになり、重たげなふしくれだった枝――それも、あずき色がかった青銅色に光り輝いているのだ――に黒々と葉をしげらせたこんもりした形の樹ダオバドが特異な趣きをそえていた。一本のダオバドの巨木をはずれると草葺きの村落に出た。がさつで口やかましい田舎女達があらわれて、好奇の色もあらわに彼をとり囲んだ。村人に負けず劣らず、ガイアルは口にしたい質問が山ほどあったが、彼女たちは首長――もしゃもしゃの毛皮帽に茶の毛皮外套、どこではじまりどこで終るのやら見当もつかないほどびっしり顎鬚をたくわえた筋骨たくましい男――がやってくるまで、口を聞こうともしなかった。首長はすえたような悪臭を放ち、ガイアルはへいこうしたが、慎みから不快の念をおし隠した。
「おめえさん、どこへ行くだね?」首長がたずねた。
「山を越えて人間博物館へ行くところです」とガイアルはいった。「この道はどの方向へ通じているんですか?」
 首長は空に影を映す山脈の山あいを指さした。「オモナ峡谷でさ。あれがいちばん近道だが、道らしい道はねえ。来る者も行く者もねえんだから、おめえさんが峡谷を越えたら、未知の土地に踏みこむことになる。人の往来がねえんだから、道なんていらねえのもことわりさね」
 その知らせはガイアルをめいらせた。
「それでは、どうしてそのオモナ峡谷とやらが、博物館への道すじにあると知られているんですか?」
 首長は肩をすくめた。「言い伝えでさ」
 しわがれた鼻声に首をねじ曲げると、編み垣の囲いが眼に入った。汚物と敷き藁が散乱したなかに、身の丈八、九フィートの大男がずらりとつったっている。きたならしい黄色のくしゃくしゃ毛に淡青色の涙目をして、素っ裸だ。蝋のように青白い顔にはなんとも愚鈍な表情を浮かべている。ガイアルが見守っていると、一人がのそのそと飼い葉桶に近よって、灰色のふすまをがつがつと騒々しく食べだした。
 ガイアルは、いったいあれはなんというものか、とたずねた。
 首長はガイアルの無邪気なことばつきにさもおかしそうに目をしばたたいた。
「あいつらか、わしらのオーストさ、決まってるでねえか」それから、ガイアルの白馬を当てつけがましく身ぶりで示した。「おめえさんが乗っかってるみたいな変なオーストには、ついぞお目にかかったことがねえ。わしらのはもっと楽々と運んでくれるし、そいつほど扱いにくくはねえようだな。おまけに、ほどよくとろとろ煮こんだオーストの肉ほどうめえもんはねえときてる」
 首長はそばに寄って、ガイアルの鞍と、赤と黄の刺繍がほどこされた刺し子蒲団を、指でもてあそんだ。
「飾りだけは綺麗で上等でねえか。ひとつ、このお飾りつきの獣とひきかえに、柄も大きくどっしりしたわしらのオーストをもらってもらいてえんだが」
 ガイアルがいまの乗りものに満足していることを丁重に告げると、首長は肩をすくめてみせた。
 角笛の音が鳴り響いた。首長はあたりを見まわしてから、ガイアルのもとへとってかえした。「飯のしたくができた、食うかね?」
 ガイアルはちらとオースト小屋に視線を走らせた。
「いまはひもじくないし、それに先を急がねばならない。しかし、まあ色々とどうもありがとう」
 彼は別れを告げた。大きなダオバド樹のアーチをくぐり抜けながら、彼はふりかえって村里に一瞥をくれた。小屋のあたりがただならぬ活気を帯びているようだ。首長が未練たっぷりに鞍を撫でまわしていたのを思いだし、もはや保護された道を進んでいるのでないことに気づいたガイアルは、馬に拍車をかけ、木陰を疾走させた。
 麓の丘に近づくにつれてしだいに森はとぎれて、蹄の下できしむような音をたてて踏みしだかれる節のある草におおわれた大草原(サバンナ)に変った。ガイアルは草原の上と下をすばやくうちながめた。陽は秋の柘榴(ざくろ)のように古びて赤く、南西の空でのたうっていた。草原に落ちる陽ざしはおぼろでうすく、山脈が、荒涼美を意図した絵画さながらにとってつけたような姿をさらしている。
 ガイアルはまた太陽をあおぎみた。あと何時間かしたら終末期の暗い夜になる。ガイアルは鞍に腰をおいたまま、身をねじって背後を見やり、孤独と孤絶と頼りなさを感じた。男たちを肩ぐるました四人のオーストが、森蔭からせかせかととびだしてきた。ガイアルをみとめると、いきなり、どすどすとぶざまに走りだした。肌に粟立つ思いで、ガイアルは馬をめぐらし手綱をゆるめた。白馬はオモナ峡谷めざして大草原を駈けぬけていった。
 陽が地平線にかかると、前方にまた、森影がほの暗い一条の線となってぼうと浮きあがった。ガイアルは、いまや一マイル後方に迫った追跡者たちをふりかえり、また森に視線をかえした。夜間、馬で行くにはまずい場所だな……。
 小暗い葉の繁みが頭上におぼろにひろがった。ふし瘤(こぶ)だらけの最初の樹枝をかいくぐった。もしもオーストが臭跡を嗅ぎだせないのなら、いまごろはもう追いはぐれているかもしれぬ。彼は向きを変えて、一度、二度、三度、旋回させてから、馬をとめて耳を澄ました。遠くで藪を踏みつける音がした。ガイアルは馬をおり、鬱蒼たる草葉のかげになった窪地に馬を追いやった。やがて、ぶざまなほど巨きなオーストにまたがった四人の男が、彼の頭上にひろがる夕映えのなかを通りぬけていった。忿怒と落胆の色濃い、重なりあった黒い影法師。
 どすんどすん、ばたばたという重たい足音はしだいに弱まり、消えていった。
 馬が不安げに身じろぎした。繁みがざわめいている。
 湿った空気が窪地に流れこみ、ガイアルのうなじをひやりと撫でていった。水ばちのなかのインクのように闇が老いた地球にひろがる。
 ガイアルは身ぶるいした。森を駈けぬけてしまうのがなにより。陰気な村人とその鈍重な「うま」から遠く逃れて……。
 彼は四人が通りすぎた高所へ馬を追いあげ、坐りこんで耳をそばだてた。風にのって、はるかなしわがれた叫びが流れてきた。彼は馬を反対方向にめぐらし、馬の足の往くままに進んでいった。
 頭上のうすれゆく紫にあやなす樹枝。空気は苔とじめじめした黴(かび)の臭いを漂わせている。馬がぴたりととまった。ガイアルは体じゅうの筋肉をこわばらせ、少し前かがみに首をねじ曲げて、耳を澄ました。頬のあたりに危険の気配が。あたりはひっそりと静まりかえり、無気味であった。眼をこらしてみても、十フィートより先の闇はみすかすことができなかった。どこか、近くに死――じりじりと悩ませ、不意討ちをかけようとして猛り狂う死――が待ちぶせているのだ。

……「スフェールの求道者ガイアル」
より

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