「地底旅行」

ジュール・ヴェルヌ作/金子博訳

エキスパンドブック 1241KB/ドットブック版 263KB/テキストファイル 191KB

500円

破天荒な鉱物学者リーデンブロック教授はたまたま見つけた古文書によって勇気づけられ、地球の内部はそれほど熱くないはずだという自説を確かめるために、アイスランドの火口から地底探検に降りてゆく。お供をさせられた甥(おい)のアクセルにとっては、いい迷惑だ。だが……。ときにユーモラスに、ときに筆力にものを言わせて、ぐいぐいと読者を引っ張って飽きさせないヴェルヌのSF冒険小説の代表作のひとつ。
立ち読みフロア
 一八六三年五月二四日の日曜日、ぼくの叔父リーデンブロック教授は、ハンブルクの旧市内でもとりわけ古い町であるケーニッヒシュトラーセの、十九番地にある彼の小さな家へ大急ぎで戻(もど)ってきた。
 女中のマルタは自分の仕事がひどく遅れたと思ったにちがいない。台所のかまどの上で料理がぐつぐついいだしたばかりだったのだ。
「やれやれ」とぼくは思った。「叔父さんがおなかをすかしていようものなら、世界一短気なんだ、いまにも死にそうな顔をしてどなりちらすぞ」
「おや、もう、だんなさまが」と肝(きも)をつぶしたマルタが、食堂のドアを細く開けて、言った。
「そうらしいね、マルタ。でも、御飯ができていなくて当たりまえさ。まだ二時になっていないのだもの。聖ミカエル教会の鐘が半を打ったばかりだよ」
「それじゃあ、なんでだんなさまはお帰りなんでしょうね?」
「たぶんわけを聞かしてくださるさ」
「そら、いらした。わたしは退散いたしますよ、アクセルさま、だんなさまが無理なことをおっしゃらないように、お頼みしますよ」
 そう言うと、マルタは彼女の料理研究所にひっこんでしまった。
 ぼくはひとり残された。だが、大学教授というもののなかでもおよそ短気なこの人に無理を言わないようにさせるなんて芸当は、ややきっぱりしないところのあるぼくの性格ではできない相談だった。それで、ぼくは用心深く階上のわが小部屋にひっこもうと算段したのだが、そのとき、玄関の戸の蝶番(ちょうつがい)が金切り声をあげ、大きな足音が木の階段を鳴り響かせたと思うと、この家(や)の主人が、食堂をつっきって、たちまち書斎にとびこんで行った。
 だが、超特急で通り抜けるそのあいだにも、彼はくるみ割りの握りのついたステッキを隅(すみ)に投げつけ、けば立っただぶだぶの帽子をテーブルに放り投げ、そして甥(おい)のぼくにこう大音声(だいおんじょう)を浴びせたのだ。
「アクセル、ついてこい!」
 ぼくが動くひまもないうちに、もう教授どのは我慢ならんといったものすごい声でどなるのだった。
「おい、まだ来んのか」
 ぼくはわが怖るべき主人の部屋にとんで行った。
 オットー・リーデンブロックは意地の悪い人ではなかった。それはぼくも喜んで認めるが、よほどのことでもないかぎり、この人は死ぬまでとてつもない変人で通すにちがいない。
 叔父はヨハネウム学院の教授で、鉱物学を教えていたのだが、講義のあいだにきまって一度や二度は癇癪(かんしゃく)を起こすのだった。学生たちが授業にまじめに出てくるとか、どれほど注意深く講義を聞いているかとか、よい成績をとれるようになるかとかを気にしていたわけではない。そんなつまらぬことはほとんど気にはならなかった。ドイツ哲学流の言葉で言えば、《主体的に》、つまり他人のためではなく自分のために、彼は講義をしていたのである。自分本位の学者で、学問の井戸とでもいったらいいか、ただそこからなにかを汲(く)み出そうとすると、つるべの滑車(かっしゃ)がキイキイ軋(きし)むのだ。要するに、学問の溜(た)めこみ屋なのである。
 ドイツにはこの種の学者がままある。
 不幸にして、ぼくの叔父は、気のおけない仲間内(なかまうち)ならともかく、少なくとも公衆のまえで口をきくときには、言葉がすらすらと気持ちよく出てくるほうではなかったのだ。これは人前で話をする職業では遺憾(いかん)至極な欠点である。実際、ヨハネウム学院での講義のあいだに、教授はよく絶句するのだった。唇(くちびる)からすんなり出ようとしない強情な言葉と格闘する。言葉は抵抗し、ふくれあがり、しまいにはあまり学問的とはいえない罵(ののし)りの言葉となって出てしまう。それで、癇癪玉が爆発するということになるのだった。

……冒頭部分より


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